2009年5月10日日曜日

9-1.木造レンガ積みの家/施主のおしゃべりは大歓迎?

施主のおしゃべりは大歓迎?

 僕の本が出てから2年くらい過ぎた頃だったと思う。僕が本の最後のページで紹介していた「木造レンガ積みの家」を建てたい、というお客さんが現れた。そこに書いのは、ある工務店の事例として取り上げたものだったが、ぜひ僕に設計を依頼したいという。世間の常識から言えば、「その工務店を教えて下さい」と情報だけを得ようとするものだが、定年を過ぎた白髪まじりのこの施主は違った。

 最初にメールで打診を受けた僕は、兎に角,一度お会いしてお話を伺いたいと返答し、僕らはお互いの中間点となる地下鉄の駅側の喫茶店で待ち合わせた。Yさんは横浜市に住んでいて、元々土木関係のコンサルタント会社のエンジニアだったが、定年後、土質工学の専門家としての腕を見込まれ、今の会社で若い社員を指導しているとのことだった。彼自身、土木ではあるが設計の仕事に従事していたので、設計の重要性を良く理解している人だった。従って、自分の住宅を考える時も設計事務所に設計監理を依頼する、というのは彼の中では至極当然のことだったのである。

 Yさんは技術屋なので建築については門外漢であっても、自ら熱心に勉強し、とことん疑問点を追求してゆく、という技術屋魂みたいなものを持った人だった。だから、設計者にもそれ相当の知識と技量を求めていた。

 僕の本を読んで問い合わせをして来るお客さんの多くは「断熱マニア」と呼んでいいような人達が多かった。こういう人達は、断熱材や断熱工法に詳しく、一番良い断熱工法は何か、というようなことばかりに目が向いていて、それさえ見つければそれでいい家が建つと思っている様な人達で、こうしたマニアの人達の殆どが家づくりに失敗しているように見えた。断熱マニアは普通の設計者よりもずっと断熱についての知識が豊富なため、「専門家のくせにどうしてこんなことも知らないのか?」と、設計者に対して不信感を抱くようになってしまう。一度、そうなると他のどんなことでも単純には信用できない、という気持ちになり、家づくりにとって一番大切な設計者との信頼関係を築けなくなってしまうのである。

 どんな断熱材を使って、どんな工法を用いようと、設計者の設計力がなければそれが活かされないということを彼らは知らなかった。家をトータルに見る事ができなければ決していい家にはならない、ということを彼らは理解していない様だった。いい家を造りたいと思って勉強したことが返って仇になってしまうのである。

 しかし、Yさんはそんなマニアとはちょっと違っていた。まず、「大事なものは目に見えない」ということをよく知っている人だった。見えないものとは、例えば、地盤、構造、木の無垢材の乾燥、断熱、換気といったものである。その上で百年持ち堪えられる最良の素材を求めていた。だから、木造でありながらレンガを積む、という家に大きな魅力を感じたのだろうと思う。

 Yさんの家は築三十年になる古家だった。子供たちはとっくに独立し、奥さんも年金が貰える歳になって乳がんで亡くされ、今はそこに一人で暮らしていた。敷地は急傾斜の市道に面してひな壇に造成された土地で、斜面下の部分は宅盤の下をくり抜いてカーポートを自ら造成していた。隣地の石積み擁壁が古く神奈川県の崖地条例に抵触するため、建て替え時に何らかの対策が必要であると思われたが、道路を挟んだ南側は昔の城跡として保存緑地となっており、市中でありながら緑に恵まれた環境だった。

 Yさんは、男でありながら,兎に角、おしゃべりな人だった。僕が設計した家を一度見てみたい、と言うので、一軒の家を案内したことがあった。Yさんと東船橋で待ち合わせ、そこから車で三十分位のところにある夫婦二人暮らしの家に案内した。設計事務所にとって、お客さんに自分がどんな家を設計するのか,具体的に分かってもらうためには、自分が設計した家を実際に見てもらうのが一番良い。しかし、住宅というのはプライベートなものであるし、人がくれば奇麗に掃除をしておかなくてはならない、という気を使わせてしまうことになるので、設計者であってもなかなか気軽にお願いできる訳ではない。だから、見学者を喜んで受け入れてくれる家というのは、極めて稀でありがたい存在と言える。

 まだ四十に入ったばかりの夫婦の家は、僕自身が設計した住宅の中でも色々説明する材料に事欠かない家だったが、Yさんは、車の中でもそうだった様に、ひたすら身の上話や自分自身の家に対する思いに花を咲かせ、現地に到着してからも殆ど見学すべき家を見ていなかった。僕はやっと相槌を打つことができるくらいで、ただただYさんの思いを受け止めることだけに終始していた。折角自分の自信作のひとつを紹介できると意気込んでいた身にとってはいささか食傷気味だったが、それはそれで構わない。世の中には色々な人がいる訳で、自分がどんな家を望んでいるのか、それをきちんと表現できる人の方が少ないのだ。それに比べたらとことんおしゃべりをしてくれる人の方が設計をする上での情報量が圧倒的に多いのだから、むしろ歓迎すべき事なのである。

 Yさんは、今の古家を取り壊して、息子家族との二世帯住宅にしたい、という希望を持っていた。それを何故レンガ積みなのか、というと、孫に残してやりたいという思いがあるからだった。だから、百年は保つ長寿命住宅でなければならない。そんな事例は他にもあった。若い世代よりも、ある程度ゆとりのある老夫婦が長寿命住宅を求めるのである。自分達が死んでしまった後に自分達が生きていた証しを残しておきたい、自分達がいなくなった後もその子孫のために役に立ちたい、歳を取るとそんな想いが強くなるのかもしれない。
 木造レンガ積みの家は、Yさんにとってそんな想いを叶えられる家だったのだ。

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