2009年5月5日火曜日

7-5.家づくりを共に楽しむ/打ち合わせがなくなって寂しい


打ち合わせがなくなって寂しい

 住宅の設計において最終的に重要なのは、施主の予算内に納まる設計をしなければならない、ということである。しかし、現実にはそう上手くいくことは殆どない。施主の要求条件はその予算のおよそ1.5倍あると考えて良い。だから予算が絶対条件なら、施主の夢を摘み取ってゆかなければならないことも稀ではない。

 M夫妻の家の設計打ち合わせがあれほど盛り上がったのは、ひとえに予算のとこをそっちのけで進めてきたからに他ならない。もし、最終的に追加変更見積もりをして、大幅に予算をオーバーし、 Mさんがそれを全く許容できない様であれば、それまでずっと楽しんで来た思いが一気に落胆や怒りに変わることだってあるのだ。図面をまとめあげるための半年間に及んだ打ち合わせの終盤には、それこそお金の事が営業のY君にとっての一番の心配事だった。

 そして、案の定、その心配は的中し、当初契約した工事金額よりも三割近くもオーバーしてしまったのである。この事実をMさんにどう切り出したらいいものか、Y君は相当胃の痛い思いをしたに違いなかった。しかし、この問題を避けて通ることはできない。設計打ち合わせも最終段階に入ろうとしていた暮れも押し迫ったある日、Y君は沈痛な面持ちで打ち合わせの席に着き、追加見積書をMさんの前に差し出した。

「少しずつ追加分や変更分について金額をお出ししておけば良かったのですが、」
と言ってY君は口ごもってしまった。

 Mさんはその沈黙に気付きもせず、夫々の項目と追加金額を照らし合わせながら見積書のページを捲ってゆくと、

「僕らの希望を遥かに超える家にして頂いたのですから、当然このくらいはオーバーするだろうと思っていました。心配しなくて大丈夫ですよ。」と言って頭をもたげたままのY君に微笑みかけた。

 ハウスメーカーの仕事だから現場は現場担当者に任され、設計者は殆ど現場に足を運ぶ事は無い。勿論、僕も監理料など貰えるとは思っていなかったが、自分が設計したものに対しては責任がある。と言うよりは、愛着がある、と言った方が正しいかも知れない。愛着が持てないものを設計する、即ち、ただ単に仕事として設計をしている、というのでは設計者とは言えない。僕らは自分自身の手でものを作る訳ではないが、多くの人の手を借りて作り上げられるものは他の誰でもない設計者自身の頭の中から生まれてきたものなのだ。それが実際にどのように出来上がってゆくのか、そんな楽しい場面を見過ごす事なんてできない。

 M夫妻も現場を見に来るのが楽しみな様だった。基礎が打ち上がった頃までは現場を見ながら以外に小さな家だという印象を持っていたMさんだったが、上棟の時にはそのボリューム感を見て高揚する気持ちを抑え切れない様だった。家というのは地面に平面をなぞった段階ではやけに小さく感じるものである。それが、構造が組みたがった時、屋根が掛かった時、外壁で覆われた時、内壁ができた時、と言う様に家は小さく感じたり、大きく感じたりしながら順繰りと出来上がってゆく。

 この家は、先にも触れた様に、ハウスメーカーの家なので基本的にその仕様を守らなければならない。しかし、結局、守られた仕様は外断熱の仕様とSE構法という集成材を金物で留める構造だけだった。それ以外は総て仕様から外れている。

 僕が推薦し、最後までイメージを掴めないまま僕を信じて決定してくれた外壁材が取り付けられた時には、日が沈むまで僕もMさんも現場から離れる気になれず、じっと井桁の様に組まれた壁が刻々とその表情を変えてゆく様を見ていた。丸みのあるリブが付いた淡いグレーのアルミサイディングだが、太陽の角度や日差しの強さ、陰の部分でその色が何とも形容し難い美しさに変化してゆく。これは僕自身、予想できなかったことだが、Mさんにとっても忘れられない感動になった様だった。

 建物が竣工して、友人に製作を依頼していたリビングベッドを運び入れ、やっとMさんの新生活がスタートしたが、僕らの楽しみはまだそれで終わりではなかった。建物が美しくその場に存在するためには庭やアプローチ部分のデザインが不可欠である。

 外構工事は建築本体とは切り離されて別途工事となったが、僕は岩山の上にこの建物を据え置こうとイメージしていた。それに反応してMさんの奥さんがガーデンデザインの本ではなく、山の写真集を持ってきてくれたことがとても嬉しかった。

 岩の隙間に可憐な高山植物が生えているそんな写真を指差して、
「こんなイメージですよね?」と奥さんは僕のイメージを見事に理解してくれた。

 大きな岩は、溶岩の塊である。トラック一杯の溶岩石をユニックで下ろして、現場でひとつひとつ配置を確認しながら置いてゆく。植物もその隙間に植えてゆくが、根をつけ花を咲かせ、イメージが形になるには暖かい春を待たねばならない。

 しかし、こうして設計・監理を終え、冬場の早い日没の時刻にはもうほろ酔い加減になった僕とMさん、そして、当に任務を終えていたはずのY君の3人で、敷地のフェンスを乗り越え、夜陰のフェアウェイの中を駆け抜けると、その先の小高い丘の上に座り、闇の中に煌煌と輝くフェアウェイフロントの家を眺めた。家が完成した暁には、ぜひ一度ゴルフ場の中からこの家を眺めてみたい、というのが僕らのかねてからの夢だったのである。

 僕らは暫く何も言葉を発することなく、ただじっと生まれたばかりの新たな光景を眺めていた。すると、Mさんが呟く様に言った。
「もうあのワクワクする打ち合わせがないと思うと、ちょっと寂しいですね?」

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