2009年5月7日木曜日

8-2.コラボレイション/断熱コンサルタント

断熱コンサルタント

 僕とK君は東京駅から出ているつくばセンター行きの高速バスに乗って、つくば市内まで行った。実はK君の実家はつくばにあり、父親は内科の開業医をしていた。狭い世界だから彼のはじめての施主となるS医師と面識があっても不思議はなさそうだったが、S医師は精神科の医師であるということもあって、K君の父親との繋がりはないということだった。親が知り合いであればK君の信用度は格段に違っていた筈だった。話しを聞くと、S医師はK君が独立したてでまだ結婚もしていない、という事を気にしていたらしいのである。昔は男にとって結婚とは社会的な信用だと聞いていたが、今でもそうした感覚が根強く残っていたことに、僕はちょっと驚いた。でも、施主にとってみれば、まだ経験も浅い独立したての独り者ではどこをどう信用していいものなのか、拠り所がない不安があるのだろう。会社に属している設計者なら、多少本人が頼りなくてもその会社の信用度が彼を守ってくれるだろう。しかし、そんなものがまるでなく、本人だけを見て、その人間が信頼できる相手かどうか判断できるほどの人格者などそういるものではない。

 僕らは、会議場の1階にテナントとして入っていたファミレスで待ち合わせていた。2階分吹き抜けたガラス張りの大きな箱のようなスペースに、アルミフレームの軽い感じの椅子とテーブルが配置されていた。僕とK君は、待ち合わせの時間より少し早かったので、喫煙席で一服してから窓際の禁煙コーナーに席を移した。そこに、サイクリング用の自転車に乗って眼鏡をかけた一人の中年男性がやって来た。S医師だった。

 僕らは立ち上がって挨拶を済ませると、早速、今後の進め方について話し合った。K君が設計監理者として契約すること。僕が、断熱についてのコンサルタント業務を行うこと。K君の設計監理料を工事費の9%とし、コンサルタント業務の報酬を1%とすること等、具体的な取り決めを行い、K君の設計に合わせて断熱の仕様や暖房についての提案を次回行う事となった。

 僕は話しながら、S医師とK君の仲人でもしているような感じがしていた。僕にしてみれば、S医師は自分の直接の施主ではなく、自分が第三者的な立場なので、遠慮なく自分の考えを述べることができた、というのが良かったのかもしれない。S医師はすぐに僕が付いていてくれれば安心だ、という気持ちになってくれた様だった。K君の設計料が1%分減ってしまったが、今まで渋られていた契約をすんなり受け入れてもらう事ができたのだから、K君にとってもその事の方が嬉しかったに違いない。兎に角、これで彼は自分の作品を作る事ができるのだ。僕らは画家や彫刻家の様にまず自分で作品をつくるということができない。自分の作品が作れる様になるにはまず人の信用を勝ち得なければならない。だからどうしてもそのスタートは遅くなってしまう。建築を長い間学んで来た者にとっては、やっと本当の意味でのスタート地点に立てた、という大きな意味があるのである。

 こうしてK君は自らの初仕事をコンペで勝ち取る事ができ、早速、本格的な設計に取りかかる事になった。そこでまず、僕は、建物の面積をコンペ案より一回り小さくすることを彼に進言した。

 コンペというのは設計条件として必ず予算が示されているものだが、そこを正直に守っていると他の案に見劣りするものになってしまう。だから、皆、予算の事はそっちのけで最良の案を考えるものである。予算の事はコンペを取ってからゆっくり考えれば良いのだ。それによってコンペ案とはまるで違うものになってしまってはマズいが、いずれにしろ、取れなければ何もならないのだから、まず、取る事だけを考えるのである。

 一回り小さくする、というのは勿論、明らかに予算オーバーしていると判断できるからであり、プランやカタチを変えずに面積を落とそうと思えば、まず、やらなければならないことである。そんなことから始まり、断熱の仕様を決めれば僕の役目はそれで良かった筈なのだが、結局、木造住宅の細々した納まりについて一通りK君に伝授しなければならなかった。だから、彼は随分徳をした筈だ。しかし、だからと言って僕が損をしたとは思っていない。自分が学び得た技術やノウハウを自分だけの武器にして墓場まで持ち込んで何になるだろう。若い設計者にどんどん伝授してさらにいいものにしてもらい、いい家が一軒でも多く建ってくれれば、その方が自分がこの世に生まれて来た意味があるというものだ。

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