2009年5月1日金曜日

7-1.家づくりを共に楽しむ/うそつき営業マンの功名

うそつき営業マンの功名

 ハウスメーカーとの繋がりは、営業的には不自由な面も確かにあったが、学ぶ事も多かった様に思う。若い営業マンの中には本当に住宅が好きで、独学で勉強して2級建築士の免許を取ろうと頑張っている人もいたし、僕の本を教科書にして会う度に質問を投げかけて来る者もいた。自然とそんな営業マン達が僕の廻りに集まって来て、自分達の家づくりはもっとこうした方が良いとか、もっともっといい家を提供したい、という思いを持つ有志達の輪が広がっていた。

 そんな皆の思いを実現するために、僕はこのメーカーの顧客を何人か引き受けたことがある。ハウスメーカーの家だから普通なら仕様はほとんど決められている。本来なら、僕もそれに従わなければならないのだが、施主が決められた仕様以外のものを使いたい、と言えば、シブシブであろうとも客の要求に応えなければならない。メーカーのショールームにはそうした決められた仕様のサンプルが置かれていて、それを客に説明しながら僅かな選択肢の中から選んでもらってゆかなければならないのだが、僕はいつも自分が使いたいもののサンプルを隠し持っていた。それをこっそり施主に見せるのである。こうして僕が関わった家は何処かメーカーの家とは違うものになっていった。そして、営業マン達もその違いに興奮していた。お仕着せの家ばかりを見て来た彼らにとっては、新鮮な驚きだったのかもしれない。そんなハウスメーカーとの付き合いの中で、忘れられない施主との出会いがあった。

 ある日、若い営業マンであるY君が、「これはハウスメーカーでは無理だ!」と言って、僕に設計を頼んで来た。まずは敷地を見て欲しいということで、僕はY君の営業車に便乗して千葉市から内房に入った所にある広大な土地を宅地開発した新しい町並みの中に入って行った。敷地は百七十坪ほどある四角い平らな土地で、驚いた事に南側はゴルフ場のフェアウェイを望む敷地だった。造られた風景ではあるが、輝くばかりの芝の緑が美しく、これ程恵まれた敷地はそうあるものではない。欧米では、ゴルフ場と一体で開発された住宅地の例は数多くあるが、日本ではそうした開発はなかなか認可されなかったのではなかったかと思う。一般の分譲地は勿論、ある程度ゆとりのある区画分けがされているが、ゴルフ場に面した敷地の区画は圧倒的に広く、趣向を凝らした豪邸が建ち並んでいた。企業のオーナーが所有している家が多いとのことだったが、有名芸能人のお宅も数件あるとのことだった。

 土地を見て一週間程後にここに家を建てようという施主に会ったが、まだ四十前の素朴な感じのする夫婦だった。子供のいない若い夫婦二人のための家である。ご主人は同族会社の役員をされているとのことだったが、土地は地元で林業を営んでいた親が十年近く前に買い求めたもので、息子が家を建てる時のために百年ものの山武杉を長い間自然乾燥させてストックしていた。幕張の住宅展示場にたまたま訪れたこの御夫婦にモデルハウス内を案内したのがY君で、施主は自分が持っている木材を使ってくれるハウスメーカーを探していたのである。

 他のハウスメーカー同様、この会社も構造材には集成材を使っていたし、木材を支給する客など想定外の事であるから、どこへ行っても営業マンがちょっと二の足を踏んでしまう客だったのである。しかし、Y君はそんな客に「全然問題ありません。」と言ってグイグイ自分のペースに引き込んで行った様だった。そして、彼が「やはり、うちの仕様に添った木材でなければ保証の問題をクリアできないので、大変申し訳ありませんが、お持ちになっている木材を使用する事はできかねます。」と謝罪した時には、夫婦はすでにY君を気に入っていて、自分の持っている木を使う事にはもうあまりこだわりがなくなっていた様だった。

 しかし、この夫婦の希望条件は自分達の持っている木材を使用する、ということに留まらず、Y君自身が気付いていた様に、とてもハウスメーカーのお仕着せの仕様には納まり切らないものだった。Y君ひとりの力では「契約」に持ち込むための決定打が欠けていたのである。

 僕は営業のY君と、千葉支店で設計を統括するS君と共に千葉市内にあったMさん夫婦の家を訪れていた。五十年以上経つと思われる、平屋で、テカテカと光る杉板張りの縁側廊下のある典型的な日本の民家だった。Mさんは実家が林業をしていただけあって木についての造詣が深く、同郷の奥さんも百年は経っているという農家の家で育ったので、そうした日本の伝統的な家の良さに愛着を持っている様だった。だからこそ、そんな夫婦が何故ハウスメーカーにやってきたのか、誰もが不思議な気持ちを抱いていた。

 畳敷きの家の中には32インチの黒く大きなテレビがあるだけでこれといった家具もなく、質素な生活ぶりだったが、新しい家に対する希望は多く、Mさんの希望を真に受けていたら確かにあの素晴らしい敷地の中に相応しい豪邸になるかもしれなかった。他の設計者はどうか分からないが、僕は打ち合わせの中で施主の口から次々と飛び出す新しい家についての要望を聞きながら、頭の中ではジグソーパズルのピースを組み合わせる様に要求条件を空間化してゆく。

 施主の要求条件というのは決して整合性が取れている訳ではない。むしろ、多くの矛盾を抱えている場合の方が多いかもしれない。そこに解決の手立てを見つけるのが僕らの仕事なのだが、実はそんなところに今までに無い新たな可能性が隠されている場合がある。住宅というのは、そこに暮らす家族の生活が円滑に行える様な機能的な諸室構成を求められるものであるが、機能一辺倒では住宅にならない。ゆとり、潤い、豊かさ、といったものが感じられる空間でなければならないし、かと言って、面積が大きくなってしまっては即、コストに跳ね返って来る。限られた予算、限られたスペースの中に機能を超えた「温もり」が求められている。

 お調子者のY君の営業手腕で、地元の百年ものの山武杉の家が、輸入木材による集成材の家になっても、Mさん夫妻はやっと始まりかけた自分達の家づくりに胸を躍らせている様だった。ヒアリングの中でも、Mさん夫妻は古い農家、民家で育ち、そんな日本の家を愛している様子だったので、新しい家もそうした日本の伝統的な様式を取り入れた家を望んでいるものと誰もが思っていた、設計者である僕以外は。

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