2009年5月2日土曜日

7-2.家づくりを共に楽しむ/言葉にならない声を聞くこと


言葉にならない声を聞くこと

 小さな住宅一軒でも、平均して十案くらいはプランを作り直すものである。最初の案は、施主の言葉にならない声を聞き出すためのたたき台であるとも言える。だから、通常、ヒアリングをして最初に作ったプランがそのまま採用されることはまずない。だから、このMさん夫婦の家は、僕自身にとっても極めて稀な例となった。

 僕は、ゴルフ場の美しいフェアウェイに面したあの敷地を見て、漠然とはしていたがひとつのイメージを持っていた。この素晴らしい景観をどうこの家に取り込むか、家の何処にいてもこの景観がパノラマのように見える様にしたい。そこに施主の要求条件を満たしてゆく。僕は、家の中を「通り庭」が貫く案を考えた。道路側の玄関を開けると、真っすぐ延びた通り庭の先にフェアウェイが見える。

 最初のヒアリングから一週間後、僕は営業のY君、設計統括のS君と共にハウスメーカーのショールームにある打ち合わせコーナーで施主プレゼンに挑んでいた。まず、プランを広げる。通り庭が家の中を貫いている図面を見て、M夫妻が唸った。そして、ほんの少しの間、放送事故のような沈黙の後、M氏は口を開いた。

「これでいいです。いや、これがいいです。」

婦人もM氏に目を合わせて同意の笑みを浮かべていた。
「感心しました。この通り庭は僕らの希望を小気味良く満たしてくれる軸になっているのですね。僕は随分色々な部屋を要求しましたが、確かにそんなに部屋は必要ありませんね。このプランのように、ちゃんと兼用できるのですから。」

そうM氏が言うと、
「どの部屋からもゴルフ場が見えていいですね。殆どドアがないんですね?」
と、婦人がプランを指でなぞりながら言った。

「夫婦二人だけの家なんだから、確かにドアなんかあまり必要ではないですよね」
M氏が優しく相槌を打った。

 確かにこのプランの居室で戸が付いているのは、通り庭に面した一階の和室しかない。それも、来客が宿泊する時だけ閉められればいいので、普段は引き込まれていて通り庭を挟んだリビングと空間が連続している。2階の寝室もリビングの上に開放されていて、吹き抜けたリビングの大きな窓からフェアウェイを一望できる様になっている。

 さて、外観はどのような感じになるのか。ハウスメーカーでは無理だ、と言ったY君が持ってきてくれた仕事であるとは言え、これはハウスメーカーの仕事なのだから、最低限決められた仕様は守ってあげなくてはならない。このメーカーでは、フラットルーフは雨漏りの問題があるので、必ず勾配屋根にしなければならない。だから、このプランに普通に屋根を掛けた場合の外観を、簡単なブロック模型を見せて説明する。しかし、僕自身それでは詰まらないと思っているので、別の模型を作って隠し持っていた。これはY君にもS君にも秘密である。それを、おもむろに取り出し、「例えば、こんなのもありますが、」と言って施主の前に差し出した。井桁を組んだ様に立ち上がった壁の中に、緩い勾配屋根が挟まり、下からは屋根の存在を殆ど意識する事ができない、シャープな壁が強調された極めてモダンな形をした家である。

 その瞬間、場がざわめいた。Y君もS君も伝統的な日本の民家の様なデザインを頭に描いていたから、ビックリした様な表情を浮かべたかと思うと、すぐに、ちょっと焦った様な表情に変わった。しかし、Mさん夫妻は先の勾配屋根の模型にはもう目もくれず、その模型を手に取ってクルクルと色々な角度から眺め回し、「すごい、すごい!」と連呼していた。

 僕は、あのヒアリングの時に、施主の要望を聞きながら、婦人が集めていたと思われる住宅雑誌、インテリア雑誌に目を留めていた。そこに共通していたのは「モダン」であり、僕は、決して古い日本の家を求めているのではないのではないか、という感じがしていたのである。伝統的な日本の民家の良さをモダンに表現すること、それは、あの敷地もそう望んでいる様な気がしていた。施主の言葉にならない声を聞き漏らさないこと、それができてはじめて設計者は施主をいい意味で裏切る事ができる。

 打ち合わせを終えた翌日、営業のY君から電話がかかってきた。
「施主から、いつ契約すればいいですか、なんて催促されたのは始めてですよ」
こうして「フェアウェイフロントの家」の設計が始まった。

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