2009年5月18日月曜日

10-2.「高気密・高断熱」後/設計事務所の家は高いのか?

設計事務所の家は高いのか?

 この家のコンペ時に提示されていた予算は僅か二千万だった。しかし、実施設計を終えた段階では、それが三千万になっていた。予算が当初の一・五倍に跳ね上がることは、そうあることではない。木造レンガ積みの家の苦い経験が脳裏に焼き付いていたことは確かだが、余程特殊なものでもない限り、手慣れた設計者なら住宅の図面を描き上げた時に、その工事費が幾らになるか、勘で分かるものである。だからこそ、設計の打ち合わせの際には常に増額要素について施主に念を押しておかなければならない。

 しかし、今回の計画では薪ストーブ、全館暖冷房、電動外付けブラインドシャッターという高価な設備が採用される事になった。薪ストーブを置きたい、という要求はよくある事だが、老夫婦のための平屋の家を、殆ど意識する事無く冬暖かく、夏涼しいという家にするために採用したのが、新しく発売が予定されていたヒートポンプを使って基礎躯体に埋め込んだパイプの中に、冬は温水を流し、夏は冷水を流す事で輻射暖冷房を行なうシステムだった。

 外付けのブラインドシャッターというのは、「明るい家であること。但し、海外で集めた家具に直射日光が当たらないこと。夜、寝る時に窓を開けて自然の風が流れること。但し、防犯上の機能を損なわないこと。そして、台風に対して安全を確保できる事」という過大な要求に応えるために僕が提案したものだった。これらひとつひとつがいくらかかり、積み上げてゆくと三千万になることをきちんと伝え、見積もり金額が、工務店の出精値引き後の金額として正しく三千万と出てきた時には、全く減額のために悩む事無く施主は納得して工事費三千万で工務店と契約を結んだのだった。

さて、「フェアウェイフロントの家」といい、「木造レンガ積みの家」といい、この「田園を眺める家」といい、当初の予算を遥かにオーバーしてしまった家の話しをしてきたので、設計事務所に頼むとやはり高く付いてしまうのか、という印象を持たれた方も多いのではないだろうか。事実、そんなイメージを持っている人は意外と多い。しかし、それは誤解である。予算というのは施主の新居に対する要望事項と同様にひとつの設計条件である。設計条件に合った家を設計するのが設計事務所の仕事なのだから、予算がきちんと決まっていれば、その予算に合わせた設計をしなければならない。
 しかし、施主の要望事項はその予算よりも常に上回っているので、そのまま要望事項の総てを満足させようとすると必ず予算オーバーということになってしまう。だから、僕は施主に対してその要望事項に「優先順位」を付けてもらう事にしている。

 予算に合った設計をするというのは、結局は優先順位の低いものから順に諦めてもらう、ということなのである。しかし、この「優先順位」を決めるということは、要望事項を整理するということであり、施主自身がその作業をすることで、その順位が低いものについては意外とすんなり諦められるものなのである。

 この「優先順位」を曖昧にしたまま設計を進めてしまうから「高く付く」ということになってしまう。予算をオーバーしてしまった先の3つの例で言えば、「木造レンガ積みの家」については、確かにこの優先順位をきちんとつけてもらうことができなかった結果と言えるだろう。しかし、他の2つの例については、オーバーしても施主にとってそれが必要だと感じたからに他ならないし、施主自身、自分の要望と懐具合に折り合いをつけてのことなのである。よく「私の希望の家が2000万でできますか?」という風に聞かれることが、それは「あなたの希望をどこまで諦められますか?」ということなのである。

 しかし、確かにハウスメーカーならこんな下手なやり方はしない。ハウスメーカーは施主の要望以前に、そのメーカーの基本仕様として坪単価を非常に安く見せかけている。まず、「安い」と印象付けておいて客を引き込み、あなたの要望は「オプション」ですと言ってどんどん金額を膨らませてゆく。すると、オプションなら高くなってしまったのは自分の所為だ、と客は納得してしまう。諦めて削ってゆかなければならないと思うよりは、どこまでオプションとして足してゆけるか、と考える方が、心理的には受け入れ易いのである。しかし、結果としては同じ事なのである。

 また、設計事務所に高い設計料を払うなら、そのお金を家のために使いたいと思う人も多いだろう。人は、設計とかノウ・ハウ、知識、情報といった目に見えないもののためにはお金を払いたくないものである。特に「物」に豊かさを求めて来た日本人にとってはその傾向が強いと言えるだろう。だから、ハウスメーカーや工務店は「設計料はサービスです」と言ったり、表向きの設計料を安く見せて工事費の中に隠してしまうのである。

 しかし、大切な事はまた別のところにある。まず、ハウスメーカーや工務店という「施工者」に設計コミで家づくりを頼んだ時に、あなたは出て来た見積書を見て、それが正しいものなのか判断が付くだろうか。そして、あなた自身、現場に足しげく通って、間違った工事が行なわれていないかチェックできるだろうか。

 最近,僕はオールアバウト・プロファイルという専門家サイトに参加しているが、そこに寄せられる相談と言えば、ハウスメーカーなどとのトラブルばかりである。しかし、それはハウスメーカーに非があるとは一概には言えない。トラブルの原因というのはおおよそコミュニケーション不足にあるのであり、専門的な事など何も知らない施主が、誰のサポートも受けずに素人判断をしてしまうため誤解を積み重ねてしまう例が少なくないのである。

 住宅を「商品」にしてしまったのはハウスメーカーだが、電気製品や車と同じ様に「家を買う」と言い出したのはそんな商品を買ってしまう消費者である。しかし、オーダーメイドで自分の希望する家を手にしようという時には、やはり家は「建てる」ものであり、素人である施主の立場に立って施主の利益を守る第三者としての専門家に支払う目に見えないお金は、高い様に見えて決して高くはないのである。

 ところで、「ローコスト住宅」という言い方がある。そして、それを得意としている設計者がいるとしよう。その設計者は同じ間取り、同じ広さの家の設計をさせたら僕よりも安い家が設計できるかもしれない。その違いは何だろう。僕は施主に求められなくても、住宅として大事な「見えない性能」、例えば、内部結露の心配のない住宅を設計する。即ち、設計者としての良心を持ち合わせているつもりである。ローコスト住宅が得意という設計者が僕よりも安い家を設計するには、見えない所で手を抜く以外にない。25年も経って内部結露により構造体が腐れかけていることを知ったり、カビやダニによる健康被害に気付いても、その時にはもう設計者の瑕疵責任はないかもしれない。しかし、施主の利益を守るべき者として、そんな事をする訳にはいかないのである。「ローコスト」という言葉が「いい家を安く建てる」というイメージを与えているのかもしれないが、この業界の常識は「高くて良いは当たり前、高くて悪いはよくある事で、安くて良いはあり得ない」である。

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