2009年5月16日土曜日

9-7.木造レンガ積みの家/救世主現わる!


救世主現わる!

 さて、事はどうあれ一千万という金額を落とす算段をしなければならない。しかし、20%を超える金額を落とすというのは実際にはなかなか難しいことである。まず、最も金額の大きい外壁のレンガは、「レンガ積みの家」という大前提からすれば、これをいじる訳にはいかない。そこで、まず考えられるのが屋根である。これをフッ素樹脂鋼板からガルバリウム鋼板に変更する。次に、基礎を深くして床下に広い収納スペースを確保していたが、この面積を縮め、基礎工事費を減らす。これで300万くらいの減となる。しかし、後は細々としたものを拾い出してもやっと百万くらいの減になるだけで、これ以上はとても落とし様がない。

 仕方なく、表からは見えない北側のレンガをサイデイングに変えることでYさんもしぶしぶ合意し、これらの減額項目に従って図面を修正し、今度は工務店3社に見積もりを依頼する事になった。最初に頼んだ工務店には減額の再見積もりをお願いし、あと2社、横浜市内の工務店を選んで見積もり依頼を出した。これで予算に合った金額が出て来ることは期待できなかったが、やはり僕らに僥倖は訪れなかった。

 再び不安な気持ちを抱きながら3週間が過ぎ、出てきた結果は正しく僕とYさんが苦虫を噛み締めながら減額調整をして、このくらいは落ちるだろうと予測していた金額が落ちたに過ぎなかった。工務店3社で三百万円ほどの差は出たが、それは高い方に差が出たに過ぎなかった。一番安い見積もりが、結局、先に見積もりを頼んで、今回、減額見積もりを出してもらった工務店だったのである。これで、Yさんの予算に何とか合う様だったら、この工務店が有力候補ということになる訳だが、最低価格が予算を大きく上回ったままなのだから、契約への道のりは遠い。

 いずれにしろ、このままでは先へ進まないので、Yさん自ら工務店3社の社長に会って、話しをしてみようということになった。3社共、週末に社長のアポイントが取れたので、僕とYさんは朝から待ち合わせて順次、工務店を廻っていった。工務店は建材メーカーや住宅設備機器のメーカーなどとの付き合いの中で、このメーカーならもっと安く仕入れられるというものを持っているから、そういったものをひとつひとつ拾い出して減額調整を進める事になるが、オーバーしている金額から見れば微々たるもので、思い切って何かを止めない限り根本的な問題解決にはならない。工務店の社長達にとってもレンガ積みの家など今まで誰も経験した事のない物件である。挑戦してみたいという気持ちはあっても、明らかに赤字となることが分かっている仕事に手が出る訳もない。夕暮れが迫る頃、僕とYさんは、ただ脱力感を味わったまま最後の工務店を後にした。こうしてこの「木造レンガ積みの家」は、僕が恐れていた通り、打開策を見付けられないままその後暫く計画は中断する事になった。

 しかし、Yさんは決して諦めていた訳ではなかった。3ヶ月ほど経ったある日、インターネットで木造レンガ積みの家を造っている工務店を見つけ、今度、そこに話しを聞きにいくので一緒に行かないか、と、Yさんから電話がかかって来たのである。その工務店は長野県にあり、来てくれたら自分達が建てたレンガ積みの家を幾つか見せてくれるということだった。僕は、丁度他の予定が入っていたので一緒に行く事はできなかったが、フットワークのいいYさんは高速バスに乗って一日がかりでその工務店に行って来た。Yさんは、黒崎播磨の一社独占状態で値を下げ様がないレンガ積み工事をこの工務店が請け負ってくれたら、もしかしたら結構落とせるのではないかと期待していたのだった。だから、自邸の図面を携えて、遥々長野まで出向いたのである。ところが、話をしてみると、建物総てを請け負う事ができるので全部見積もらせて欲しいということになったという。

 僕は、長野の工務店が何故、相当な遠隔地となる横浜の住宅一軒を請け負う事ができるのか疑問ではあったが、Yさんの求めに応じて長野の工務店宛てにY邸の図面一式を郵送した。そして、再び3週間が過ぎた頃、長野の工務店から事務所に見積書が届いた。Yさんの家にも同時に届いた様で、すぐに僕の所へ電話がかかってきた。Yさんの声は今までになく明るく弾んでいた。見積書の金額は、丁度、解体工事費分の金額が予算よりオーバーしていたが、Yさんがもうここに頼むしかないという金額に納まっていたのである。
  
 長野のその工務店は社長自らオーストラリアからレンガを輸入し、長野で木造レンガ積みの家を展開している工務店だった。さらに中国から職人を呼んで自ら教育し、レンガ積みから内装の漆喰塗りまでこの中国人の職人さん達が行なうので、レンガの値段も施工の手間賃も相当安く抑えられるという。

 また、構造材についても、元々、その工務店の発祥が材木屋であったので、信州の良材を安く仕入れることができた。流石に大工の仕事ができるほど時間をかけて中国人を養成する事はできないので、神奈川に住む腕のいい大工さんを頼み、現場管理は都内の知り合いの建設会社に依頼するということだが、金額が抑えられる条件が巧く揃っていたと言えるだろう。トントン拍子に契約となり、遂に幻となりかけていたYさんのレンガ積みの家の工事が始まったが、それなりに難しい現場であったため、順調に工事が進んだとは言えない。

 しかし、懸案となっていた「乾燥木材」については、Yさんも材木屋として長い間、無垢の木を扱って来た工務店を信頼し任せることにし、実際に上棟して組まれた構造材を見て、Yさんの心配も少し和らいだ様だった。そして、現場近くのウィークリーマンションに泊まり込んで毎日こつこつとレンガを積み上げてゆく中国の職人さん達の仕事ぶりにも目を細めるYさんだった。

 仕上げの段階に入ると、Yさんは職人さんから手ほどきを受けながら一階の自分の部屋の壁の漆喰塗りに挑戦し、フローリングに塗るオイルをYさんが自ら注文して塗っていた。どこかの壁に漆喰で絵を描きたいと言っていたので、もう竣工も近づいていた頃、現場に足を踏み入れた僕は、Yさんの寝室の東側の壁面いっぱいに描かれたYさんの想いを見付けて一瞬驚きながらも、百年後、歴史に残されたこの壁画がイタリアの修道院に描かれたフレスコ画の様な枯れた味わいを醸し出しているかもしれない、とフッと思ってしまった。

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