2009年6月6日土曜日

12-7:大地に還る家/「大地に還る家」はこうして造られる


「大地に還る家」はこうして造られる

 「大地に還る家」は、そこから誰もがイメージする様に、その家が天寿を全うする時にその家を成り立たせていたそれぞれの部材が環境を汚染することなく大地に還ってゆくものでなければならない。しかし、リサイクル、リユースできるものが、現実にはごく限られたものであるのと同じ様に、単純に大地に還ってゆく材料というのもそう多くはない。

 例えば、現在最も安価で使い勝手の良い内装下地材として使われている石膏ボードも、石膏が昔から使われている自然素材なので安心であると思われがちだが、その主成分である硫酸カルシウムは土壌の地下水に生息する硫酸塩還元細菌の代謝を受けて硫化水素を発生させてしまうので、そのまま土に還して良いものではない。また、最近、普及して来ている給水・給湯配管システムの「サヤ管ヘッダー方式」に使われる「架橋ポリエチレン管」は半永久的に劣化しないとされ、僕も採用しているが、そういった配管類も建物解体時には産業廃棄物として処理しなければならなくなる。

 また、どんなにそれが「大地に還る家」に相応しい良い材料だと分かっていても、コスト的な問題で諦めざるを得ない場合も少なくない。例えば、木製サッシが良いのは分かっていてもそうそう使えるものではない。ではその次に性能の良い樹脂製サッシにするかと思えば、それは石油化学建材である。アルミサッシにすれば、アルミも原材料の輸入から製造までを考えるとその環境負荷の大きさが問題となる。こうしたコストの絡む問題は常につきまとい、僕らはそうしたもののひとつひとつに「優先順位」を付けて判断してゆかなければならなくなる。

 いずれにしろ現実的には、環境負荷に対する問題意識をきちんと持って今できることをしておくしかないということになる。「大地に還る家」は20年×10回という短期間にメンテナンスを必要とする家ではない。その位の実現性は見えているが、残された問題は時を追って解決されてゆかねばならないし、重要なのは、日本のその土地の気候風土に最も相応しい家づくりとしての「思想」を継承してゆかなければならないということである。


 では、「大地に還る家」という思想が今、体現できるものについてそろそろ整理しておかなければならないだろう。しかし、それは政府の200年住宅のような壮大なビジョンではない。未来を見据えて今できる事をより具体的に提示し、ひとつひとつその解決の道を探ってゆく事が一設計者の勤めであろうと考えている。従って、それは僕が自身の家づくりの履歴を時系列的に語って来たことをまとめる事に他ならないが、「大地に還る家」の当面の目標はまず、これまでの日本の家づくりの反省から始めなければならない。それらを箇条書きにまとめると次の様になるだろう。

大地に還る家とは

1)できるだけ石油化学建材に頼らない家づくり
湿気を通し難い石油化学建材の使用が、家と人の健康を損なわせて来た。住宅の「部品化」を担って来た石油化学建材の使用を見直し、家づくりを職人の「手仕事」に取り戻そう。

2)地産地消を目指し、国産材をフル活用する
地元で採れる無垢の木を、確かな技術で人工乾燥し、構造材として使用しよう。山に残されている間伐材、未利用材も合板、集成材、その他の建材の基材として用いる等、フル活用し、日本の森を守ろう。地産地消は木材に限った事ではない。家づくりに関わる産業は非常にその裾野が広く、必要な材料や技術を如何に無駄な物流コストをかけずに調達すことができるか、と考えれば、できるだけ国内で、近県で、地場で作られるものを、そしてその土地が育んで来た技術を使おうということになり、伝統的な産業、技術が復活し、地域社会の経済活動が昔の様に自然のサイクルの中に戻ってくるはずである。地球温暖化防止への施策とは、地域のアイデンティティを取り戻すことに他ならない。

3)地盤事故を起こさない、より確かな地盤調査の実施
信頼性の低いスウェーデン式サウンディング試験だけに頼らず、土を採取し、その性質を見極める事でより確かな地盤判定を行なおう。どんなにいい家ができても、足下が揺らいでは意味がないのだから。

4)構造計算(許容応力度計算)により、大地震でも安心な強度を確保
基準法に基づく壁量計算だけでは自由な設計に対応できない。許容応力度計算によって、より実態に即した構造性能を確保し、長寿命住宅が遭遇する大地震に対して「安心・安全」を確保しよう。

5)透湿する素材を用いて、その土地の気候条件に合ったより自然な断熱法の実現
「高気密・高断熱」後の住宅は、より自然に即した断熱としたい。北海道では冬場の暖房により、内外の温度差が大きく、内部結露を防止するための「気密」が欠かせないが、首都圏の温暖地では「透湿する壁」を造って内部結露の心配のない断熱をすることができる。「透湿する壁」は透湿抵抗理論という現代の科学によって産み出されたものだが、それは同時に日本の家づくりの基本に立ち返った断熱法であるとも言える。

6)その土地の気候・風土・歴史に即したパッシブデザインの実現
家とはそもそもその土地の気候・風土に合わせて人が過ごし易い室内環境をつくるためにその長い歴史の中で造られて来たものである。そのカタチには皆、意味があり、家はそれ故にその土地独特の美しさを持っているものである。その土地だからこそ生まれるデザインがある。そんな家づくりを、そして、そんな街づくりを僕らは取り戻さなければならないと思う。

7)家族を見つめ直し、これからの「家」のあり方を再構築する
一世代の中でも家族はどんどん変化してゆく。何世代にも渡ってその変化に対応できる「スケルトン・インフィル」の対応も必要だが、家族が変化してゆく時間軸を空間化してゆく事も大切である。そのためには、機能分化して来たこれまでの家づくりの考え方を改め、あえて複雑な機能を持たせ、多目的な用途に供する空間を仕掛けることで、家族のコミュニケーションを再生する助けになるのかも知れない。個人と世界がリアルタイムで繋がる究極の情報化社会の中で「家」の持つべき役割を今一度考え直してみる必要があるだろう。

“大事なものは目に見えないんだよ”

と言ったのはサン・テグジュペリの星の王子様である。
地盤、構造、木材の乾燥、断熱、換気といったものは目に見えないものである。しかし、「木の家」づくりを考え始めると、この目に見えないものが如何に重要であるか、ということが分かってくる。家づくりに使われるたったひとつの部材からでも世界を見渡すことができる。だからこそ、僕はひたすらこの目に見えないものに光を当てることにこだわって来たとも言える。

 人は「目に見えるものしか信じない」ものである。しかし、それではいつまで経っても本当にいい家を手にする事はできないだろう。僕ら設計者にとって、住宅の設計を依頼してくる建主も、実は目に見えないものである。建主は様々な思いを要望事項として出してくるが、大事なことはそこには書かれていない。僕らは建主の「言葉にならない声を聞く」ことができなければ、本当にその建主が求めているものをカタチにして提案する事ができないのである。それは、建主にとってみれば、設計者が見えない、ということと同じである。必要なことは徹底的にコミュニケーションを取ること、人は皆違うのだということを知ること、家族は皆違うのだということを知ること、その上で信頼関係を築くことが何よりも大切なことである。僕の積み重ねて来た失敗は、同時に建主にとっての失敗であり、その原因はおよそコミュニケーション不足に他ならないのだから。

 「大地に還る家」をひと言で言えば「持続可能な循環型社会を目指す家」である。そう言うと、昔の様な伝統的な家屋をイメージする人もいるかもしれない。しかし、そうではない。見えないものの重要性は変わらなくても、それが表現性までをも拘束するものではない。建主の趣向によっても、設計者の表現スタイルによっても違って当然である。しかし、例えば、最近は庇のない住宅が多いが、それに替わる日射遮蔽の手段が講じてあれば、そうしたデザインも活きるかもしれない。しかし、それがデザインのためのデザインであれば、その家の寿命はそう長くはないだろう。

 「大地に還る家」は、北海道で高気密・高断熱を学んだ一設計者が、首都圏という環境風土の中で住宅の設計をはじめ、そこで経験した様々な失敗を乗り越えながら辿り着いた目指すべき山の登山口に過ぎないのかもしれない。しかし、それは多くの設計者や家づくりを学ぼうとする人達が迷い込むけもの道ではない。その道は意図的に隠されて来たものではない。ただ、その道は、それを見ようとしない人達には見えない道なのである。(完)

2009年6月5日金曜日

12-6:大地に還る家/より自然な暖冷房を求めて


より自然な暖冷房を求めて

 パッシブデザインによって屋外の厳しい気候条件を和らげることができるが、それだけで快適な室内環境が得られる土地は多くはない。建築的な手法で賄えない分は何らかの機械的な方法で補わなければならない。北海道などの寒冷地では高気密・高断熱によって冬場の暖房費を一気に1/5〜1/7に落とす事ができたが、だからと言って暖房設備がいらなくなった訳ではない。

 首都圏地域は冬、寒いと言っても、北海道の様に生死に関わる寒さではない。しかし、快適な室内環境を求めれば、やはり暖房が必要となる。夏はその蒸し暑さが極めて不快であるとは言え、やはりそれも生死に関わるほどのものではない。しかし、快適さを求めれば冷房を考えなければならない。四季のはっきりしたこうした気候が豊かな自然の恵みを与えてくれるのは確かだが、パッシブデザインとしての「家」にとっては、暑さにも寒さにも、そして高い湿度にも対応しなければならないというのは、なかなか難しい環境なのである。

 高気密・高断熱住宅というのは、「高気密」「高断熱」「換気」「暖房」を4点セットと考えていたから、首都圏での住宅設計においても暖房をデザインすることは当然の事と僕は考えていた。最も失敗のない暖房方式は北海道で一般的に行なわれているパネルヒーターによるセントラル温水暖房だが、温暖地においてはそれほど完璧な暖房設備の要請はなく、常に予算をかけられないくらいそのプライオリティが低かったから、できる事はFF式灯油暖房機や深夜電力蓄熱ストーブ一台で家全体を暖めるというやり方が多かった。家全体の断熱性能が高ければ理屈の上ではそれでもOKと言えたのだが、実際には熱の発生源を分散しなければ、吹き抜けの大きさや位置、間取りによっては家の中で温度ムラができてしまう。理想的な暖房方式は、温風を出すタイプのものではなく、より自然な暖かさが得られる「輻射暖房」である。

 我が家で実験した暖房システムは外断熱を施したベタ基礎の上に温水パイプを固定し、ボイラーで60℃位に沸かしたお湯を循環させるという単純なものだった。この方式では温水パイプの熱が床下の空気を暖め、それを室内に取り込むということになるが、その間にジワジワと基礎躯体に蓄熱され、イメージとしては、早く室内に熱を伝える「伝導」と、ゆっくりと家全体を暖める「輻射」という2つの効果を狙ったものだった。

 それに対して「田園を眺める家」のシステムは、基礎躯体に温水パイプを埋め込み、コンクリートに蓄えられた熱の「輻射」だけで暖房しようというものだった。実は、この時期に発売されたばかりのヒートポンプを深夜電力で稼働し、夏には「輻射冷房」も行なうことができるというもので、日本で実現するはじめての輻射暖冷房となった。これまでこうした冷房が行なわれなかったのは、結露の問題があったからだが、蓄熱体となっているコンクリート躯体が結露域に達しない温度に設定できれば輻射冷房も可能であるということである。

 しかし、我が家での実験とこの「田園を眺める家」のシステムで感じた事は、基礎躯体を蓄熱体として使うと蓄熱容量が大きすぎてその効果を活かすには少し時間がかかりすぎるということだった。また、輻射だけで熱を伝えるよりもやはり伝導熱と輻射熱の併用を考えた方が効果的であるということだった。

 そこで「歴史を繋ぐ家」ではベタ基礎の上に断熱材を敷き込み、基礎とは熱的な意味で絶縁し、その上に温水パイプを布設し、蓄熱用のコンクリートで固める事にした。ヒートポンプは通常の電気温水器と比べて1/3〜1/4ほどの電気代に抑えることができるが、それを深夜電力で使えばさらに電気代を安く済ませることができる。これをさらに地下5メートルの地熱を利用するシステムとすれば、今考え得る最もランニングコストのかからないシステムとなるだろう。
 ところで、この輻射暖冷房システムにはひとつだけ欠点がある。エアコンなら冷房時に同時に「除湿」が行なわれるが、この輻射冷房では除湿ができないのである。だから、大きな除湿器かエアコンを除湿用として一台設置しておく必要がある。

 しかし、今、地球温暖化対策の一貫として、平成一八年にいったん打ち切られていた家庭用太陽光発電設備に対する補助制度が復活しており、電力会社に対する家庭などにおける太陽光発電の買い取り義務を課す制度の導入により、将来的にはそうしたシステムを絡めたゼロ・エネルギー住宅が確実に普及してゆくことになるだろう。


 ところで、「田園を眺める家」では、この輻射冷房以上に「外付けの電動ブラインドシャッター」の効果が非常に大きい事が分かった。室内側にブラインドを付けると日射熱の半分は室内に入って来てしまう。しかし、外付けのブラインドはその90%を遮る事ができる。これは情報としては知っていることだったが、実際に経験してみるとその圧倒的な効果に驚かされた。

 日本の家は昔から深い軒の出、庇によって夏の日差しを遮ってきたが、実は、庇の前の日射で暖められた地盤からの輻射熱が相当に室内気候に影響して、室内を涼しく保つ事ができなかったのである。外付けのブラインドシャッターはこの輻射熱にも有効に働いていた様で、夏場は朝から窓を閉め切っておけば冷房を入れてなくても結構涼しいという。北海道の高気密・高断熱住宅ではこの手はよく使われる様だが、首都圏で夏にこの断熱・遮熱の効果がそこまで活きるとは僕も期待していなかったのである。そう、パッシブ効果で済ませられるなら、それこそその土地の気候に即した理想的な家づくりと言えるだろう。

2009年6月4日木曜日

12-5:大地に還る家/「団らんの場」を再構築する

「団らんの場」を再構築する

 さて、「歴史を繋ぐ家」の子供達はすでに一番下の女の子が中学生なので夫々の個室が求められたが、三人の子供に夫々六帖という広さの個室が与えられるというのは、それだけでこの家がそれ相当大きな家であることが分かるだろう。事実、延べ床面積は60坪ほどになったが、しかし、この家の特徴的なところは「リビング」がないということである。この家の中心はダイニングであり、そこに8人は座れるくらいの大きな無垢の厚板のテーブルを据え付ける計画である。ダイニングに面した南側には六帖ほどの「籐(とう)」を敷き詰めた「籐の間」という料亭の様な雰囲気のあるスペースを設けているが、ここは専ら主人が客を美味い酒でもてなすための場として求められたものである。
 「リビング」のない家というのも僕自身初めてだったが、リビングとは何なのか、今一度考えてみるいい機会になった。

 まず、欧米と日本では「リビング」というものの基本的な意味が違うことに触れておかなければならないだろう。
 子供部屋について触れた時にもフランスの住宅の例を挙げたが、フランスにおいてリビングはSALON、即ち、客を招き入れる場であった。アメリカ映画でも玄関扉を開けたら即リビングという家がよく登場するが、これは欧米において「リビング」がパブリックな空間であることを明快に示している例である。(日本でそんな住宅のプランを作ったら、まず却下されてしまうだろう。)

 日本でも当初は少しでも文化的な生活を、ということで西欧風の間取りを取り入れて形から入ろうと試みたものの、日本人は「上がり框(あがりがまち)」という玄関の段差をとうとう取り除く事ができなかった。即ち、日本では玄関までがパブリックな場で、靴を脱いで玄関を上がればそこはもう家族だけのプライベートな空間となるのである。

 欧米では親が客を家に連れてくると、子供達は自室から出て来て客に挨拶をする。欧米の住宅におけるリビング・ダイニングは客を迎え入れる場、即ち、社会に開かれた場であり、プライベートな場所というのは家族夫々の個室しかないのかも知れない。しかし、子供達にとってはより社会への窓が開かれていると言えるだろう。

 日本の住宅もかつての伝統的な家屋では、囲炉裏から縁側廊下に面した続き部屋はおよそ家族のための部屋というよりは客を招き入れるための部屋として機能していたが、今の日本の住宅の殆どはそうした社会に開かれた機能を持ったスペースはなく、リビングは家の中心にあって家族が集いくつろぐ、いわゆる「団らんの場」というイメージが強い。
 しかし、ここで今度は家族の「だんらん」とは何なのか考えてみる必要がある。

 昔を振り返って、農家の間取りを見ると、三和土(たたき)から上がった畳の間か板の間の真ん中に囲炉裏(いろり)という火を焚く場所がある。
 囲炉裏は暖房という手段を持たなかった昔の家にとっての暖を取る場所であると同時に炊事の場であり、食事の場であったが、囲炉裏の上には火棚が吊られ、濡れた薪や衣服を乾かし、梁の上には野菜や種が貯蔵され、囲炉裏の煙はそのまま小屋裏に上がり、屋根の茅を燻蒸することで虫が付くのを防いでいた。
 このように、昔の囲炉裏は非常に多目的な機能を果たす場であったため、自然と家族が集まる場でもあった。

 しかし、この囲炉裏には家族が座る位置が厳格に決められており、封建的な家族秩序が守られていたのである。例えば、
ヨコザ(主人または長男の場所)
キャクザ(客の場所)
カカザ(主婦の場所)
キジリ(次男以下の場所)
というように。

 こんな時代には、世の中の情報は一家の主人が一手に握っていた。囲炉裏を囲んで主人の口から出る言葉が正に「社会の窓」だった訳である。
 しかし、こうした囲炉裏は、炊事は台所に、食事は食堂に、採暖は暖房器具に、というようにその機能の分化と共に失われていくことになる。それと同時に、家族が集まる、という求心力を失ってゆく事になった。

 都市生活においては、囲炉裏の代わりは「茶の間」であり、その象徴的な装置が「ちゃぶ台」ということになるのかもしれないが、その頃には「ラジオ」が社会の窓となり、それが「テレビ」に変わってゆく。
 「ちゃぶ台」は茶の間から分化したダイニングに、そして「テレビ」はもう一方のリビングに、ということなのかもしれない。

 実際に、今の日本のリビングは「テレビの間」であると言っても過言ではない。どの家にもリビングにはテレビがある。今では、家の中に何台もテレビのある家は珍しくないが、リビングにあるテレビは特別である。まず、一番大きくて立派なテレビはリビングにある。そして、そのテレビに向かってソファや椅子が配置されている。リビングを計画していると必ずテレビを何処に置くか、ということが一番の問題になる。即ち、リビングとはテレビを見る場なのである。

 では、テレビは家族を集めて、リビングを「団らんの場」にする上手い舞台装置になったのだろうか。リビングには家族皆で見られる様に家族分の席が用意されるが、しかし、現実には家族全員でテレビに向かっていることはまずない。子供から大人まで世代を超えて楽しめる番組などそうないからだ。子供達はお父さんが帰って来る前にリビングでアニメを見て、夕食を済ませるとそそくさと自室にこもる。例え、家族全員がリビングに揃ったとしても、皆がテレビに注視していてはそうそう家族の会話など生まれない。だから、リビングは「団らんの場」には成り得ず、ただ単に「テレビの間」でしかない。

 ではダイニングが「団らんの場」なのか。ある資料によると、テレビを見ながら食事をする家庭は76%もあるという。これでは、やはりダイニングも「団らんの場」としての機能を失っている様だ。しかし、この「団らんの場」はもっと極限までに消失してゆく事になる。

 高度経済成長期には「三種の神器」と言われる様に、家庭用電気製品が普及し、白黒テレビもカラーテレビに替わっていったが、これらは「ファミリー商品」と呼ばれ、家族が使う電気製品だった。しかし、大型のステレオ機器がラジカセになって持ち運びができる様になり、一九七九年に発売された「ウォークマン」は「個人向け商品」の誕生を意味するものだった。その後のパソコン、インターネット、そして極めつけの携帯電話の普及により、人は誰でも家族という媒体を通さずにいつでも何処でも自由に世界中の情報を手に入れる事ができるようになった。

 「家族の団らん」は、このように住宅からパブリックな機能が失われ、部屋が機能分化してゆき、社会情報が一家の主人の手から離れてゆくことによって失われていったのである。「子供部屋」を与えられた子供は、親から基礎的なコミュニケーション能力を学ばないうちから、部屋に籠りながら外の世界に飛び出してゆく事ができるようになってしまったのだから。


 「リビング」を作らなかったこの「歴史を繋ぐ家」は、ある意味では「家族の団らんの場」を再構築しようという試みでもある。第一に、この家の中心となる広いダイニングは、「籐の間」と共に客を招き入れる場として考えられている。だから、キッチンは独立型としているし、広いテーブルは家族と客が集うことが想定されている。また、このダイニングは食事だけのスペースではない。主人が新聞や雑誌を読む場所として、書架も設えられているし、家族の用に供する様々な棚や引出しが設えられている。このダイニングの上部は吹き抜けていて、二階の中心となるファミリールームと空間が連続し、家族の気配をいつも感じ取れる様になっている。このダイニングはあえて多様な機能を持たせることで、家族が自然と集まってくる場になることを意図しているのである。

2009年6月3日水曜日

12-4:大地に還る家/子供部屋は必要か?


子供部屋は必要か?

 「田園を眺める家」は、田圃の中の広い敷地の中にあるので、隣家がもし火事になった時に延焼を受けない様に防火認定を取っている外壁材を使わなければならないという心配もなかったので、総て板張りの外壁となっている。杉板張りなど、昔の家では当たり前だったが、防火上の規制や新しい物好きの日本人の性向で今は別荘地にでも行かなければ見られなくなったが、木の家には木の外壁が一番いい。防火サイディングなど、特に石油化学系の工業製品は新築の時こそ奇麗に見えるが、後は紫外線被爆による劣化が進み、どんどんみすぼらしくなってゆくだけである。それに対して、板張りの外壁は木の色が徐々にグレーがかった色に変化し、それは劣化ではなく味わいとしての深みを増してゆく様に見える。かつて、関西の建築家、出江寛が「古美る」という言い方をしたが、板張りの外壁はまさしくその言葉がしっくりくる。また、サイディングは全く通気性がないので、通気層が機能していないと忽ち外壁下地に腐れを起こしてしまうが、無垢の木の板は透湿性があるので程よく湿気を抜いてくれる。目新しさはないが、デザインの自由度は高く、「大地に還る家」には最も相応しい外装材である。

 そんな外壁工事が行なわれている頃、僕は津田沼にある築50年の平屋の伝統的木造家屋を壊して、そこに新しく建てる5人家族のための家を計画していた。それは縁側廊下のある典型的な日本家屋で、この時代の家は僕には宝の山に見える。繊細な浮き彫りが施された欄間、レトロなガラスが嵌め込まれた雪見障子、床の間を明るく照らす細かな桟でデザインされた飾り障子、縁側廊下の桁に掛かった5軒以上もある杉丸太、これらは皆、新しい家に使いたかったし、この家の解体時には屋根瓦を総て奇麗に剥がして一時保存し、新居ができてから玄関までの長いアプローチの鋪床に使いたいと考えていた。一番期待していたのは屋根を支えている構造材で、小屋裏を剥がした時にどんな古材がでてくるのか、そしてそれらを新しい家にどの様に使えるか、僕は古いものと新しいものが見事に融合した「歴史を繋ぐ家」の設計を進めていた。

 施主は僕とはほぼ同世代だったので、3人の子供も大学受験を控えた高校三年の長男、同じく高校一年の次男、それに中学生の長女という二男一女で、この年齢で新居を建てようという人は実は珍しい。普通は子供が学齢期に差し掛かる30代の親が、「子供に個室を与えたい」という動機で新居を構えようとするものである。
 しかし、今の親は何故、子供に個室を与えたいと考えるのだろうか。この場を借りて「子供部屋」というものについて少し言及しておきたいと思う。

 実は、「子供部屋」という言い方は日本独特のものなのである。アメリカでは明らかに子供が使う部屋であっても単に「Bed Room」という呼び方しかしないし、フランスの仕事で、現地の建築家に分譲住宅の参考プランを作ってもらったことがあるが、そこにも子供部屋と思われる部屋に書かれた室名は「CHAMBRE(寝室)」だった。

 日本における「子供部屋」という呼び名は、戦後の日本はアメリカ式の生活に憧れていたので、子供には小さいうちから個室を与えて独立心を育てるべき、という思いが反映されたものなのだろうか。しかし、日本では今でも乳幼児が親と一緒に川の字になって寝ているというのが現実であるとすると、それは当たっていない。では、個室を与えれば子供は勉強に集中できて、成績が上がり、いい学校へ入り、ひいてはいい就職ができると考えるからなのだろうか。そうだとすると、これもまた的外れな考えであると言わなければならない。少なくとも小学生の間は自室に籠って勉強をする子供などいないし、そんな子供であってはいけないと僕は思う。

 「家は小さな都市であり、都市は大きな家である」という建築家アルベルティの言葉は先にも登場したが、この「都市」を「社会」と置き換えてみよう。

 “家は小さな社会であり、社会は大きな家である”

 即ち、家は子供が社会へ出てゆく為のインキュベータ(保育器)であると考えると、親が子供を社会へ送り出すために必要な最低限の家庭教育というのは、次の3つのことに過ぎないように思われる。

1) 人の話しをちゃんと聞けること
2) 自分の考えをはっきりと言えること
3) 我慢すること

 人との関わり方、我慢強く折衝する力、要するに、コミュニケーション能力を身につけさせるということである。そう考えれば、子供が個室に籠る様では家庭教育にならないことが分かるだろう。少なくとも小学生までの間は、宿題はダイニングテーブルでさせても構わないし、リビング・ダイニングの一角に学習コーナーを設けておくというのでもいいだろう。静かな環境を与えてあげなければ勉強に集中できないのでないかと思われるかもしれないが、子供に個室さえ与えればそこで大人しく勉強をするという訳ではない。どちらかと言えば、子供に勉強をさせるにはそれなりの強制力が必要であり、母親が家事仕事をしながらでも子供の勉強に干渉しなければ、勉強をするという習慣は身に付かない。それこそ子供の勉強の基本はコミュニケーション能力を養うことなのだから、家庭内におけるコミュニケーションを密にする事の方が重要なのである。社会に出れば個室を与えられて静かな環境で仕事ができる訳ではない。どんな場所であっても集中すべき時には集中できるという訓練が必要だし、子供のうちの学習環境というのは、そういう意味ではあえてノイズの多い環境である方がいいのである。

 中学に入れば家庭で培ったコミュニケーション能力をより外の世界へ広げてゆく事になるし、そのための個人としての占有空間が必要となってくるから、必要なスペースを宛てがってあげるのはいいだろう。しかし、その場合でも南側の日当たりのいい部屋を用意してあげる必要はない。居心地のいい部屋ではなく、籠っていたくない様な部屋である方がむしろいい。中学、高校になればもう子供ではないのだから、それは「子供部屋」ではなく、Bed Roomでいいのである。

 大学に入れば、それが遠隔地であるなら、そのBed Roomもいらなくなる場合もあるが、中学入学から大学卒業までの期間を入れても子供のために必要なBed Roomは精々10年足らずの間のことである。そう考えると、家族というのは一世代の間だけでも相当短期間に変化してゆくものだし、住宅という空間は、本来そうした時間軸に添った可変性が考慮されていなければならないのである。

2009年6月2日火曜日

12-3:大地に還る家/ハウスメーカー主導の200年住宅

ハウスメーカー主導の200年住宅

 次に、2)の「耐震性が高いこと」というのは、200年住宅は100年に一度の大震災に必ず一度は遭遇する事になるのだから当然のとこであり、先に触れた様に、許容応力度計算によって構造の強度を確実に確保しておく必要がある。但し、構造計算というのは外力が横から加えられることを想定したものだから、直下型の地震が起きたらそれは想定外であり、木造住宅がどの様に変形し、倒壊にいたるのかは未知数である。

 次の3)内装・設備の維持監理が容易にできること、そして4)変化に対応できる空間が確保されていること、というのは「スケルトン・インフィル」を意味している。即ち、構造躯体は長持ちしても、キッチンやバス、トイレといった住宅設備機器や配管などはやはりその寿命が短いので、容易に更新できるようにしておく必要があるし、200年といえば6世代に渡って受け継がれてゆく家になるのだから、生活の変化に対応できる様に間仕切りなどの変更の自由度がより高くなくてはならない。長持ちする構造躯体(スケルトン)はそのままに、老朽化、変化のし易い内装・設備・間取り(インフィル)だけを交換できるようにしておかなければならない、ということである。
 
 5)長期利用に対応すべき住宅ストックの性能があること、というのは、どういうことだろうか。長寿命に耐え得る質の高い住宅のストックを確保するということは、まず、中古市場の活性化を促す事になる。また、建築廃材の排出削減による環境負荷の軽減を図ることになるり、新たに歴史を刻み得る町並みの形成へと繋がり、日本の国富における住宅資産割合を増加させることができる。しかし、戦後ずっと続いて来た政府の「持ち家支援政策」によって我が国の総世帯数4700万世帯に対してすでに700万戸も上回る住宅ストック数、即ち、700万戸もの空家がある現状をみれば、これから建てる住宅が中古となった時の市場を考える前に、現在建っている中古住宅の市場に対する具体的な施策がまず必要となるはずである。

 6)住環境へ配慮されていること、というのは、「地域の自然、歴史、文化その他の特性に応じて、環境の調和に配慮しつつ、住民が誇りと愛着を持つ事のできる良好な住環境の形成が図られることを旨とし〜」と解説されているが、大学で建築を学んだ設計者なら、小さな家一軒建てる時にも、その土地のコンテクスト(文脈)を読み取ることが「設計」という行為の重要なプロセスであることを知っているものである。
 これは住宅の造り手に求められることというよりは、行政のビジョンや、例えば、独占禁止法の不備によって巧妙に守られている「建築条件付き宅地」の仕組みを撤廃させるなど、法整備に求められる事の様に思われる。
 
 7)の計画的な維持監理や保全の履歴を蓄積すること、というのは、この7つあるポイントの中では一番の目玉と言えるかもしれない。これは即ち、「家歴書」の作成を義務付けようということである。その住宅の建設に携わった人間が200年後に生きている訳ではない。20年×10回のメンテナンスやリフォームによって200年住宅を達成しようということなのだから、新築時の設計図や仕様書、メンテナンスやリフォームの履歴をきちんと記録に残しておかなければ、到底200年の長きに渡って一軒の住宅を維持し続ける事はできないし、これまで不動産としての一軒の家が、「木造2階建て、築25年」といった僅かな情報だけで売買されていたものとは違い、資産価値としての家は、正に正しい記録の蓄積によってこそ担保されるものである。
 しかし、記録の事はともかく、「20年に一度のメンテナンス」ということについて、うがった見方をすれば、相変わらず石油化学建材を許容してゆけるように逃げを打っている様に思えなくもない。
 
 こうした「長期優良住宅」への取り組みは、ビジョンとしては評価に値するものだが、その実施に当たっては、同時に法制度の整備や税制改革も同時に実施されなければ、なかなか実効性のあるものにはなってゆかないだろう。


 ところで、「大地に還る家」は、この「200年住宅」を目指すべきなのだろうか。
 「田園を眺める家」は、海外暮らしの長かった商社マン夫婦が、老後、畑を耕して暮らしたいという希望でプランニングされた家である。即ち、子供のいる一般的な家族の家からすれば、随分変わった間取りをした住宅と言っていいかもしれない。しかし、設計事務所は常にこうした特殊解を求められているとも言えるし、それこそがハウスメーカーや工務店の家との一番の差別化と言って過言ではない。しかし、そう考えると、特殊解を求められる家はそれだけどんな住み手にも対応できるという汎用性が損なわれることになる訳だから、スケルトンにしても何世代にも渡って受け継がれる家にはなり難い。即ち、「スケルトン・インフィル」は「大地に還る家」を長寿命住宅として考える上では当然考慮しなければならないことではあるが、「200年住宅」とは、どちらかと言えば、ストック用の汎用住宅にこそ相応しい考え方なのである。

 事実、この「200年住宅ビジョン」を作成したメンバーには大手ハウスメーカーの重役の名がずらりと並んでいる。表向きはこれまでの日本の家づくりのあり方を大きく転換しようという風に見えるが、実際はハウスメーカーにとってより有利な新しい基準を作ってゆこうという目論みが見え隠れしている。平成12年に施工された品確法(住宅の品質確保の促進等に関する法律)による「住宅性能表示制度」も、もっぱらハウスメーカーや不動産デベロッパーが顧客に対して「安心・安全」性能を数値化して見せることで自社の提供する住宅が公的なお墨付きを得ているとアピールするための営業戦略の道具として用いられているのを見れば、このビジョンもハウスメーカー主導で押し進められてゆく事になるだろうことは容易に想像できる事である。

2009年6月1日月曜日

12-2:大地に還る家/耐久性とシロアリ対策

構造の耐久性にはシロアリ対策が欠かせない

 さて、福田元総理の数少ない業績のひとつと言えるこの「200年住宅」が満たすべきポイントとして、次の7つが挙げられているので見てみよう。
1) 構造躯体の耐久性があること
2) 耐震性が高いこと
3) 内装・設備の維持監理が容易にできること
4) 変化に対応できる空間が確保されていること
5) 長期利用に対応すべき住宅ストックの性能があること
6) 住環境へ配慮されていること
7) 計画的な維持監理や保全の履歴を蓄積すること

 木造住宅に関して言えば、1)では木の柱や梁が腐朽することなくそのまま維持されることが求められている。その為にはまず、構造体となる木材が常に乾燥した状態にあるということが最も重要であるが、その上でやはりシロアリ対策が必要となる。当然、土台にはシロアリの食害に強いヒノキやヒバ、クリといった樹種が求められるが、肝心なのは、通常「赤身」と呼ばれている硬い芯材を用いなければならないということである。

 僕は、自宅のデッキテラスを作る時にお金が掛けられなかったので、CCA加工(防虫防腐薬品処理)などされていない普通の2×4材を敷き並べ、年に一度、防腐塗装を施したが、それでも大体の部材はすぐに腐食菌にやられてボロボロになってしまった。しかし、その中に一〇年経っても腐ることなくそのまま使える材が1/3くらいはあった。それらは皆、芯持材であり、一般的に耐久性がないと言われているSPF(スプルス、パイン、ファー)材であっても、ちゃんと芯持材を使えばその耐久性は全然違うことが分かり、それ以来、コストの厳しい住宅の設計で、デッキテラスを作る時には、2×4材の小口を見て芯持ち材だけを選んで使う様にしている。木の耐久性というのは、その材種もさることながら、その材のどの部分を使っているか、ということが如何に重要であるか分かるだろう。だから、以前はヒバの芯材を土台に使って、健康被害が懸念される防蟻処理を行なわないことも多かった。

 しかし、最近は在来のヤマトシロアリやイエシロアリに加えて、乾燥した木材にも食害を与えるアメリカ産のカンザイシロアリも日本に上陸して猛威を振るっているので、今はやはり何らかの防蟻処理はしておかなければならないだろうと考えている。防蟻剤には、当然、農薬由来の劇物によらない健康に配慮したものが求められるし、その効果が持続するものでなければならない。最近では、ヒバ油(青森ヒバを水蒸気蒸留して作った精油)や木酢液(炭を作る時に出る煙を冷却したもの)、あるいは、炭そのものの防虫・防腐効果を活かしたもの、シロアリに対する忌避性が強いといわれる月桃(沖縄のショウガ科の植物)から作られたものなど、天然素材から作られた、いわゆる自然系の防蟻剤も開発されている。しかし、自然系なら人体への安全性が高いと思われがちだが、原料によってはアレルギー症状を引き起こす例もあるので、採用に当たってはサンプルで事前にアレルギー反応の有無を確認しておくことも必要だろう。

 また、最近では高断熱・高気密仕様として、コンクリート基礎の立ち上がり外周部にスタイロフォームなどの発泡プラスチック系断熱材を使って外断熱とする場合があるが、シロアリは好んで断熱材の中に蟻道を作って登ってくる性向があることが知られており、パフォームガードといった防蟻剤を混入した断熱材を用いる様にするか、首都圏地域などの温暖地にあっては、基礎部分については内断熱にする、といった配慮も必要となる。

 さて、木材はシロアリの食害を受けるだけではなく、微生物によっても分解されてしまう。特にナミダダケ、ワタグサレダケ、カワラタケという木材腐朽菌によって腐ってしまう。シロアリとこれらの腐朽菌は繁殖するために必要な水分、養分、あるいは温度がほぼ共通しているため、シロアリが生息する地域では防蟻処理と防腐処理を同時に行なうことも忘れてはならない。

 しかしながら、現時点で可能なベストな防蟻・防腐処理が行なわれたとしても、200年という長期に渡って構造材が腐ったり、シロアリの食害を受けることを完全に防ぐことは難しい。その為にも、柱材はそれが土台廻りで腐ってしまった時に下部で切断して据え換える事ができるように、即ち、業界用語で言うところの「根継ぎ」ができるように、最低限4寸(120センチ)角以上のものを使う様にすべきだろう。何故なら、現在最も一般的に使われている3.5寸(105センチ)角では、当面、強度的な意味では支障がないにしても「根継ぎ」ができないからである。

2009年5月31日日曜日

12-1:大地に還る家/匠の技は「暖房」に対処する術を知らない



匠の技は「暖房」に対処する術を知らない

 政府自民党による「200年住宅ビジョン」が動き出している。イギリスは約77年、アメリカが約55年、そして日本が約30年と、各国の住宅の寿命をこのように比較して日本の住宅がいかに短命であるかと語られて来て久しいが、確かにアメリカでは住宅資産が30%を越えているのに対して、日本の国富は約半分を土地が占めており、住宅資産割合は僅かに9.4%に過ぎない。イタリアの市中に暮らしていた時にも感じていたことだが、確かに500年以上も前に建てられた建物がその長い歴史を刻みながら今もその堂々たる風情を保っているのに対し、今の日本の街はどこも個性がなく薄っぺらで、家々はとても価値がある様には見えない安普請である。そんな日本もやっとスクラップ&ビルドの消費住宅から資産としての住宅へ、ストック社会へと踏み出すことになるのだろうか。

 しかし、200年住宅と言っても、200年保つ家を造るということではないらしい。20年×10回ということで、20年毎にメンテナンス、リフォームをすることで200年保たそうということらしいが、「200年」というのも何か根拠があって数字ではなく、国では以前にも長寿命住宅を推進しようと「センチュリーハウジング」というのをやったことがあるので、それでは今度は「100年」の次だから「200年」と言っているに過ぎない様である。

 しかし、日本には築後200年を経過した木造建築で、メンテナンスが全く行なわれずに今も何の支障もなく使われている建物が300棟以上あるということは先に述べた通りである。基本的に構造材として用いられている木が腐らない状況で維持されてさえいれば、木造建築は何百年でも持ち堪えることができるのである。それが現在の木造住宅においてできないのは、勿論、様々な要因があるが、気密化の促進によって湿気の逃げ道がなくなったこと、外気と室内の温度差による結露の発生といったことが主因と言えるだろう。

 即ち、千年単位の長い歴史を通して発達し、綿々と受け継がれて来た日本の木造技術とは、内外の温度差のない環境での家づくりであり、伝統的な匠の技は「暖房」という要請に対処する術を知らなかったのである。「暖房」するためにはこれまで培って来た木造の技術、即ち「湿気を溜めないための技術」をことごとく否定し、室内を外気と遮断しなければならない。そうすると忽ち「結露」の問題が発生してくる。結露が発生すると木は容赦なく腐ってしまう。「暖房」という要請は、これまでの日本の家づくりが全否定されるに等しかった。

 木造住宅の気密化が結露問題を顕在化させ、カビ・ダニの発生によるシックハウスを引き起こしてしまうのは当然の結果であり、その対処法に対する試行錯誤が始まってまだ半世紀も経っていない中にあって、「やはり伝統的な家づくりに戻ろう」という反動も当然の様に起こってくるが、「暖房」せずに昔の様に囲炉裏や火鉢で「暖を取る」、即ち「採暖」だけで冬の寒さを凌ぐ覚悟がある人なら、それで何も問題はない。しかし、声高にそう吹聴する人達に限って、しっかり空調の効いた部屋の中でそんな原稿を書いているものである。

 木造住宅における「暖房」という要請に応えるためには、科学の力を借りて「結露」という問題に対処する匠の技を再構築してゆく必要があるのである。

2009年5月30日土曜日

11-6:長寿命住宅への課題/実は、木造の構造が一番怪しい


実は、木造の構造が一番怪しい


木造住宅の安全性を検証する3つの方法

 耐震偽装事件によって、それまでプロの我々でさえ疑ってみた事も無い建築物の安全性について、その信頼性は一気に崩れ去ってしまった。構造を専門にしている設計者が、まさか耐震偽装を行なうなど誰も予想していなかったし、建築基準法においてもそれは正に想定外のことだった。お陰でそれまで性善説で成り立っていた基準法も、一気に性悪説に変わり、突然、極端な締め付けが行なわれた事によって、建設業界は官製不況に落ち入ってしまった。

 これだけ厳しくなれば、建築物の安全性はもう問題ないだろう、と思われている方が多いかもしれない。しかし、木造住宅については、耐震偽装問題とは別に、構造の安全性については未だに曖昧な部分が多々残されている。そして、多くの設計者がその問題点を知らぬまま木造住宅の設計をしているのである。

 ここでは、木造住宅の構造の安全性について実際にどのような検証が行なわれているのか、そして、どこにどんな問題が残されているのか、取り上げてみたいと思う。

 現在、建築基準法において構造計算(許容応力度計算)が必要とされているのは木造3階建ての場合のみであり、木造2階建て以下の場合には構造計算が必要とされていない。仕様規定として、壁量計算、壁のバランス、柱接合部の3つのチェックのみで、それ以外は建築士の判断に任されているのが現状であり、こうしたチェックを行ったかどうか、ということも確認申請時にはその提出を免除されているのである(今後、提出を義務付ける方向で検討されているが、)。また、旧基準法においては壁量計算のみのチェックで、壁のバランス、及び柱接合部のチェックが付け加えられたのは、関西淡路大震災による法改正の時だった。これにより在来軸組工法による木造住宅の構造的なウイークポイントが随分改善された訳だが、問題点を総てクリアーした、という訳ではないのである。

 現在、木造住宅を構造的に検証する手段として次の3つの方法がある。
1) 建築基準法の告示等で示されている方法(壁量計算法)
2) 住宅の品質確保の促進等に関する法律(品確法)の新壁量計算法。
3) 許容応力度計算法。


建築基準法における壁量計算法の問題点

1) 計算上の耐力と実際の耐力にズレがある。
  壁量計算法では耐力壁の実験に基づき壁倍率を決めているが、垂れ壁、腰壁、間仕切り壁などの耐力を評価基準から外している。そのため、建物の実際の耐力と計算上の耐力が大きく異なり、正確な建物の耐震耐風性能の評価ができないのである。

2) 必要壁量が過小に評価されてしまう場合がある。
  壁量計算では必要な耐力を床面積1平米当たりの耐震必要壁量として定められているが、まず、その値の元となった固定荷重が低めに設定されている、という問題がある。
 2階建ての場合など、そのモデルは「総2階建て」を想定したものであるため、建物形状が複雑な場合に外壁や屋根軒先の重量、下屋の屋根重量が大きくなることが見落とされ、結果として、不整形な建物や重たい屋根の建物の場合には、必要壁量が過小に評価されてしまう場合がある。

3) 床剛性が考慮されていない。
  壁量計算法は耐震要素として壁の剛性のみを規定したものだが、実際には床にも剛性がなければ例え壁量を満たしていても耐力壁に力が伝達されず、床が先行破壊されて倒壊する恐れがある。
 例えば、外周部に面して「吹き抜け」や「階段」等が設けられた場合には、その外周部の耐力壁に力を伝達する「床」がないので、その周辺の床を通常より剛にして力を伝達するなどの配慮が必要となるはずなのだが、基準法ではこの極めて重要な要素が欠落しているのである。

4) 過剰な仕口金物
  関西淡路大震災の時に、耐力壁として筋交いがきちんと入っていても柱が土台から抜けて倒壊してしまっている、という教訓を元に、仕口金物の規定ができた。
  金物の設置方法は、告示1100号の表から求める方法とN値計算による方法の2種類が示されている。
  告示1100号の表の根拠となるN値計算法は、耐力壁が地震等の水平力を受けて両側の柱が浮き上がろうとする力を押さえ込む、柱自重の値が出隅の柱とその他の柱で一律に定められており、実質にそぐわない過大(又は、過小)な金物が設置されてしまうことがある。
  また、告示1100号の表は、計算を簡便にするため、2階建ての1階柱では上階からの引き抜き力が過大(安全側)に設定されており、必要以上の箇所に、また、必要以上に大きな金物を設置しなければならない結果になっている。

 この様に、基準法の規定ではまだまだ構造の問題に対して不備があることが分かるだろう。
 次に品確法の新壁量計算法ならどうなのか見てみよう。


品確法における新壁量計算法とは?

 品確法(住宅の品質確保の促進等に関する法律)で示された新壁量計算法では、基準法の壁量計算法における必要壁量を見直し、より実際に近い数値を採用している。
 これまでの壁量計算法では明確な評価基準のなかった雑壁についても、新たに条件設定をし、その条件を満たすものについては存在壁量として評価している。

  注目に値するのは壁量計算法で抜けていた床剛性についての評価である。床にかかる剪断力を算出し、それに見合った剛性をもつ床を適宜配置することで、耐力壁に有効に力が伝えられることになる。
 このように新壁量計算法では基準法の壁量計算法における弱点を巧く補うものとなっている。
 しかし、建物仕様が大雑把に「軽い」「重い」という2種類から選択しなければならない仕様規定になっているため、まだ実体にそぐわない部分が残されていると言える。


これなら「安心・安全」がかなう許容応力度計算法

 さて、品確法の新壁量計算法では、あらかじめ耐力要素の倍率(壁倍率、床倍率、接合部倍率)を各部位の評価法や実験に基づいて定め、それを仕様規定としてその数値を計算式に当てはめてゆくものだったが、一般に構造計算と呼ばれるのは「許容応力度計算」のことで、この計算法では実体の建物重量から必要壁量を算出して外力を求めてゆくことができる。

 即ち、標準化された仕様規定にあまり縛られることなく、どのような重量をもった、そして、どのような形状の建物であっても、実際の建物に即した構造設計が可能となる訳である。
 例えば、2階横架材(梁等)の上に柱がある耐力壁の場合にも、横架材の曲げ剛性により低減された壁倍率が算定され、より実体に見合った計算が行われる。

 壁のバランスについても、壁量計算法、並びに新壁量計算法における側端充足率より詳細な偏芯率の検討が行われる。その上で、耐力壁線間を移動する剪断力を算定し、それに見合った剛性をもつ床を適宜配置することができる。

 継手・仕口(木材同士の接合部)に用いる金物についても、架構をトータルに計算し、より実体に即した適正な金物の選定とその配置が可能となる。

 即ち、許容応力度計算によってやっとどのような形状の建物に対しても実体に即したより正確な安全性の確認ができるということである。


木造住宅の構造はまだ「安心・安全」に応えられない?

 先に述べた通り、木造2階建ての建物(住宅等)では建築基準法で構造計算(許容応力度計算等)が求められていないので、実際に最も多く用いられているのは一般的な壁量計算法である。品確法における新壁量計算法は、住宅性能表示の耐震等級2、あるいは3が求められる時に必要となるものである。(耐震等級1は基準法の壁量計算で求められる値)

 上記の3つの計算法が木造2階建ての住宅に用いられている割合を想定してみると、九割方が壁量計算法によるもので、住宅性能表示の普及状況からみて新壁量計算法が用いられているのは一割を切り、残りのほんの僅かが許容応力度計算法によって構造チェックがなされているにすぎないと言えるだろう。
    
 耐震偽装事件を受けて平成19年に改正基準法が施工されたが、それでも木造住宅の構造については未だに曖昧な状態のまま取り扱われているのが現状なのである。

 地震国日本において戸建住宅の殆どは木造住宅である。大震災の度に法改正が行われ、木造住宅の構造性能は格段に向上したと言えるかもしれない。それでもまだまだ私達の「安心・安全」に応えてくれるものにはなっていないということを知っておく必要があるだろう。


参考文献:木構造建築研究所 田原HPともいきの杉HP
     「木構造と耐震技術 ー木質構造の近年の動向ー」武蔵工業大学工学部教授 大橋好光
     「わかりやすい木造設計の手引」里川長生

2009年5月29日金曜日

11-5:長寿命住宅への課題/コンクリートの寿命


コンクリートの寿命

 「田園を眺める家」の地盤は、田圃を埋め立てて造った造成地で、コンクリート擁壁に囲まれて周囲の田圃より1メートルほど高く盛土されていたので何らかの地盤改良が必要になるだろうと踏んでいたが、調査の結果はベタ基礎とすればそのままで十分問題のない地盤である事が分かった。これで、見えないところに百万円あまりのお金をつぎ込む必要がなくなる。

 地鎮祭を済ませると、すぐに基礎工事に取り掛かることになるが、考えてみれば今は木造とは言っても、基礎だけはコンクリートで造ることになる。木が湿気を帯びて腐ることのない状態を保つ事ができれば、木造という架構は何百年でも保ち応える事ができる。しかし、それを支える基礎のコンクリートというのはいったいどのくらいもつものなのだろう。

 大手ゼネコンが超高耐久性コンクリートの研究に盛んに取り組んでいる、という記事が新聞に載ったのが今からおよそ3年前のことだったと思う。それが今「100年コンクリート」という言葉になって一人歩きしている様だが、耐震偽装事件で大きなダメージを受けたマンションメーカーによる起死回生の宣伝文句になっている様である。

 しかし、コンクリートというものは、砂と砂利とセメントと水を混ぜ合わせると化学反応によりどんな方法でもその殆どがコンクリートとして固まってしまうのであり、紀元前からの長い歴史がある。ローマのパンテオンはローマン・コンクリートと呼ばれる古代コンクリートでできており(鉄筋は入っていない)、すでに2000年もそのまま建ち続けている。

 鉄筋コンクリートは、19世紀にフランス辺りの花屋さんがコンクリートで成形した鉢が壊れ易いので、針金を中に入れて補強した、というのがはじまりとされているが、鉄筋コンクリートはコンクリートと鉄の膨張率がたまたま同じだったという奇跡によって成り立っている。圧縮に強いコンクリートと引張りに強い鉄筋が一緒になって無敵の構造体となった訳だが、しかし、この時、同時に宿命的な寿命が与えられてしまうことになった。

 それは、そもそもアルカリ性であるコンクリートが中性化してゆくことにより鉄筋が錆びてしまう、その錆びの進行速度が鉄筋コンクリートの寿命を決める、ということである。

 今までの鉄筋コンクリートは鉄筋が錆びてその強度が保持できなくなるまで約65年ということだったが、鉄筋が錆びる速度を落とす事で期待耐用年数を延ばす事ができるようになった。

 「100年コンクリート」という言葉は法的にも建築学会の資料にも見当たらないが、日本建築学会の「建築工事標準仕様書・同解説ム鉄筋コンクリート工事JASS5」という中に100年という数字がでている。それによると鉄筋の腐食確率3〜5%という前提がある。その上で、水セメント比が48.5〜52%とされている。

 しかし、水とセメントを合わせると固まる、というのは化学反応であり、コンクリートの水の量はセメントの40%が飽和量とされているから、それ以上の水は反応せずに出て来る事になる。では何故、飽和量以上の水を入れるのか、と言えば、コンクリートを柔らかくしないと、型枠の隅々までコンクリートが巧く入ってゆかないからである。しかし、この余分水が抜ける時に目に見えない水みちができて、後にそこからコンクリート中に空気や水蒸気、水などは入り込むことで鉄筋が錆びてゆくことになる。超高耐久性コンクリートを作るには,如何にしてこの水みちを作らない様にするか、ということなのである。

 それで大手のゼネコンが研究していたのが「耐久性改善剤」と呼ばれるもので、これによってコンクリート中の水みちや空隙を塞ぎ、鉄筋の腐食を防ごうと考えた。この耐久性改善剤の量を制御する事で鉄筋コンクリートの期待耐用年数を割り出す事ができるようになり、竹中工務店による平城宮朱雀門基壇復元工事では耐用年数500年の超高耐久性コンクリートが用いられている。

 「大地に還る家」は、当然、長寿命住宅を目指すものだからそれに見合ったコンクリート基礎の寿命が求められる。政府与党が展開している「200年住宅」構想では、『長寿命化のための基本戦略=200年もつ住宅ではなく、20年×10で“もたせる”住宅』であるという。即ち、メンテしながらもたしてゆこうという発想だが、コンクリート基礎についてはメンテしながら、という訳にはいかない。住宅を200年保たそうとするなら、200年もつコンクリートが必要になる筈である。超高耐久コンクリートを早く住宅の分野まで普及させる必要がある訳だ。

 さて、「大地に還る家」は長寿命住宅でなければならないが、最終的にはその名の通り大地に還るものでなければならない。これまで住宅が解体されると、基礎のコンクリートは現場で粉砕され、中に入っていた鉄筋は鉄屑としてリサイクルの道があったが、粉砕されたコンクリートは産業廃棄物として捨てられていた。しかし、現在、増加の一途を辿る廃コンクリートに対して、処分場の許容力はあと数年の余裕しかないという状況を踏まえて、奥村組や三菱マテリアルといった企業がコンクリートリサイクルに取り組んでいる。「大地に還る家」が実際に大地に還る頃にはコンクリートも普通にリサイクルされるようになっていることだろう。

2009年5月28日木曜日

11-4:長寿命住宅への課題/スェーデン式地盤調査の問題



スェーデン式地盤調査の問題

 さて、施主との設計監理契約が取り交わされると、晴れて本格的に設計という本来の業務に取り掛かれる訳だが、すでに基本設計が終了しているので、敷地のどの位置に建物を配置するかも決定済みである。建物の配置が決まれば、どのポイントで地盤調査を行うか、ということを明確に決める事ができるので、その時点で晴れて敷地の地盤調査を行なうことになる。地盤の安全性を確認しておかないと、どんなに素晴らしい家が出来上がっても不動沈下で家が傾いてしまっては元も子もないし、もし何らかの地盤改良工事が必要となれば、そうした隠れてしまう部分の予算も予め考慮に入れた設計をしなければならないからだ。

 「木造レンガ積みの家」では、以前あるハウスメーカーが営業で勝手に地盤調査をしてくれたのだという。通常、ハウスメーカーでは、契約前に本来なら十万円はかかる地盤調査、測量調査、役所調査という事前調査の三点セットを五万円位でやってくれる。ハウスメーカーにとっては五万円の損になる話しだが、これが顧客獲得の巧妙なテクニックなのである。客は多少でもお金を払うと、そのお金を無駄にしたくないという心理が働くので、この事前調査を行なった客の殆どがそのメーカーと契約することになる。五万円は有効な営業経費なのである。だから、地盤調査だけではあっても、ハウスメーカーの営業マンがただで地盤調査を申し出たというのは、相当見込みのある客と踏んでいたのかもしれない。しかし、その営業マンはYさんという人を良く分かっていなかった様だ。そんなサービスがあだになってしまうとは考えても見なかったのだから。

 Yさんご自身が土質工学の専門家なのである。その地盤調査報告書を手にしたYさんは、その調査のいい加減さに閉口したのだと言う。報告書の内容についてYさんが色々指摘したところで、建築の知識どころか、地質工学の知識など全く持ち合わせてはいない営業マンには返答のし様がない。一気にYさんの信頼を失った営業マンは退散し、その地盤調査報告書だけがYさんの手元に残されたのだった。
 設計者であっても勿論、そうそう地盤に詳しい訳ではない。内容は極めて専門的であったためその詳細は把握していないが、地盤調査にまつわる様々な問題について僕が知ったのは正直その時が初めてだった。

 現在、スウェーデン式サウンディング(SS)試験結果から支持力を求め、住宅の基礎形式・構造に反映することが一般的に行われる様になり、裏付けとなる地盤の許容応力度や基礎の構造方法などについての法令も整備されて来たのだが、実は、住宅の不同沈下(軟弱地盤などの要因で、建物が不揃いに沈下を起こすこと)事故は一向に減っていないという。

 その原因はSS試験そのものにあった。この試験は、先端に金属製のスクリューポイント(やりの様な鋭い
先端部)を取り付けた金属棒の上部に重りを載せて回転し、貫入させる方法を取るが、金属棒が深さ25cm貫入するまでにかかった半回転数を使って地盤の許容応力度を算出するものである。許容応力度とは地盤の硬さ、支持力の強さを意味する。

 ところが、地盤の「支持力」と「沈下」は全く異なる現象なのである。即ち、SS試験では支持力を求め
る事はできるが、沈下を判定することができないのである。SS試験の欠点は、地盤の見かけ上の強さだけを見て、土自体の性状を全く確認する事がない、ということにある。地盤を構成している土が、砂質なのか粘土質なのか、関東ロームなのか、土の性質が不同沈下に大きく関わっているのである。

 本来、一般にボーリング調査と呼ばれる標準貫入試験を行うのが現在最も信頼性の高い地盤データを得る事ができるのだが、住宅の様な小さな建物に対して1本20万も30万もする調査を行うのは施主の負担が大きいので、安価なSS試験を採用する事になる。そのため、山を削って谷を埋め、平らにした宅地造成地などではSS試験では判定できない不同沈下事故が起こってしまうのである。

 地盤調査の結果データを地質工学の知識を持った専門家が検証し、地盤調査報告書を作成してくれるところはまだ良心的な調査会社と言えるのかも知れないが、そのデータ自体が間違っている場合がある。実は、先端に取り付けるスクリューポイントが磨耗しているために、貫入の際、空回りして回転数が多くなり、柔らかい地盤を硬いと過って判定してしまうことがある。日本工業規格(JIS)には「最大径で3mm程度以上減少したものは使用しない方が良い」との記述があるだけで、基準が明確になっていないため、調査を行う作業員自体、その使用限界を知らないまま作業が行われていることが多いのである。だから、我々設計者は必ず現場に立ち会い、スクリューポイントの外径をチェックし、その写真を調査報告書に必ず添付させる様にしたい。

 地盤についてはまた逆のケースもある。首都圏地域のいわゆる関東ロームなどの特殊土は、SS試験ではかなり過小評価された結果が出て軟弱地盤と評価され、無用な地盤改良工事の負担を施主がかぶってしまう様な場合もある。

 また、地盤調査会社の多くは自社で地盤改良工事を行う会社である場合が多く、さらに、地盤保証などを付ける場合、地盤改良工事が必要である、という調査結果を意図的に引き出し、しっかり自分達の仕事を確保している業者も珍しくはないのだという。

 Yさんの専門的な話しを聞くまでは私もそうだったのだが、住宅の設計者は建築の設計の中でも意匠設計がメインの設計者であり、地盤については専門外ということで業者任せにしている場合が多く、その点では施主の利益を守るべき設計者が、その役割を十全に果していないとも言えるのである。この「地盤」は正に最も目に見えない部分であり、その重要性を教えてくれたのはあのYさんだった。

 「田園を眺める家」の地盤調査は、専門家のYさんが師と仰ぐ人で、学会の重鎮となっている先生が営む
地盤調査会社に依頼した。この会社は自ら地盤工事を行なわない地盤調査専門の会社で、当社のウェブサイトにも載っているが、SS試験では分からない土の性質を、手回しで金属製の筒を掘り下げてゆくハンドオーガーという器具を使って土を直接採取し、確認するようにしている。直接、土を見て、触れてみること、その土地の土質を知る事が調査の基本であり、それなしに地盤を判定する今のSS式地盤調査に疑問を呈するその道のプロの言葉は重い。
 「大地に還る家」は、目に見えないものの本質に迫るものでなければならない。


参考文献:アートスペース工学HP
     「土質調査の基礎知識」(鹿島出版会)小松田清吉

2009年5月27日水曜日

11-3:長寿命住宅への課題/国産材をフル活用する


国産材をフル活用する

 日本の森林のうち約60%が天然林、そして、残りの40%が人工林である。植林は江戸時代当たりから盛んに行われていたが、それが第二次世界大戦の混乱の中で一時期荒廃することになる。しかし、戦後50年代後半頃までには伐採跡地への植林が一段落し、60年前後に生じた炭や薪の需要の拡大に伴って70年代に入る頃まで民有林において毎年30万ヘクタールの規模で造林が拡大して行った。

 燃料としての需要に対しては若木や間引き伐採される、いわゆる間伐材で用は足りたが、高度経済成長期に入ると、それは石炭、石油にその座を奪われ、木材はパルプや住宅用材としての需要が急激に高まってゆくことになる。そこで、国の造林政策が後押しする中、雑木林の山を持っていた農家がよりお金になるスギやヒノキを植えるようになり、全国に膨大な杉林ができた。

 人工林はそもそも人間の経済的価値に基づいて、それこそ人工的に作られた植生なので、苗木を植えたら後は放っておいても勝手に自然の中で大きくなる、というものではない。造林、保育、間伐、伐採という手間のかかる一連の作業が適時適切に行われなければならない。

 しかし、この時点では国内には利用可能なまでに成長した人工林がまだ少なかったため、この時期を通じて丸太輸入の自由化が段階的に実施されることになる。
 すると、日本の林業は高度経済成長に伴う労務費等の経営コストの上昇、労働力の都市部への流失、高齢化の進行、山里における過疎化が進み、間伐などの手入れが行われず、放置されていった人工林はどんどん荒れ果ててゆくことになった。

 国際市場経済の波に飲まれた日本の木材は現在、昭和58年のピーク時と比べると、1/7〜1/8の値段になっているというのだから、如何に林業がひとつの生業として成り立たなくなっていることが分かるだろう。そしてそんな日本の人工林の約三割がすでに危機的な状況にあるという。

 一本の苗木が住宅の構造材として使える大きさになるまで60〜70年かかる。そして戦後60年、人工林は荒廃し続ける中にあって、すでに主伐の対象となる樹齢に達している木が多く残されているのである。
 林業に携わる人達の多くが低賃金、出来高払いというような労働を強いられている現場の雇用構造から抜本的な改革が必要となるが、合理化によるコスト削減に勤めながら、今まさに日本の林業の再構築を図り、国内の森林資源の活用を真剣に考える時が来ていると言えるだろう。その為には、まず国が率先して日本の森を守る施策を講じなければならないことは明らかである。

 さて、「大地に還る家」の方針として「できるだけ石油化学建材を使わない家づくりをしよう」と言っているので、この「できるだけ」という言い方は、逆に言えば、自然素材だけでは今は家が建てられないということなのか、という質問を受けた事がある。確かに、今すぐ石油化学建材を完全に排除することは難しいだろう。しかし、この「できるだけ」という言葉には実はまた別の意味が込められている。

 まず、僕らは輸入材の使用を減らし、国産材、それも地元の木で家を建てようと考えている。日本には筑後200年維持されている木造建築がおよそ一万棟あるが、このうち修復工事などなど何も行なっていないにも関わらず、その性能を維持しているのが300棟以上あるという。それらの木造建物に共通しているのが、地元の木を使用している、ということであり、木はそれが育った環境の中で使われる事の合理性を実証してくれている。そして、勿論、地元の木を使うことは物流のコストを抑え、荒廃し続ける日本の森林を復活させようという意図があってのことだが、実は、1本の柱を作るのに、枝打ち間伐にはじまり製材に至る工程の中で約その4本分の端材が利用されずにただ捨てられている、という現実に目を向ける必要があると考えるからである。僕らはこれをいかに有効に利用するか、ということにも同時に対処しなければ、本当の意味で健全な森林を取り戻す事はできない。そのためには無垢の木だけに固執せずに、国産材による集成材、合板・ボード類の積極的な利用を考える必要があるのである。

 集成材や合板類は石油化学から生まれた接着剤を使って作られているから、本来ならその使用を避けたい材料であると言える。これが輸入材によって作られているものなら、やはりその使用は避けたいと思う。
 石油化学工業の発展により石油の消費量が急激に伸び、それが現在、地球温暖化問題の大きな要因のひとつと考えられているが、元々、原油の中には燃料として利用できない様々な余分な成分が含まれており、石油精製の過程でそれが取り除かれるが、昔はこれをただ焼却処分していた。だから昔の精油工場ではモクモクと黒い煙が上がっていた。


 しかし、石油化学はこうした成分をとことん利用するまでに発展して来たので、今では製油所の煙突からは殆ど水蒸気しか出ていない。我々が石油を燃料として使っている限り、こうした副産物も有効に利用しなければならないのである。
 今は集成材や合板類に使われる接着剤の殆どは我々の健康に配慮したものになって来ている。自然を守るために必要となる石油化学建材があるなら、我々はそれを積極的に使用したいと考えている。それが「できるだけ」という意味である。

 大手ハウスメーカーの中には、すでにこうした環境への取り組みの一貫として、これまでのホワイトウッドなど外材による集成材から国産材の集成材への転換を始めているところも出てきている。
 エコを考えて「マイ箸」を持ち歩いている人がいるが、それよりも「国産の割り箸」を積極的に使おう、という活動の方がより有意義なことだと言えるのではないだろうか。

2009年5月26日火曜日

11-2:長寿命住宅への課題/スローハウジング


スローハウジング

 「大地に還る家」を考える時、まず必要なことは、これからの日本の家はできるだけ小さな生産エネルギーで造られなければならない、ということである。その為にはまず、石油の呪縛から解き放たれなければならない。できるだけ石油化学製品を使わない建材を吟味して選ばなくてはならない。

 しかし、生産エネルギーの大きな建材は勿論、石油化学から生まれた新建材だけではない。例えば、住宅建材の中にはアルミサッシに代表されるアルミ製品が数多くある。アルミニウムは電気分解によって精錬されるため、「電気の缶詰」と呼ばれるほどその製造過程で多量の電力を必要とする金属であり、さらに製品にする為にもまた多大なエネルギーが投入される。また、石油もそうだが、アルミの原材料であるボーキサイトは日本では全く産出されない鉱物だから、100%海外からの輸入に頼っている。先に「マテリアル・マイレージ」と名付けた通り、こうした輸送にかかるエネルギーもきちんと評価しなくてはならない。

 アルミサッシを、例えば、木製サッシにすれば相当小さなエネルギーで済むことになる。勿論、この木製サッシを海外から輸入するのではやはり多大な輸送エネルギーを消費することになってしまうから、国内で、それもできれば地場で造られるものを採用してゆくようにしなければならない。
 
 こうした考え方は、グローバルスタンダードが叫ばれているこの時代に逆行しているように思われるかも知れない。しかし、現実には世界がグローバル化してゆく一方で、地域のアイデンティティを取り戻そうという動きが益々強まっているのも事実である。

 一時期、「スローライフ」とか「ロハス」といった言葉が流行った。スローライフは、元々、ローマにはじめてマクドナルドが進出して来た時にファーストフードに異を唱えた「スローフード」という言葉に始まる。後にスローフード協会の会長となるカルロ・ペトリーニが友人達と食事をしていた時に生まれた言葉だと言われている。1986年、北イタリアはピエモンテ州のブラという小さな村に発足したスローフード協会は、今では世界38カ国に6万人以上の会員をもつ大組織になっている。

その運動は、
1) 消えてゆく恐れのある伝統的な料理や質の高い食品を守ること、
2) 質の高い素材を提供してくれる小生産者を守ってゆくこと、
3) 子供達を含めた消費者全体に味の教育を進めてゆくこと、
という3つの活動から成っている。

 この「食」についての考え方を少し広い視野でとらえ、人々の生活全般に目を向けようというのが「スローライフ」と言えるだろう。

 「ロハス」は、Lifestyle of Health and Sustainabilityの頭文字LOHASから生まれた言葉である。読んで字のごとく、健康で環境を破壊することなく維持できるライフスタイルのことで、アメリカの社会学者Dr.ポール・レイの研究から生まれた言葉である。

 大量生産・大量消費社会が生んだ様々な環境破壊を反省し、地球環境・人間・社会に優しさを追求しようというライフスタイルで、それはスローライフの概念に近いものがある。そして、いずれもかつての過激な環境保護運動とは違い、地球環境に対して個々の人間が如何に優しく接するか、という概念を共有していると言えるだろう。

 さて、スローフードがスローライフに発展すると、今度は当然、「スローハウジング」などという言葉が生まれて来る。
 スローフードの活動には「地産地消」、即ち、地元で生産したものを地元で消費する、という考え方がある。その土地で取れる食材を使って、その土地の気候風土にあった料理を作る。伝統料理とは正にその土地が生んだものであり、その土地で食されてこそ美味しい料理と言えるのである。

 料理は新鮮な食材が手に入らない地域で発達すると言われる。新鮮な食材が手に入る地域では、多少の塩気を加えるだけで食材そのものの美味しい味を活かせるが、新鮮な食材が手に入らない地域では、その食材を美味しく食べるために手を加えなければならないからである。

 流通や冷凍技術が発達した現在では世界中のどんな新鮮な食材でも手に入れることができるようになり我々はいつでも世界の料理を口にすることができる、ということが当たり前の時代に生きているが、それは、同時にその土地の固有の食文化を喪失させることになった。

 スローフードの地産地消をスローハウジングに置き換えてみるとどうなるだろうか。

その土地で育った木を使って、その土地の気候風土に合った家を造る。そして、伝統的な家造りの知恵と技術を守る

ということだろうか。

 「その土地の気候風土に合った家を造る」というのは、先にお話しした正にパッシブデザインのことであり、世界中の住居がその長い歴史の中で育んで来たものである。そして、「その土地で育った木を使って家を建てる」というのは、日本では昔はごく当たり前に行われていたことだった。しかし、今はどうだろう。日本のあらゆる地域に北米や南洋など外国で採れた木材で家が建てられている。何故なら、国産材よりも外材の方が安いからで、これは自由主義経済の道理である。その結果、日本の林業は急速に衰えてしまった。

 日本の森林率、即ち、国土面積に対する森林面積の割合は67%あり、日本は先進諸国の中では珍しく森林率の高い国なのである。イギリスの森林率は10%しかなく、アメリカで32%、森林のイメージが強いカナダでさえ54%という。
 このように、日本は森林の国でありながら、現在国内の木材はその20%も使われていないのである。歴史の中でずっと木の家を造って来た日本人が、経済原則だけで招いてしまった結果がこれである。

2009年5月25日月曜日

11-1:長寿命住宅への課題/エコロジカル・フットプリント


エコロジカル・フットプリント

 最近、新聞やニュースなどで「持続可能な社会」という言葉がよく登場する様になった。これは地球温暖化という現実とも密接にリンクしているが、今、こうした問題を誰もがより身近に感じることができる「エコロジカル・フットプリント」という新しい指標ができている。

 これは、人間がどれほど自然環境に依存しているかを分かり易く示すもので、人間活動により消費される資源量を評価・分析し、人間一人が持続可能な生活を送るために必要な生産可能な土地面積として表したものである。簡単に言えば、人間一人が使っているエネルギーの量を土地面積に置き換えて表したもと言ってもいいかもしれない。

 例えば、これを各国で比較してみると、日本人が必要とする生産可能な土地面積は2.3ha、アメリカは5.1ha、カナダは4.3ha、インドは0.4haで、世界平均では1.8haとなる。このままではちょっとピンとこないかもしれないので、ちょっと分かり易いもので比較してみよう。

 では、皆さんは「一坪」という面積の単位がどんな風に決められたかご存知だろうか。実は、1坪というのは、人一人が平均して一日に食べる量のお米が取れる田圃の面積を表したものである。一反(いったん)は、一坪の360倍で、人一人が1年間に食べるお米ができる田圃の面積となる。これをm2に直すと、1,190m2で、haにすると、0.119haとなる(約34.5m角の面積)。これが日本人一人が一年間お米を食べる為に使っている面積ということになる。

 勿論、我々はお米だけを食べて生きている訳ではないし、その他、様々な活動のためにエネルギーを使っている。しかし、日本人のエコルジカル・フットプリント2.3haというのは、その19倍以上の大変な面積であること分かるだろう。

 そして、地球上で気候資源が程よく恵まれている陸地の一人当たりの面積が西暦2000年で約1.5haという資料と照らし合わせると、世界平均のエコロジカル・フットプリント1.8haというのは、その1.2倍ということになる。即ち、人間活動は実際に使える地球上の陸地面積をすでに超えてしまっている、ということである。

 「田園を眺める家」はそのネーミングの通り、前面に広がる田園風景を一望できる200坪余りの敷地の中に建つ平屋の家である。車でたまたま通りかかった時に、分譲されていたこの土地を見て一目で気に入り、夫婦でここに移り住む事にしたのだと言う。近くの農家から別に土地を借りていて、一年前から、そこに季節の野菜を植え、その手入れの為に毎週船橋から車で一時間半かけて通っているとのことだった。ヨーロッパ、アメリカ、そして香港で暮らし、定年を迎えて日本に帰ってきた夫婦が選んだ第二の人生は、自ら畑を耕して暮らすという晴耕雨読の生活だった。

 しかし、設計条件はもっぱら農家の家を造る事ではない。キッチンには一般家庭にあるシステムキッチンの他に、採れた野菜を洗ったり保存したりする広い土間を確保しなければならなかったが、海外で集めたアンティック家具が所狭しと置かれるリビングやダイニング、和室などは、旧来の友人や海外から遥々尋ねて来る客をもてなすためのスペースであり、特にダイニングはこの家の最も象徴的な場所として南面に飛び出すように配置されている。実はこのダイニングの位置が決まらなくて十案もプランを描き換えた様なものなのである。

 この老夫婦は、ヨーロッパにいた時には、食事はいつも戸外のテラスで取っていた。だから、ダイニングの他にそんな屋根付きの大きなテラスを造り、そこで食事がしたいという希望だった。僕自身、イタリアでの生活や、夢のリゾート計画でお話しした会社の社長が持っている広大な敷地の中の古い建物のリニュアルのためにフランスの片田舎に二年に一度くらいのペースで呼ばれ、その都度、2〜3週間缶詰になっていた時など、戸外で取る食事の楽しみがよく分かっていた。ヨーロッパとはそんな穏やかな気候の土地だった。しかし、日本はやはりちょっと気候が違うし、ここは田圃のど真ん中で風を遮るものも何もない。実際に戸外でくつろげる日はそう多くはない筈だ。それに、小さな家のつもりが、施主の膨らんでゆく希望でどんどん大きくなり、予算的な面でも何かマジックを考える必要があった。そこで僕が選んだ解決法は、ダイニングをテラスに見立てることだった。ダイニングは丁度六帖の広さの長方形のスペースで、その長方形を縦に配置し、短辺となる南側全面を総てガラス張りにしたのである。枠も見せない様にすることで内と外の境界を消し、あたかも外界と空気が繋がっているテラスのようなダイニングを演出したのである。そして、そこから見える風景は一面の田園である。

 僕はこの敷地に立ち、まだその苗が伸び始めたばかりの水面を眺めながら、すでに人間の活動が実際に使える地球上の陸地面積をすでに超えてしまっている、というエコロジカル・フットプリントに思いを馳せ、世界を飛び回っていた商社マンが、晴耕雨読の生活に立ち返ろうというこの「田園を眺める家」が、「大地に還る家」の出発点として相応しいもののように思えた。

2009年5月24日日曜日

10-8.「高気密・高断熱」後/セルロースファイバーの魅力

セルロースファイバーの魅力

 「透湿する壁」を作る時に残った四つの断熱材のうちどれが一番相応しいかと絞る必要はない。繊維系の断熱材はおよそ似通った透湿抵抗値であるため、首都圏地域においてはどれを使っても結露の危険性の少ない外壁を構成する事ができる。

 しかし、その中でもセルロースファイバー(以下CF)には注目しておく必要があるだろう。首都圏の設計事務所を集めた時に、一人だけこのCFによる断熱を行なっていた設計者がいたが、彼は自ら「断熱屋」と称してCF断熱を推進している山本順三氏と長い付き合いのある設計士だった。山本氏は「この本を読んでから建てよう」「無暖房・無冷房の家に住む」などの著作でCFという断熱材を世に知らしめた人だが、自ら「Z工法」というCFによる断熱工法を作って、断熱工事を請け負う会社の社長でもある。断熱の分野では名高い大学の先生方をコケ落とすその口の悪さには賛否両論ありそうだが、CFによる彼の断熱工法は正に僕が考えていた「透湿する壁」そのものであり、透湿抵抗理論からそれが可能であると分かっていても、僕自身なかなか踏み出せないでいた「本当の透湿する壁」を彼は10年も前から実践していたのである。そして、ここで言う「本当の」とは、「通気層のない壁」を意味している。

 外壁通気工法は、石油化学建材として作られる様になったサイデイングなどの外壁材が殆ど湿気を通さないため、湿気の逃げ道として外壁仕上げ材を軸組から浮かせ、その隙間に空気が流れる様にしたものである。そして、僕の「透湿する壁」も基本はこの通気層に湿気を抜くことを前提としていた。しかし、彼はCFと高千穂という会社が製造販売している「スーパーそとん壁」という九州のシラスを原材料とする塗り壁によって、通気層のない外壁、即ち、室内から外壁の表面まで湿気を通してしまう家を造っていたのである。

 これが可能となったのは、まず、他の繊維系断熱材にはないCFの特異な性質にある。CFは元々、新聞古紙から作られる細かな木質繊維で、決して新しい断熱材ではないが、研究者の目にも留まらず、長い間、何故かマイナーな存在に甘んじてきたところがある。しかし、相対湿度が上がると大量の水蒸気を吸収して結露を起こさせ難いという性質があることがいくつかの実証実験で明らかになり、東京などのIV地域で、外壁の透湿抵抗の外内比が通常なら1:2以上必要なところが、CFを使うとそれが1:1でも結露が起こらないことが確かめられている。まだ、科学的に充分解明されている訳ではないが、まず、これが通気層のない壁を可能にする大きな要因となる。

 次に「そとん壁」であるが、通常、木造住宅の外壁を左官仕上げにする場合、モルタル塗りとした上に仕上げ材を塗る、あるいは吹き付けたりするが、スーパーそとん壁は木づり下地の上に透湿防水シートを張って、その上にモルタルを塗らずに直接そとん壁を塗り上げてゆき、そのまま仕上げとなる。このスーパーそとん壁がモルタルよりも遥かに透湿性が高いので、通気層がなくても透湿抵抗の外内比1:1を何とかクリアできてしまうのである。

 通気層のない「本当の透湿する壁」は、このように「CF」と「スーパーそとん壁」という2つの組み合わせによって可能となるものであり、今のところ、これ以外の可能性はまだ見出せていない。

 CFにはこの他に次の様な利点がある。まず、CFは吹き込み工法によって施工されるので、形状が複雑な部位でも隙間なく充填する事ができるということがある。これはグラスウールなどマット状の断熱材には不得手な部分であった。そして、吸音性能に優れる、という特性がある。また、新聞古紙を使って作られるので、一時製造エネルギーが他の断熱材に比べて圧倒的に小さいというのも大きな利点と言えるだろう。

 一般に高気密・高断熱住宅は、冬場に過乾燥になる、さらに、音が反響する、という指摘があるが、CFは保湿性能が高いので冬場の乾燥に効果が見込め、音の反響に対してもそれを緩和してくれることが期待できる訳である。

 勿論、欠点がない訳ではない。吹き込み工法による施工は専門業者によって行なわれるので、施工精度の信頼性は高いが、やはりコスト的にも高く付くということが言えるだろう。
 しかし、いずれにしろ、CFは「透湿する壁」を作る上でも、さらに「大地に還る家」を考える上でも充分魅力的な素材である事には変わりはない。
 

2009年5月23日土曜日

10-7.「高気密・高断熱」後/マテリアル・マイレージ


マテリアル・マイレージ

 実は、首都圏で木造を中心に設計をしている設計事務所を十社ほど集めて研究会を開き、僕が断熱についての講師を受け持った時に、集まったメンバーにそれぞれ自分が普段やっている断熱の仕方について、外壁の断面構成図を描いてもらったことがある。そこで確認したかったのは、高気密・高断熱が分かっているか、ということではなく、内部結露に対して安全な仕様をちゃんと考えて設計しているかどうか、ということだった。しかし、結論としては、殆ど分かっている人はいなかったのである。

 内部結露の心配が少ないと思われる仕様ができていたのは十人中五人いたが、ひとりはアキレスの外張り工法を採用している人で、二人目は防湿層なしでセルロースファイバーによる断熱をしている人、あとの三人は、殆ど断熱も気密も期待できないため、内部結露の心配はないと判断された人である。それ以外の五人に共通していたのは、外壁廻りを構造用合板で固めて、グラスウールなどの充填断熱を行なっていたことである。これできっちり部屋内側に防湿気密シートを張っているなら問題はない。袋詰めになった防湿シートの耳付きのものを使っていればいいのではないか、という意見も出たが、壁の中に筋交いがある場所ではきちんと施工するのは難しいし、コンセント廻りなど防湿層を破る箇所をきちんと気密テープで塞ぐ様な丁寧な仕事をしている現場は東京辺りでは殆どない。室内で発生した水蒸気はそうした僅かな隙間から壁の中に侵入し、透湿抵抗の大きな構造用合板に遮られて逃げ場を失い、そこで結露を起こす事になる。耐震強度を高める事ができる構造用合板は壁内結露に対しては圧倒的に不利な条件を備えてしまう事になるのである。

 そして、高気密・高断熱を快しとしない設計者の多くが、ではどんな断熱をしているのかと言えば、その実体は、殆ど断熱をしていないか、あるいは、構造用合板で壁内結露を引き起こす様な断熱をしているのである。五人の中には羊毛断熱材を使っているので内部結露の心配はないと信じていた人もいたし、無垢のフローリングや珪藻土の塗り壁といった自然素材を売りにしている設計者もいた。

 25年保てばいい、ということなら、壁内結露が起こっても、カビやダニに甘んじながら生活することは可能だろう。今までの家が正にそうだったのだから。しかし、これからの家づくりを考える時、まず必要なのは、今までの日本の住宅の不健康を根本から取り除き、長寿命に耐える家づくりが必要なのである。

 さて、「透湿する壁」をつくる時に壁の中に充填する断熱材は何がいいのか、ということに少し触れてみよう。充填用の断熱材として考えられるのは、主にボード状になっていない繊維系として分類されている断熱材で、従来から使われている無機質系のグラスウール、ロックウール、動物系の羊毛断熱材、そして、木質系のセルロースファイバー、綿状木質繊維、フラックス(亜麻)繊維、ハンフ(大麻)繊維、ココヤシ繊維、その他に、廃ペットボトルの再利用として作られたポリエステル断熱材などがあるが、羊毛断熱材はニュージーランドやオーストラリアから、エコな断熱材として注目されている木質系断熱材のうちセルロースファイバー以外の殆どがドイツなどヨーロッパからの輸入に頼っている。

 しかし、断熱材のような軽くてかさばるものは輸送する上では最も不経済であり、それ故、こうした輸入される断熱材の多くは当然、価格に跳ね返って来ることになるから、なかなか気軽に採用する事ができないというのが現実である。この問題は、また別の視点で見てみる必要がある。

 最近、フード・マイレージという言葉をよく耳にする様になったが、これは食料の輸送距離という意味で、食料の重量×距離(例えば、トン・キロメートル)となり、CO2排出量に換算してpocoという単位で表している。この数値が小さい程、輸送にかかるCO2排出量が小さいということで、要は、地球温暖化防止の上でもできるだけ輸送エネルギーのかからない地元で取れたものを食べよう、ということである。

 建築に用いられる様々な材料もこれと同じで、現状、建築費に占める物流コストの割合は大きく、こうしたコスト削減の意味においても、できるだけ国内で生産されるものを使う様に心掛けなければならない。フード・マイレージにあやかって、これを「マテリアル・マイレージ」として家づくりの材料選択の指標とすべきである。

 さて、早速このマテリアル・マイレージを断熱材選定の基準として当て嵌めてみると、使用できる断熱材は、グラスウール、ロックウール、セルロースファイバー、そして再生ポリエステル断熱材の四つに絞られてしまう。羊毛断熱材は、輸入される断熱材の中では比較的安く、調湿効果のある「自然系」の断熱材としてもてはやされ、そのシェアを延ばしているが、それがもっぱら輸入に頼っているものとして選択基準から外れてしまうのである。

2009年5月22日金曜日

10-6.「高気密・高断熱」後/「透湿する壁」をつくる



「透湿する壁」をつくる

 では、断熱はどうするのか、断熱はしないのか、はたまた、防湿気密シートを張った充填断熱に戻るのか、ということになるのだが、答えはそのいずれでもない。その答えは、防湿気密シートを張らない充填断熱である。

 「高気密」の意味については先にも語っているが、これは、「高気密・高断熱」後の断熱法について語る時に非常に重要なことなので、今一度確認しておきたいと思う。
 「高気密」には次の意味がある。それは、湿気(水蒸気)を通さないための「防湿」と、漏気を防ぎ計画換気を可能にする為の「気密」である、ということ。これは今まで常に「高気密」という言葉でひとつにまとて考えられていたことである。

 しかし、僕はそれを分けて考えることにした。防湿気密シートを張らない充填断熱とは、「防湿」を取らないで「気密」だけを取る、ということである。
 防湿を取らなければ内部結露を起こす、というのは、北海道などの寒冷地における重要な教訓だが、首都圏地域は寒冷地から比べると家の内外の温度差はそれほど大きくはなく、内部結露が起きる前に壁の中に侵入した水蒸気が外部に排出されるような外壁構成ができれば、それも可能であろうと考えた訳である。実際に外壁を構成する各々の材料の透湿抵抗(湿気の通し難さを表す数値)を元に結露計算をすると、それが十分可能であることが分かる。

 しかし、この考え方は決して新しいものではなく、高気密高断熱工法が生まれるまでは、「結露を防ぐには室内側の透湿抵抗を大きくし、外壁側を小さくする」というのがセオリーだったのだ。即ち、室内側の面材はできるだけ室内で発生した水蒸気が壁体内に侵入しない様に湿気に対して抵抗力のある素材を使う。そして、もし、壁体内に水蒸気が侵入してしまったら、できるだけ早く湿気が外(外壁通気層内)に抜ける様に、湿気を通し易い素材を用いる、ということである。

 壁体内で結露するか否かは空気線図を元に計算で求める事ができるが、定常解析の上では、比較的簡単に判断できるようになっている。即ち、断熱材の外面を境界として、その外側と内側の透湿抵抗の比が断熱区分された地域毎に決められた比より大きければ安全であると判定できるものとなっている。

 例えば、日本は断熱区分された地域はI〜VIまで6地域あり、首都圏はそのIV地域ということになるが、この地域では外壁を構成する材料の透湿抵抗を足した比が外:内で1:2以上あればいいということになる。

 だから誰でも簡単に内部結露に対する安全性をチェックしながら木造住宅などの設計を行なう事ができるのだが、しかし、この判定法は殆ど知られていない。

 実は、透湿抵抗というのはその時の相対湿度によって変化してしまうもので、特に木質系材料は相対湿度が高いほど透湿抵抗が小さくなる。即ち、湿気を通し易くなってしまうという性質がある。だから、欧米では乾燥状態(材料両面の相対湿度が0%〜50%)の時はドライカップ法で測定し、湿潤状態(材料両面の相対湿度が50%〜100%)の時にはウェットカップ法を用いて、両方の数値を併記し、結露の有無を検討する部
材についてはウェットカップ法の数値を採用している。

それに対し、日本のJISの定める測定法ではカップ内の相対湿度を0%としているので、これはドライカップ法に近い値になる筈だから、計算に使用する数値としてはその正確性に欠けるのではないかという疑問がある。

 いずれにしろ、多くの研究者が様々な実験を重ねながら、未だに推論としての考察が書かれているのを見ると、材料の透湿性というのはそれだけ微妙で厄介なものであり、未だに確立された理論とはなっていないという事なのかも知れない。

 また、一軒の家が内部結露を起こすか否か、という問題は、ケースバイケースで諸条件を設定しなければ実際のところは分からないのだから、非定常解析が可能となる解析ツールの開発もなかなかおいそれとはいかないに違いない。

 しかし、研究者という立場ではなく、実際に木造住宅を設計する現場の設計者としては、いずれにしろ、できるだけ内部結露の心配のない仕様を作り出さなければならない。高気密・高断熱技術というのは、確かにそういう意味では透湿抵抗云々に関わらず、殆ど透湿性のない素材を用いて水蒸気に対するバリアを作ってしまうのだから話しは明快である。北海道であろうと東京であろうと、その土地の気温に見合った性能の断熱材を選びさえすれば、同じ仕様で内部結露の心配のない壁を作る事ができるのだから。

 そういう意味で言えば、僕が高気密・高断熱後の断熱として取り組み始めた事は、決して高気密・高断熱を超えたというものではないのである。事実、次世代省エネ基準以前の「新住宅省エネルギー基準」の結露防止法などで示されていた、どちらかと言えば古典的な理論、方法論なのである。

 しかし、この透湿抵抗理論が教えてくれるのは、北海道では防湿気密シートは外せないが、東京ではそれがなくても内部結露を起こさない壁を作る事ができるということである。「透湿する壁」は正にその土地の気候・風土に合わせて作られるものであるし、それこそ、日本の家づくりの伝統を踏襲する考え方として抵抗なく人々に受け入れられるだろう。

 実は、これはもしかしたら高気密・高断熱など知らない設計者、あるいは施工者が、経験から学んで上手くいっていた断熱法だったかもしれない。しかし、透湿抵抗理論のさわりを学んだだけで経験に理論的な裏付けを持たせる事ができるし、理論を踏まえればより良い工法をもっと合理的に産み出す事もできるのである。だから僕はこの「透湿する壁」を経験ではなく理論から生まれた工法として、勝手に「透湿断熱工法」と呼んでいる。

2009年5月21日木曜日

10-5.「高気密・高断熱」後/外張り用断熱材の隠された問題点


外張り用断熱材の隠された問題点

 高気密・高断熱住宅は、それも外張り断熱は、首都圏太平洋側の温暖地においても非常に有効なものと言える。そして、高断熱を施すためには内部結露の原因となる水蒸気を壁体内に入れないための「気密」が必要である、ということは、自然を科学的に読み解くことで得られた解決法であり、その技術として確立されたのが高気密・高断熱工法だったと言っていいだろう。

 しかし、これまで長い歴史の中で培ってきた日本の木造技術は、壁の中に湿気を溜めない、湿気を通すという技術だったのだから、「高気密」はそれに真っ向から対立するものとして受け止められてしまっていたのかも知れない。未だにこの「気密」という言葉の意味を理解できず、「日本の家は気密化が進んだことによって結露やカビ・ダニの問題を抱えてしまった」という時の「気密化」と区別がつかない設計者が多いが、しかし、その意味するものはまるで違うのである。

 科学万能の時代に生まれ、より自然と対峙する生活の中に身を置いていても、宇宙の総てを解明できた、と奢るほどまだ何も分かっていないことを我々はよく知っている。「科学技術がどんどん発達してゆけば、我々はより自然に近づく」と考えれば、今、確立されている高断熱・高気密の技術も過度的なものに過ぎないと言えるだろう。

 例えば、外張り断熱に用いられている断熱材は、現在、その殆どが発泡プラスチック系の断熱材である。断熱により熱損失の少ない家づくりをすることは、CO2の排出を抑制する上で極めて効果的である。しかし、その為に生産エネルギーの大きな石油系断熱材を用いるというのはちょっと矛盾する話ではないだろうか。勿論、発泡プラスチック系断熱材によって高断熱化された家が生涯削減できるエネルギーに比べたら、その一軒の家に使用される発泡プラスチック系断熱材の生産エネルギーは遥かに小さなものかもしれない。それでも、使用される断熱材がもっと生産エネルギーの小さな、しかも断熱性能の高いもので、さらに、使用後に廃棄処分が容易なものであればそれに越したことはない。

 先に、「外張り断熱」を止めた理由について、その価格の問題だけを挙げていたが、丁度この頃、僕は外張り断熱の隠された問題点を知ったのである。それは外張り断熱に用いられている発泡プラスチック系断熱材は、その多くが「経時劣化」という問題を抱えているということだった。
 発泡プラスチック系の断熱材は、大方、断熱効果ガスを封入した細かな気泡を固めたものだが、その気泡の中に挿入されたガスが次第に空気と入れ替わり、断熱性能が低下してしまうという現象で、フェノールフォーム以外のもので、早いものでは5年ほどで断熱効果ガスが抜けて断熱性能が約20%も減少してしまうということだった。

 このことは商売敵であるガラス繊維協会のウェブサイトにも載っていたので、あるウレタン系の断熱材メーカーにこの経時劣化の問題についてメールで確認したことがあったが、その問い合わせには全く返答がなく、暫くしてそのメーカーのウェブサイトを見ると、断熱商品を紹介するページに次の但し書きが付け加えられていたのである。

「断熱材の選定に当たっては、経時劣化を考慮の上その必要厚さを決めて下さい」

 メーカーによっては、それぞれの素材、性質を踏まえて、断熱材表面をフィルムでコーティングするなど対策を講じているが、その効果がどこまで持続するものなのか、いずれにしろそう長期間に渡ってその性能を維持するのは困難であろうと思われるし、廃棄時の問題も残る。

 自然系断熱材の取り組みとしては、今まで利用価値のなかった杉の表皮を用いた木質繊維ボードを断熱材として外張り断熱をすることもでき、実際に使用されているが、性能的に劣る木質繊維ボードは発泡プラスチック系の断熱材と同じ厚みではその効果が低く、かといって、厚くすれば外壁を支えるのが困難となる。「外張り断熱」は発泡プラスチック系断熱材の性能の高さがあってその厚みを薄くすることができたのだが、その性能の持続性に疑問がでてしまうと、「外張り断熱」という工法自体が成り立たなくなってしまう。

 しかし、今、「できるだけ石油化学建材は使わない様にしよう」という方針が固まれば、別にクドクドとその理由を説明するには及ばない。「高気密・高断熱」後の、特に「外張り断熱」後の断熱を考える時、その施工性の良さから採用していた発泡プラスチック系の断熱材は、それが石油化学系建材であるという理由ひとつで排除して良い事になるのだから。

2009年5月20日水曜日

10-4.「高気密・高断熱」後/断熱は最も効果的なパッシブデザイン


断熱は最も効果的なパッシブデザイン

 僕は前作「究極の[100年住宅]のつくり方」(パル出版)で「温暖地における開放的な高気密・高断熱住宅」を提案し、幾度かセミナーや講演会活動をしてきたが、その度毎に先に述べた様に「気密」について拒否反応を示す人達に出会ってきた。北海道の大学で充填断熱による高気密・高断熱構法、「新・木造在来構法」の開発現場に立ち会い、首都圏で独立後、高気密・高断熱住宅を手掛け始めて間もなく、外張り断熱に切り替え、その普及活動に勤しんで来たのは、ハウスメーカーがやっと今頃になって気付き始めている様に、充填断熱より外張り断熱の方が優れているという判断からではなく、高気密・高断熱住宅の経験のない首都圏の大工さんに「防湿気密シート」をきちんと施工するのは困難であると見極めたからに他ならなかった。即ち、外張り断熱は圧倒的に施工がし易く、施工不良箇所が発生し難い工法だった、ということである。

 しかし、僕自身もこうした北国で生まれた高気密・高断熱工法が首都圏という温暖地に本当に相応しい工法なのかどうか、全く疑問を持つことなく家づくりを行ってきたという訳ではない。確かに、この地にあっても高気密・高断熱住宅は、圧倒的にその温熱環境を改善することができる。僕が提唱した「開放的な高気密・高断熱住宅」とは、北海道とは違い冬場の晴天率の高い首都圏地域においては、断熱性能を高めさえすれば大きな窓から日差しを取り入れる、即ち、ダイレクトゲインにより、ほんの僅かな暖房を付加するだけで充分温かな家になる、ということであり、夏場はこれまでの「夏を旨とする」家づくりと何ら変わるものではなかった。言い換えれば、夏涼しく冬寒い家を、夏涼しく冬暖かい家にしようということに他ならない。

 実際にシミュレーションしてみると、関東周辺の、いわゆるIV地域にI地域、即ち北海道などの寒冷地における次世代省エネ基準並の高断熱を施した場合、真冬の時期に太陽のダイレクトゲインと生活熱で平均17℃の室温を保つことができるのである。20℃の室温を保ちたければ、あと3℃分、小さな熱源で加熱してあげればいい訳だ。

 さて、次項に示した図は、一般にオルゲーの図と呼ばれるもので、パッシブデザインについて語る時によく用いられるものである。一点鎖線で示された大きな波(外部条件)は、一年を通した外気の温度変化を表し、左から右へ、冬には温度が下がり、夏には温度が上昇する。実線で示された線は建築的手法によって到達する室内気候を示し、残りの部分を機械的な手法によって快適な温度領域までもってゆこう、という考え方を示している。家のカタチというのは普遍的に厳しい外界の気候条件を建築的な手法によってどこまで和らげる事ができるか、という結果であり、その手法をパッシブデザインと呼んでいる。

 例えば、高温で乾燥した砂漠地帯では、日中は暑いが、日が沈むと湿度が低いので急激に気温が下がる。そのような土地では、家は日干し煉瓦で造られ、この日干し煉瓦の厚い壁は、日中は強い太陽の日差しを遮り室内を涼しく保つ事ができ、夜は日中壁に蓄えられていた熱が室内に放熱し、室温を保つ事ができる。中東のバーレーンではこの日干し煉瓦の壁の厚み45cmくらいが丁度いいという。

 逆に、高温高湿の地域では、草木を用いて、できるだけ熱容量の小さな(熱を溜めない)、風通しの良い家を造る。このように人間の住居は、その土地の気候条件に合わせて厳しい外気条件を和らげるパッシブデザインがなされて来たのである。

 さて、再びオルゲーの図を見てみよう。点線で示した様に、日本の伝統的な住居は「夏を旨とし」冬は諦めていたので、冬場は外部条件に近い曲線が描かれ、夏は外部条件よりずっとなだらかになっている。
 しかし僕らは、これまで冬諦めていた室内環境を今、「断熱」という建築的手法で補う事ができるのである。こうした視点から見れば、「断熱」は決して自然に逆らった手法ではなく、実は最も効果の高いパッシブデザインであるということが分かるだろう。

2009年5月19日火曜日

10-3.「高気密・高断熱」後/石油化学建材はできるだけ使わない


石油化学建材はできるだけ使わない

 「田園を眺める家」の工事は以前、その力量を見込んだ袖ヶ浦の永野工務店という小さな工務店に託し、見事に完成させてくれたので、その経緯を物語るにはあまり面白みがなく、多くを語る積もりはない。その代わり、この頃考え始めていたことについて、この家の工程を追いながら少しずつ触れていこうと思う。

 実は、この時から僕は「外張り断熱」を止めている。即ち、あの木造レンガ積みの家が僕の造る「外張り断熱」最後の家ということになるだろう。その理由は、使用する発泡プラスチック系の断熱材の価格の高さにいつも苦しめられてきたから、というのも大きな理由のひとつではあるが、勿論、それだけではない。「大地に還る家」の構想はこの頃から始まっており、それは勿論、これからの家づくりはどうあらねばならないか、というテーマに取り組み始めたということだが、それを考えるためには、今までの家づくりの何がいけなかったのか、という問題点をピックアップし、整理することからはじめなければならない。
 そこでまず、取り上げなければならないのが「石油化学建材」である。
 
 日本という高温多湿の環境にあって、木で家を造り続けてきた日本人が、湿気と腐れの関係に敏感であるのは当然で、家を長持ちさせるには湿気を溜めないことが肝要であり、それが日本の木造技術を発展させ支えてきた、という側面がある。

 日本の家はずっと長い間、木・紙・藁・土・漆喰といった自然素材でできていたのである。これらに共通して言える事は、湿度の高い時は吸湿、保湿し、湿度が下がると放湿するという性質を持っているという事である。特に、土蔵など、土で造られた厚い壁は、湿気を制御する上で重要な役割を果たしていた。鎌倉期に登場した「畳」にも、イグサのこうした性質がよく活かされていた。

 しかし、二十世紀後半における石油化学の発展は、あらゆる住宅部品を自然系素材から石油化学建材に変えてしまうことになった。性能にムラがなく、見た目美しい新建材は消費者からも歓迎され、たちまち家は石油化学から産み出された部品でプラモデルのように造られるようになっていった。僕が子供の頃には、新築の家の内装の壁は木目模様のプリント合板だったが、その後、石膏ボードにビニールクロス貼りとなり現在まで続いている。

 柱・梁で囲まれた面を塞ぐ「面材」として利用できる素材は自然界にはなかったから、そうした面を塞ぐには無垢の板を張ってゆくか、竹小舞を編んで土壁にするしかなかったが、化学接着剤で薄い板を張合わせた「合板」が出回る様になると、筋交いの代わりに構造用合板は耐力面材として用いられる様になり、合板は重宝な面材として多用される様になった。外壁材も今では殆ど石油から産み出されたサイディング張りである。
 しかし、石油化学建材は自然の無垢の木と違って共通して湿気を通し難い材料なので、必然的に家の中、そして壁の中の湿気の逃げ道がなくなり、結露の問題を抱えることになった。家の気密化には勿論、アルミサッシの普及も貢献している。

 結露はカビやダニを発生させ、構造体である土台や柱を腐らせ、「木の家」であることを忘れた日本の家はかつてないほどの短命を強いられることになってしまった。

 シックハウス問題は、当初、住宅の気密化が進んでゆく中で室内で発生した水蒸気の逃げ道がなくなり、結露からカビ・ダニの蔓延という状況下で起こった問題だったが、化学物質過敏症は石油化学の発達と共に建材に含まれるVOC(揮発性有機化合物)、特に合板類に使われる接着剤やクロス糊などから発散される化学物質が人の体内に蓄積されることによって発症し、そうした問題が大きく取り上げられる様になってやっとVOCの規制が法制化され、建材におけるVOC対策は一気に進んだが、それと引き換えに住宅における本質的な問題、即ち、「湿気が抜けなくなった家」に対する対策はすっかり忘れられてしまって、相変わらず石油化学建材による家づくりはその衰えを知らない。

 そんな中でも、一般消費者の間には「自然素材」への要求が高まってきていることも事実である。しかし、それは近年の健康志向という流れの中で「自然素材」=「健康」という短絡的なイメージに過ぎず、自然素材を使ったからといって、即、健康な家になる訳ではない。「自然素材」といえば、湿気を通す、呼吸する、といったイメージがあり、それ自体は間違っているとは言わないが、その使い方を間違えれば、ただの結露住宅になってしまうのである。そうした本質的な意味を理解している人は殆どいない。
 まず、「石油化学建材をできるだけ使わないようにしよう」という気持ちを僕が強く持ち始めたのは、「湿気の抜けない家」からの脱却を目指しての事だったのである。

2009年5月18日月曜日

10-2.「高気密・高断熱」後/設計事務所の家は高いのか?

設計事務所の家は高いのか?

 この家のコンペ時に提示されていた予算は僅か二千万だった。しかし、実施設計を終えた段階では、それが三千万になっていた。予算が当初の一・五倍に跳ね上がることは、そうあることではない。木造レンガ積みの家の苦い経験が脳裏に焼き付いていたことは確かだが、余程特殊なものでもない限り、手慣れた設計者なら住宅の図面を描き上げた時に、その工事費が幾らになるか、勘で分かるものである。だからこそ、設計の打ち合わせの際には常に増額要素について施主に念を押しておかなければならない。

 しかし、今回の計画では薪ストーブ、全館暖冷房、電動外付けブラインドシャッターという高価な設備が採用される事になった。薪ストーブを置きたい、という要求はよくある事だが、老夫婦のための平屋の家を、殆ど意識する事無く冬暖かく、夏涼しいという家にするために採用したのが、新しく発売が予定されていたヒートポンプを使って基礎躯体に埋め込んだパイプの中に、冬は温水を流し、夏は冷水を流す事で輻射暖冷房を行なうシステムだった。

 外付けのブラインドシャッターというのは、「明るい家であること。但し、海外で集めた家具に直射日光が当たらないこと。夜、寝る時に窓を開けて自然の風が流れること。但し、防犯上の機能を損なわないこと。そして、台風に対して安全を確保できる事」という過大な要求に応えるために僕が提案したものだった。これらひとつひとつがいくらかかり、積み上げてゆくと三千万になることをきちんと伝え、見積もり金額が、工務店の出精値引き後の金額として正しく三千万と出てきた時には、全く減額のために悩む事無く施主は納得して工事費三千万で工務店と契約を結んだのだった。

さて、「フェアウェイフロントの家」といい、「木造レンガ積みの家」といい、この「田園を眺める家」といい、当初の予算を遥かにオーバーしてしまった家の話しをしてきたので、設計事務所に頼むとやはり高く付いてしまうのか、という印象を持たれた方も多いのではないだろうか。事実、そんなイメージを持っている人は意外と多い。しかし、それは誤解である。予算というのは施主の新居に対する要望事項と同様にひとつの設計条件である。設計条件に合った家を設計するのが設計事務所の仕事なのだから、予算がきちんと決まっていれば、その予算に合わせた設計をしなければならない。
 しかし、施主の要望事項はその予算よりも常に上回っているので、そのまま要望事項の総てを満足させようとすると必ず予算オーバーということになってしまう。だから、僕は施主に対してその要望事項に「優先順位」を付けてもらう事にしている。

 予算に合った設計をするというのは、結局は優先順位の低いものから順に諦めてもらう、ということなのである。しかし、この「優先順位」を決めるということは、要望事項を整理するということであり、施主自身がその作業をすることで、その順位が低いものについては意外とすんなり諦められるものなのである。

 この「優先順位」を曖昧にしたまま設計を進めてしまうから「高く付く」ということになってしまう。予算をオーバーしてしまった先の3つの例で言えば、「木造レンガ積みの家」については、確かにこの優先順位をきちんとつけてもらうことができなかった結果と言えるだろう。しかし、他の2つの例については、オーバーしても施主にとってそれが必要だと感じたからに他ならないし、施主自身、自分の要望と懐具合に折り合いをつけてのことなのである。よく「私の希望の家が2000万でできますか?」という風に聞かれることが、それは「あなたの希望をどこまで諦められますか?」ということなのである。

 しかし、確かにハウスメーカーならこんな下手なやり方はしない。ハウスメーカーは施主の要望以前に、そのメーカーの基本仕様として坪単価を非常に安く見せかけている。まず、「安い」と印象付けておいて客を引き込み、あなたの要望は「オプション」ですと言ってどんどん金額を膨らませてゆく。すると、オプションなら高くなってしまったのは自分の所為だ、と客は納得してしまう。諦めて削ってゆかなければならないと思うよりは、どこまでオプションとして足してゆけるか、と考える方が、心理的には受け入れ易いのである。しかし、結果としては同じ事なのである。

 また、設計事務所に高い設計料を払うなら、そのお金を家のために使いたいと思う人も多いだろう。人は、設計とかノウ・ハウ、知識、情報といった目に見えないもののためにはお金を払いたくないものである。特に「物」に豊かさを求めて来た日本人にとってはその傾向が強いと言えるだろう。だから、ハウスメーカーや工務店は「設計料はサービスです」と言ったり、表向きの設計料を安く見せて工事費の中に隠してしまうのである。

 しかし、大切な事はまた別のところにある。まず、ハウスメーカーや工務店という「施工者」に設計コミで家づくりを頼んだ時に、あなたは出て来た見積書を見て、それが正しいものなのか判断が付くだろうか。そして、あなた自身、現場に足しげく通って、間違った工事が行なわれていないかチェックできるだろうか。

 最近,僕はオールアバウト・プロファイルという専門家サイトに参加しているが、そこに寄せられる相談と言えば、ハウスメーカーなどとのトラブルばかりである。しかし、それはハウスメーカーに非があるとは一概には言えない。トラブルの原因というのはおおよそコミュニケーション不足にあるのであり、専門的な事など何も知らない施主が、誰のサポートも受けずに素人判断をしてしまうため誤解を積み重ねてしまう例が少なくないのである。

 住宅を「商品」にしてしまったのはハウスメーカーだが、電気製品や車と同じ様に「家を買う」と言い出したのはそんな商品を買ってしまう消費者である。しかし、オーダーメイドで自分の希望する家を手にしようという時には、やはり家は「建てる」ものであり、素人である施主の立場に立って施主の利益を守る第三者としての専門家に支払う目に見えないお金は、高い様に見えて決して高くはないのである。

 ところで、「ローコスト住宅」という言い方がある。そして、それを得意としている設計者がいるとしよう。その設計者は同じ間取り、同じ広さの家の設計をさせたら僕よりも安い家が設計できるかもしれない。その違いは何だろう。僕は施主に求められなくても、住宅として大事な「見えない性能」、例えば、内部結露の心配のない住宅を設計する。即ち、設計者としての良心を持ち合わせているつもりである。ローコスト住宅が得意という設計者が僕よりも安い家を設計するには、見えない所で手を抜く以外にない。25年も経って内部結露により構造体が腐れかけていることを知ったり、カビやダニによる健康被害に気付いても、その時にはもう設計者の瑕疵責任はないかもしれない。しかし、施主の利益を守るべき者として、そんな事をする訳にはいかないのである。「ローコスト」という言葉が「いい家を安く建てる」というイメージを与えているのかもしれないが、この業界の常識は「高くて良いは当たり前、高くて悪いはよくある事で、安くて良いはあり得ない」である。

2009年5月17日日曜日

10-1.「高気密・高断熱」後/案を選ぶのではなく、人を選ぶ?


案を選ぶのではなく、人を選ぶ?

 木造レンガ積みの家の計画が暗礁に乗り上げていた頃、ネットの住宅コンペで当選し、房総半島の田圃の中に一軒の住宅を計画していた。結婚してからその殆どを海外で暮らしていた子供のいない元商社マン夫婦が、老後を田舎で畑を耕して暮らすための小さな家の計画だった。33社もの応募の中から選ばれたと言えば、さぞ素晴らしい案だったのだろうと思われるかも知れないが、しかし、どうもそうではなかった様だ。設計契約の後、
「どうして私が選ばれたのか、その理由を教えていただけますか?」
という僕の質問に、施主の答えは、
「うちに一番近かったから」
だったのだから。

 勿論、これは施主のウィットに富んだ応えであると僕は思っている。でも、施主がその時住んでいた家から事務所までは、自転車で十五分とかからない距離であった事は確かだった。コンペ時点での情報では、建設地の大体の情報はあっても、施主の名前や現住所などは臥せられていたから、それは施主に会ってはじめて分かったことだった。

 コンペが締め切られて暫くしたある日、突然、電話がかかってきて、その日の内に施主である老夫婦が事務所を尋ねてきた。下準備も無しに、突然の候補者面談である。その時は、自分が提出した計画案について一通り説明し、いくつかの質問に答えただけだったが、その時の印象では、僕の案は施主にとっては殆ど満足のいくものではなかったようだった。それで、施主の要望事項を改めてヒアリングし直し、プランの修正を行なうことになった。翌週、はじめて施主のお宅を訪ねた僕は、施主がその後、船橋近郊の他の設計事務所2社との面談を行なったことを知った。老夫婦はそれを隠さず、それぞれの事務所の印象を語ってくれた。これは施主の陰謀だったのかも知れない、と後で気付いた事だが、他の2社も同じ様に変更案を作っているに違いないと僕は思い、それから二ヶ月の間に十案に及ぶ変更案を作る事になってしまった。

 十案目でやっと納得の表情を見せた施主の口から「契約」という言葉が出た時に、同時に基本設計が終了したのだった。こうなってみると、あのコンペはいったい何だったのか、という気になって来るが、この施主にとっては案を選ぶのではなく、まず、人を選ぶことが主眼だったのかも知れない。ずっと気になっていた他の2社には一案も訂正案を作ってもらう事なく、最初の面談の後、すぐに断りの電話を入れたのだと言うことだった。

 ネット上に公開された施主の選考理由には、こう書かれてあった。
たくさんの応募案を頂いて 何を基準にどうやって選んだら良いのかと悩みました。
取りあえずは 我々の好みに合う上に、打ち合わせしやすい事を重視して近県の方を中心にと選んでいきました。じっくりと相談に乗っていただきながら、家作りを楽しみたかったものですから。
 建築設計士さんとお会いするのは「お見合いのようなもの」だと云われますが、正にその通りでした。
 皆さん素晴らしい概念をお持ちで、お人柄も良く、さすが専門的な知識が豊富と、出来るものならそれぞれの方と一緒に家を建てたいと思わされました。
 野平氏は偶然にも現在住んでいる我家にとても近くにお住まいでした。頻繁な打合せに苦も無く気軽に行き来できます。 
 我々の不確かな希望にも的確な資料を見つけてこちらの考えを助けてくれるし、構造や断熱の知識にも信頼がおける。 
 何よりも 住まいのスタイルの「好み」が似ていると云うのが大きく、楽しみながら一緒に家作りをしたいと思っています。
お陰様で やっとスタートです。
再度御礼を申し上げます。有難うございました。

 
 住宅の設計をする時に一番困るのは、設計契約をする前にプランが見たいという施主の願望である。設計事務所としては、プランの作成は最も重要な仕事であるから、本来、契約をしてから安心してじっくり取り掛かりたいと思っている。しかし、施主には自分の家がどうなるのか分からないのに契約などできない、という気持ちがある。そんな気持ちも分からないではない。これが大先生ならその名前だけで安心して契約してもらえるのかも知れないが、巷の得体の知れない設計事務所では相手に信頼されて任せてもらえる術を持たない。それで、仕方なくサービスでプランを描かなければならなくなってしまう。このジレンマを突き抜けるには、やはり名のある建築家になるしかないのかも知れない。そう、案で選ばれるのではなく、人で選ばれる様に。

2009年5月16日土曜日

9-7.木造レンガ積みの家/救世主現わる!


救世主現わる!

 さて、事はどうあれ一千万という金額を落とす算段をしなければならない。しかし、20%を超える金額を落とすというのは実際にはなかなか難しいことである。まず、最も金額の大きい外壁のレンガは、「レンガ積みの家」という大前提からすれば、これをいじる訳にはいかない。そこで、まず考えられるのが屋根である。これをフッ素樹脂鋼板からガルバリウム鋼板に変更する。次に、基礎を深くして床下に広い収納スペースを確保していたが、この面積を縮め、基礎工事費を減らす。これで300万くらいの減となる。しかし、後は細々としたものを拾い出してもやっと百万くらいの減になるだけで、これ以上はとても落とし様がない。

 仕方なく、表からは見えない北側のレンガをサイデイングに変えることでYさんもしぶしぶ合意し、これらの減額項目に従って図面を修正し、今度は工務店3社に見積もりを依頼する事になった。最初に頼んだ工務店には減額の再見積もりをお願いし、あと2社、横浜市内の工務店を選んで見積もり依頼を出した。これで予算に合った金額が出て来ることは期待できなかったが、やはり僕らに僥倖は訪れなかった。

 再び不安な気持ちを抱きながら3週間が過ぎ、出てきた結果は正しく僕とYさんが苦虫を噛み締めながら減額調整をして、このくらいは落ちるだろうと予測していた金額が落ちたに過ぎなかった。工務店3社で三百万円ほどの差は出たが、それは高い方に差が出たに過ぎなかった。一番安い見積もりが、結局、先に見積もりを頼んで、今回、減額見積もりを出してもらった工務店だったのである。これで、Yさんの予算に何とか合う様だったら、この工務店が有力候補ということになる訳だが、最低価格が予算を大きく上回ったままなのだから、契約への道のりは遠い。

 いずれにしろ、このままでは先へ進まないので、Yさん自ら工務店3社の社長に会って、話しをしてみようということになった。3社共、週末に社長のアポイントが取れたので、僕とYさんは朝から待ち合わせて順次、工務店を廻っていった。工務店は建材メーカーや住宅設備機器のメーカーなどとの付き合いの中で、このメーカーならもっと安く仕入れられるというものを持っているから、そういったものをひとつひとつ拾い出して減額調整を進める事になるが、オーバーしている金額から見れば微々たるもので、思い切って何かを止めない限り根本的な問題解決にはならない。工務店の社長達にとってもレンガ積みの家など今まで誰も経験した事のない物件である。挑戦してみたいという気持ちはあっても、明らかに赤字となることが分かっている仕事に手が出る訳もない。夕暮れが迫る頃、僕とYさんは、ただ脱力感を味わったまま最後の工務店を後にした。こうしてこの「木造レンガ積みの家」は、僕が恐れていた通り、打開策を見付けられないままその後暫く計画は中断する事になった。

 しかし、Yさんは決して諦めていた訳ではなかった。3ヶ月ほど経ったある日、インターネットで木造レンガ積みの家を造っている工務店を見つけ、今度、そこに話しを聞きにいくので一緒に行かないか、と、Yさんから電話がかかって来たのである。その工務店は長野県にあり、来てくれたら自分達が建てたレンガ積みの家を幾つか見せてくれるということだった。僕は、丁度他の予定が入っていたので一緒に行く事はできなかったが、フットワークのいいYさんは高速バスに乗って一日がかりでその工務店に行って来た。Yさんは、黒崎播磨の一社独占状態で値を下げ様がないレンガ積み工事をこの工務店が請け負ってくれたら、もしかしたら結構落とせるのではないかと期待していたのだった。だから、自邸の図面を携えて、遥々長野まで出向いたのである。ところが、話をしてみると、建物総てを請け負う事ができるので全部見積もらせて欲しいということになったという。

 僕は、長野の工務店が何故、相当な遠隔地となる横浜の住宅一軒を請け負う事ができるのか疑問ではあったが、Yさんの求めに応じて長野の工務店宛てにY邸の図面一式を郵送した。そして、再び3週間が過ぎた頃、長野の工務店から事務所に見積書が届いた。Yさんの家にも同時に届いた様で、すぐに僕の所へ電話がかかってきた。Yさんの声は今までになく明るく弾んでいた。見積書の金額は、丁度、解体工事費分の金額が予算よりオーバーしていたが、Yさんがもうここに頼むしかないという金額に納まっていたのである。
  
 長野のその工務店は社長自らオーストラリアからレンガを輸入し、長野で木造レンガ積みの家を展開している工務店だった。さらに中国から職人を呼んで自ら教育し、レンガ積みから内装の漆喰塗りまでこの中国人の職人さん達が行なうので、レンガの値段も施工の手間賃も相当安く抑えられるという。

 また、構造材についても、元々、その工務店の発祥が材木屋であったので、信州の良材を安く仕入れることができた。流石に大工の仕事ができるほど時間をかけて中国人を養成する事はできないので、神奈川に住む腕のいい大工さんを頼み、現場管理は都内の知り合いの建設会社に依頼するということだが、金額が抑えられる条件が巧く揃っていたと言えるだろう。トントン拍子に契約となり、遂に幻となりかけていたYさんのレンガ積みの家の工事が始まったが、それなりに難しい現場であったため、順調に工事が進んだとは言えない。

 しかし、懸案となっていた「乾燥木材」については、Yさんも材木屋として長い間、無垢の木を扱って来た工務店を信頼し任せることにし、実際に上棟して組まれた構造材を見て、Yさんの心配も少し和らいだ様だった。そして、現場近くのウィークリーマンションに泊まり込んで毎日こつこつとレンガを積み上げてゆく中国の職人さん達の仕事ぶりにも目を細めるYさんだった。

 仕上げの段階に入ると、Yさんは職人さんから手ほどきを受けながら一階の自分の部屋の壁の漆喰塗りに挑戦し、フローリングに塗るオイルをYさんが自ら注文して塗っていた。どこかの壁に漆喰で絵を描きたいと言っていたので、もう竣工も近づいていた頃、現場に足を踏み入れた僕は、Yさんの寝室の東側の壁面いっぱいに描かれたYさんの想いを見付けて一瞬驚きながらも、百年後、歴史に残されたこの壁画がイタリアの修道院に描かれたフレスコ画の様な枯れた味わいを醸し出しているかもしれない、とフッと思ってしまった。

2009年5月15日金曜日

9-6.木造レンガ積みの家/分離発注の失敗

分離発注の失敗

 Yさんのこだわりはまだまだあった。屋根材は耐久性を考えれば「瓦葺き」という選択肢がまず考えられるが、屋根が重くなると、レンガ積みに配慮してこれ以上できない、というところまで壁の面剛性を高めているのに、さらに耐震性を強化しなくてはならない、という問題がある。しかし、Yさんの気持ちとしても、レンガ積みの上に瓦屋根では流石に重苦しいのではないか、と感じていたのかも知れない。それで、耐候性が高く、軽い「アルミダイキャスト瓦」というアルミを型に流し込み成形した瓦、即ちアルミの鋳物瓦が候補に挙がったが、非常に高価であるため僕はYさんにとても予算に合わない旨を告げ、他の屋根材を考えてもらうことにした。

 予算については一番はじめに施主から聞いて、その予算に合った設計をするのが設計者の努めではあるが、施主というのは常に過大な要求とは裏腹にぎりぎりの厳しい金額をはじき出して来るものである。しかし、その数値が本当に施主が出せる限界なのか、それとも余裕を持った数値なのか、しかも、どの位の余裕をみているのか、それを明らかにしてくれる人はまずいない。

 だから、設計者は施主の夢を叶えてあげたいと思いながらも、施主の夢を挫かなければならない場面に度々直面する事になる。Yさんは、兎に角、材料ひとつひとつにこだわりを見せるので、予算に合わないという理由でそうしたこだわりを無にしてしまうのは忍びないが、設計を完了していざ工務店に見積もりを取った時に手の打ち用のない金額が出てきてしまっては計画自体が頓挫してしまうことになる。そうなることだけは何とか防がなければならない。
 さて、屋根材については軽い金属屋根で行こうということになったが、Yさんが見付けてきたのは「フッ素樹脂鋼板」だった。以前勤めていた会社の新潟にある関連会社が、新商品としてフッ素樹脂鋼板屋根を売り込みにきた時に、今の家の屋根をモニターとして安く葺き替えてもらったのだと言う。それが一〇年前の事で、その会社はすでに倒産してしまっているが、屋根は今でも錆びひとつなく保っているのでぜひフッ素樹脂鋼板がいいと言う。

 僕は何度も何度も予算の話しでYさんのご機嫌を損ねてはいけないと思い、兎に角、Yさんの思いに従った仕様で図面をまとめ、実際にどんな金額になって出て来るのか見てもらうことにした。相当な手戻りになることは分かっていたが、Yさんに現実を理解してもらうにはこうするしかないのかも知れないと思った。

 しかし、予算については僕の方でもひとつの目論みを持っていた。それは「分離発注方式」の可能性である。分離発注方式とは工務店を使わないで、各工事別に業者に直接仕事を発注するという方式である。発注作業に直接施主が関わる場合もあるが、通常は設計事務所が工務店に代わって発注、工程管理など煩雑な作業を担わなければならないので、設計監理料とは別にこうした業務の報酬を貰わなければならないが、それでも工務店の経費を考えれば相当工事金額を落とす事ができる。

 しかし、僕自身、他の設計の仕事を抱えていると、Yさんの家だけにどっぷり浸かっているという訳にはいかない。僕は、あの解散してしまったハウスメーカーで施工管理を取り仕切っていた人と懇意にしていた。彼はハウスメーカーが解散する少し前に独立し、小さな工務店を開いていたが、まだ一人で住宅の一軒を頼まれる程にはなっていなかったので、他の会社から雇われ監督としていくつかの現場を任され、それで生計を立てていた。そんな彼に以前、この分離発注方式について話し、Yさんの了承が得られれば、現場監督としてY邸の現場を取りまとめてもらえることになっていたのである。結局、彼が工務店の仕事をする、ということに変わりないのだが、システムとしては、工事業者ごとに施主が直契約を結び、彼は純粋にコーディネーターとして施主と契約するので、工務店一括発注に対して彼一人の経費で済むことを考えれば全体として2割程度安く済むのではないか、という期待があった。しかし、その期待はもろくも崩れ去る事になる。

 普通なら設計を開始してから半年後には着工に漕ぎ着けることができるのが住宅の仕事だが、Y邸は一年近くかかって漸く設計を完了する事ができた。僕は早速、コーディネーターを買って出てくれた彼に図面を預け、各工事業者への見積もり依頼とそのとりまとめを頼んだ。純粋に工務店一括発注をした時との比較が必要だったから、横浜市内にある工務店を一社探し出し、そこにも見積もり依頼をすることにした。見積もり期間は3週間である。

 そしてその3週間後、最初に出てきたのは工務店からの見積もりだった。相当予算オーバーしていることは覚悟していたから、3600万の予算に対して4700万という見積もりが出てきてもそう驚きはしなかったが、コーディネーターがやっと業者見積もりを集計して出してきた金額がそれと殆ど変わらなかった事には愕然としてしまった。何故、そんなことになってしまったのか、手にした見積書と、各業者の内訳書を見て分かったことは、第一に、工事ごとの見積もり依頼を最低でも3社から取り、最も安かった業者の金額を採用してゆかなければならないのに、彼は一社、二社からしか見積もりを取っていなかったこと、第二に、大きな工事をまとめて工務店に見積もり依頼してしまっているということだった。これでは分離発注の意味がない。彼には事細かく分離発注の仕方について説明し、理解してくれた筈だったのだが、考えてみればハウスメーカーで現場管理をしていたとは言え、メーカーでは発注業務は全く別の部署があり、そこで専門に行なっているので、工務店の仕事をした事がなかった彼にはそうした経験がなく、知っている業者もメーカーの下請け工務店を中心に限られていたのかも知れない。おまけにハウスメーカーを離れた彼に対して、業者も足下を見たのだろう。いずれにしろ僕の目論みは全く的外れなものになってしまった。

 この結果をYさんにそのまま伝えて良いものか否か迷うところだが、Yさんには最良の材料ばかりを使って理想の家づくりをしようとすれば、こんなにお金がかかってしまうのだ、という現実も分かってもらわなければならない。僕は満を持してYさんに結果報告をした。

 Yさんの驚く顔は予想通りだった。その都度、予算オーバーの忠告をしてきた僕の声に耳を傾ける事無く理想の材料を追求してきたYさんが、現実に目覚めた瞬間だった。しかし、コーディネーターを頼んだ彼に対する批判だけは、僕の予想外だった。Yさんは見積書を見て、コーディネーターが工務店と同じだけの経費を見積書の中に忍ばせたに違いないと思ったのである。この点については、僕は全くそんな疑念を彼に持ってはいなかった。分離発注が上手くいかなかったのは、彼にこの仕事をする力量が足りなかったからだということは確かだが、僕自身、彼がそうした仕事を上手くこなせる人だと勝手に思い込んでいたことにそもそもの原因があるのである。そのことを責められてもそれは致し方のない事で、ただ謝罪するしかないが、彼がその様なことをする人間だと思われては、その誤解だけは晴らしておかなければならない。僕は、ただ力の及ばなかったことを詫び、彼が誠実で信頼のおける人間で、決してそんな不正を働く人間ではないということだけはYさんに強く主張した。

2009年5月14日木曜日

9-5.木造レンガ積みの家/本物の乾燥木材はないのか?


本物の乾燥木材はないのか?

 レンガ積みの家とは言え、構造は木造の家である。だから、Yさんが「木材」に目を向けるのは当然の成り行きである。そして、この時まず問題になるのが、構造材に無垢材を使うか集成材を使うかということである。

 僕は、高気密・高断熱住宅を造り始めてから構造材は集成材を使う様にしてきたが、その理由は、無垢材はその乾燥状態が把握し難く、乾燥が不十分だと竣工後に木材の乾燥が進む事で狂いが出てきて家の気密性能が損なわれる懸念があるからである。その点、集成材は乾燥が容易なラミナと呼ばれる薄い板を張合わせ作っているので、狂いの心配はなく、部材の強度もばらつきなく安定している。

 構造用集成材は、初期の一九四〇年代頃にはレゾルシノール樹脂接着剤が用いられていたが、これはホルムアルデヒド系の接着剤であったため、七〇年頃にはホルムアルデヒドを含まない水性高分子イソシアネート系接着剤が開発された。しかし、レゾルシノールによる集成材はすでに長期間の暴露試験において剥離等の問題がないことが確認されているが、イソシアネートはまだその歴史が浅く、レゾルシノールより耐水性が劣るので湿潤環境での使用は避けた方がよい、という見方がある。

 しかし、高気密・高断熱住宅とはそもそも内部結露を起こさないための高気密なのだから、構造材が湿潤状態に置かれるという悪条件を想定する必要はなく、乾燥状態が不確かな無垢材を使用するリスクからみれば、圧倒的に構造材としての信頼性が高いと僕は考えていたのである。

 しかし、この頃からだったと思う。僕自身の中でも、「確かな乾燥材があるなら、国産の無垢材を使ってゆきたい」という思いが強くなっていた。それは勿論、自然素材ブームに乗った消費者から「無垢」という希望を聞く機会が増えてきたという背景もあるが、それだけではない。どちらかと言えば、無垢材の可能性をよく吟味しないまま、扱い易い集成材に安易に走ってしまったのではなかったか、という自分自身に対する反省が頭をもたげてきたのである。

 実は、もっぱら木造住宅の設計をしているという設計者でも、木の事がちゃんと分かっている設計者というのは少ない。だから、構造材として無垢の木を使う時には「乾燥」が極めて重要なポイントになる、ということを認識している設計者は殆どいない。

 木は含水率が約30%以下になると収縮し、それ以上になると膨張する。これを「繊維飽和点」といい、この繊維飽和点より含水率が低くなるほど木材の強度が増して来る。さらに含水率が20%以下になると、腐朽菌や変色菌に犯され難くなる。その他、乾燥材には切削、接着、塗装、薬剤処理などの加工性が良くなり、保湿性が良くなるという風に、僕が気にしている「狂い」の問題以外にも様々なメリットが出てくる。否、乾燥材でなければ集成材に敵わないのである。

 さて、一般に、人工乾燥材がKD材と呼ばれているので、「KD材」と指定しておけばそれで良いと思っている設計者も多い。KD材というのはKiln Dry Woodの略で、Kilnは乾燥機を意味する。海外から輸入された木材の梱包に「KD」という表示をよく見かけるが、しかし、これは単に「人工乾燥機を使って乾燥した材」であるということに過ぎない。日本では木材の乾燥程度を日本農林規格(JAS)によって規定し、建築様針葉樹製材の乾燥度を含水率によってD25、D20、D15と3種類に分類している。即ち、これは含水率が25%、20%、15%以下であることを示している。

 我が国の平衡含水率(大気の湿度と平衡した状態)はおよそ15%であるから、木材の含水率も人工乾燥機で15%程度まで乾燥させられればいい訳だが、今の乾燥技術では柱材、梁材などの太い材を精々、20%程度まで落とすのが限度であるため、後は家が建ってから徐々に構造材の乾燥が進み平行含水率に達することになる。その時、重要なのは、含水率20%の材であっても、材の芯までムラなく一定の乾燥状態にある、ということなのである。そうでなければ乾燥が促進される中で、材に歪みや割れを起こしてしまう可能性がある。

 しかし、柱材のような断面寸法の大きな製材品では、表面は乾燥しているが内部は高含水率であるということがよくある。このような状態を「含水率傾斜がある」と言うが、木材は単純に乾燥機にかけただけではその表面から乾燥が進み、芯部の水分はなかなか抜けない。だから表面が過乾燥になってひび割れを起こさない様に水蒸気を吹きかけながらゆっくり乾燥させるなど、様々な方法が取られている様だが、その詳細は夫々、木材メーカー、製材所の企業秘密である。

 では、製材となった木材の含水率をどうやって調べるのか、と言えば、「全乾法」という測定方法が最も正確な含水率を求めることができる。これは調べる対象の木材からサンプルを切り出し、最初にそのサンプルの重さを計っておいた上で、試験用の乾燥窯で全乾する。取り出したサンプルは中に含まれていた水分が抜けて軽くなっているから、最初の重さから差し引いた値がそのサンプルに含まれていた水分量ということになるから、簡単に含水率を求める事ができるし、切り出したサンプルの断面から夫々の部位の含水率を計測するのも容易にできる。但し、この全乾法は被験対象からサンプルを切り取らなければならないというのが欠点で、実際に使われる柱などからサンプルを切り出す訳にはいかない。

 そこで現場ではもっぱら含水率計が用いられることになるが、針葉樹の構造用製材品の日本農林規格では、乾燥材の含水率測定は認定された機種を使い、一材面につき三カ所、四材面で十二カ所の平均値をその材の含水率としている。しかし、「平均値」では各部位における含水率のばらつきがどの程度あるのか分からない。
 また、実際にこれらの含水率計が被験対象の表面からどの程度の深さまで正確に計測できるのか、と言えば、これについては林産試験場からそのデータが公表されている。それを見ると、まず、含水率計は表面から深さ二十数ミリまでの平均的な含水率を測定していることが分かる。これでは柱材などの芯部の含水率は分からず、本来問題とすべき「含水率の傾斜」を確認する事ができないということになる。

 さらに、そんな含水率計でどこまで全乾法に近い値がでるのかといえば、これも林産試験場がその試験データを公表しているが、含水率が20%以下では、割と表示される数値のズレが少ないが、含水率がそれ以上多くなると値が結構ばらつく傾向にある様である。即ち、含水率計によってどれだけ正しい含水率が求められるかと言えば、これが相当怪しいのである。

 いずれにしろ、信頼性の高い確かな乾燥材を作るには非常に手間のかかることであり、木材価格の安さからすれば、殆どそんな手間ひまをかけた材を作っている余裕などない、というのが現状であり、流通している殆どの木材が乾燥の不十分な、あるいは乾燥にムラのある材であると考えていいだろう。
 
 伝統工法で家づくりが行なわれていた時代には勿論、人工乾燥機などなかったから、葉枯らし乾燥(伐採した丸太を葉をつけたまま自然乾燥させること)などで自然乾燥した材を用いていたので、今よりもずっと含水率の高い材使っていたということになる。しかし、生材(乾燥しきっていない材)は柔らかく柔軟性があり、粘りがあるので加工する時に割れ難く、昔の大工さんは木の性質を熟知していたので、材が組み上がってから乾燥して収縮する時にしっかり固定される様に仕口や継手の刻み方を工夫していたのだという。

 昔の家は今と比べれば遥かに時間をかけて作られていた。棟上げをして屋根を急いで掛けても、例えば、壁一面を作るのに昔は合板や石膏ボードといった「面材」がなかったので、下地として竹小舞を編んでは土壁(荒壁)を塗り込んで乾かし、さらに中塗り、上塗りとその都度乾かしながら塗り込んでゆくという左官工事ひとつをとっても、今では考えられない時間がかかっている。そうやって家がゆっくり造られてゆく中で木材の乾燥もゆっくりと進み、馴染んで行った。

 しかし、今はそんな時間のかけ方は望むべくも無い。そんなことをしていたらいくらお金があっても足りない。だからこそ木材の人工乾燥が必要であり、確かな乾燥木材が求められるのである。僕もYさんもまずはネット上にある「木材乾燥」に関する情報をかき集めては打ち合わせの時に持ち寄り、検討を重ね、その中でやっと一社、僕らを納得させてくれそうなメーカーを見つけ、資料やサンプルを取り寄せてはいたが、この問題は最終的に工務店が決まるまで懸案事項として残される事になった。

2009年5月13日水曜日

9-4.木造レンガ積みの家/二世帯住宅の思惑


二世帯住宅の思惑

 Yさんと釘のメーカーに行ったり、レンガのメーカーに行ったりと、流石に僕自身も普段、木造住宅の設計の中では経験する事のなかった時間を持ちながらも、プラン作りは着々と進めていた。前述したように、この家の施主は二人いるのである。Yさん本人とYさんの息子家族である。Yさんが一階に住んで息子家族が二階に住むという基本構成だが、完全分離型の二世帯住宅とするにはこの敷地条件で可能な床面積が足りない。玄関と化粧室、浴室は一階で共有とすることで、随分スペースに余裕ができる。

 最近は若い世代の夫婦にとって、土地+建物でローンを組むには負担が大きすぎるので、親の土地をあてにして二世帯住宅を建てるケースが多いが、完全分離型にすると住宅にとって最も負担の大きい設備機器が二重に必要となる事、絶対面積に余裕がないため夫々の部屋にゆとりがなく、見かけは大きな家でありながら、実は小さな部屋で生活しなければならないということになってしまう。

 二世帯住宅を考える時に、子供世帯にとってまず問題なのが、夫の親、妻の親のどちらと一緒に住むか、という選択だが、少し時代を遡れば、長男の嫁は夫の家に嫁ぐのだから、その親の面倒を見るのが当然だという社会通念があったが、今では、妻は一般的に自分の親と住む方が気が楽で、夫にしても妻が気を使いながら暮らすのを見ているのは忍びない、ということで、妻の親と暮らす方がいい、という意見が多い。

 しかし、実際には、その選択はお互いの両親の現状から判断されることになる。一方の親の健康状態がおもわしくなく、老々看護をしている状況であれば、子世帯としてはそちらを優先せざるを得ないだろうし、一方の親がすでに片親で、病気で不自由な生活を送っている様であれば、勿論、そちらを優先させなければならない。どちらの親と暮らすか、というのはそうした現状判断からなされることになるが、どんなスタイルの二世帯住宅にするか、というのは、ここで結構夫々の相性が問題になってくる。

 子世帯の奥さんが夫の親と二世帯住宅を造るのはいいが、完全分離型でなければイヤだということになれば、割高で窮屈な住まいを許容しなくてはならない。しかし、折角一緒に住むなら「大家族」でワイワイ楽しくやろう、ということになれば、家のプランは随分違ったものになる。

 以前やった例では、正に「大家族」をテーマに、親夫婦、子世帯夫婦の部屋とその子供達の個室はあるが、あとは総て共用とした家がある。キッチンにはおばあちゃんと若奥さんが立ち、ダイニングには家族全員分の席があり、広いリビングがある。若奥さんは専業主婦であったが、若夫婦で何処かへ出かけたい時には、老夫婦が子供達の面倒を見てくれるし、おじいちゃんが病院に行く時には、若奥さんが車で送り迎えをする。「昔は年金なんかなくたって何も困る様なことはなかった」と、聞いた事があるが、昔の日本の家というのは確かに3世代同居というのが当たり前だったのである。

 家父長制と呼ばれ、囲炉裏を囲んで食事を取る時にもヨコザ(主人または長男の場所)、キャクザ(客の場所)、カカザ(主婦の場所)、キジリ(次男以下の場所)というように、きちんとその席が決まっていたというまだ封建的なしきたりが残っていた時代とは違うが、核家族化が進み、「家族の絆」とか「家族の団らん」という言葉が聞かれなくなってきた現在、家族というものに対する危機意識が反動となって多少封建的な求心力を求めて「大家族」という形が二世帯住宅という場を借りて再び顕在化してくるのかも知れない。

 しかし、Y邸に関して言えばそれは明らかに深読みのし過ぎである。Yさんは自分の寝室に孫を泊めてあげる為のベッドをどう置こうか悩んでいるくらいだから、息子家族とは当然上手くやってゆけるものと、そんな心配はしておらず、ただこのレンガの家を形あるものとして孫に残してやりたいという想いの方が遥かに強い様だった。

2009年5月12日火曜日

9-3.木造レンガ積みの家/「外張り断熱」との相性


「外張り断熱」との相性

 さて、釘の次はレンガである。以前、拙著で紹介した木造レンガ積みの家は、千葉にある工務店の主が自ら広島まで出向いてレンガ工場を探し、レンガ積みの職人も紹介してもらって造り上げたものだったが、一般に国内で造られているレンガ積みの家はオーストラリアなどから輸入したレンガを使用しているものが多かった。解散してしまったハウスメーカーの木造レンガ積みの家も黒崎播磨という会社が輸入しているレンガを使用していた。黒崎播磨は元々、高炉などに使われる耐火煉瓦を作る会社で、現在もレンガやファインセラミクスなどの製造を手掛けているが、住宅用のレンガについては自社制作するよりも輸入の方が安いということなのだろう。

 千葉の工務店ではYさんが建て替えようとしている横浜は現場が遠すぎるということで、引き受けてもらえなかったので、とりあえず僕らは二人で黒崎播磨の東京の事務所に足を運ぶ事になった。まず、木造レンガ積みの家に使われるレンガの実物をYさんに見てもらう必要があったし、レンガ積みの実際の工法について確認しておく必要があったからだ。

 千葉の工務店が使った広島のレンガは、ちょっとピンクがかった素焼きの風合いが良かったのだが、黒崎播磨で扱っているオーストラリア産のレンガはその色調は5種類くらいあったものの、表面に撥水性をもたせるために釉薬が塗られていて、その妙な光沢が僕のイメージには合わなかった。それは、ハウスメーカーが幕張の展示場に新築したモデルハウスを見た時にも感じた事だった。

 木造レンガ積みの家の断熱については充填断熱でも問題はないが、実は外張り断熱に適している。外張り断熱では木造の軸組の外側に断熱材を張るので、その上に通気層をとって外壁材を張るには、専用の長い釘を使って留めなければならない。外壁材を持ち出したまま支えなければならないので、できるだけ軽い外壁材を用いなければならない、という制約がある。

 しかし、レンガ積みは正しくコンクリートの基礎の上にレンガを積み上げてゆくので、レンガの荷重を釘で支える必要がなく、一定間隔で柱梁から横揺れに対するサポートを取っておけば良い。レンガ積みの家は普通の木造住宅に比べると地震に対して柔軟性がないから、層間変異を極めて小さく見積もり、そのため相当な耐震性を持たせる必要が出て来るから、軸組の外側を構造用合板で覆い、しっかり固める必要がある。構造用合板は結構、透湿抵抗(湿気の通し難さ)が大きいので、それだけで高気密を確保することができる。この外側に発泡プラスチック系の断熱材を貼る訳だから、構造用合板が気密シートの役割を果してくれる訳だ。そんなところがまさに外張り断熱とレンガ積みの相性の良さと言えるかも知れない。今回はこの構造用合板を留めるのが、先に見つけておいた安田工業のスーパーLL釘である。

 構造に関しては木造2階建ての場合に用いられている通常の壁量計算だけでは心もとないので、構造屋さんに頼んで許容応力度計算にかけてみると、構造用合板で面剛性を取るだけでは充分ではなく、壁という壁にはことごとく筋交いを入れなければならないことが分かった。流石にこんな家を僕も見た事がない。大地震で廻りの家が総て倒壊してしまっても、その中でこの家だけはびくともしないで建ち続けているのではないか、と思えるほどだ。

 さて、レンガ積みについてはひとつ面白い話しがある。準防火地域では木造2階建ての建物は外壁と軒裏の延焼の恐れのある部分を防火構造としなければならないが、明らかに防火性能に優れているレンガ積みの外壁であっても個別に認定番号を取得していないものは防火構造と認められないのである。だからハウスメーカーで木造レンガ積みのモデルハウスを造った時には、黒崎播磨のレンガ積みの仕様が防火認定を受けていなかったので、レンガ積みの裏にわざわざ防火サイディングを張らなければならなかった。それならサイディング張りの普通の木造住宅にただお飾りでレンガを積んでいるに過ぎないことになってしまう。そうならないためにも何とか無用なサイディングを張らずに済ます事ができないか、というのが、以前から気になっていることだった。ただでさえ高価なレンガ積みをするために、サイディングの費用まで見込まなければならないとしたら、あまりにお金がかかりすぎるからだ。

 しかし、その後、ハウスメーカーでの需要を見込んで黒崎播磨では木造レンガ積み仕様の外壁の防火認定を取得していたのである。結局、ハウスメーカーの宛ては外れることになったが、しかし、今回のYさんの家は準防火地域であり、多少、その風合いに不満があっても、この認定取得は黒崎播磨のレンガをYさん宅の有力候補として挙げなくてはならない理由として十分だったと言えるだろう。

2009年5月11日月曜日

9-2.木造レンガ積みの家/知らなかった釘の盲点


知らなかった釘の盲点

 Yさんが家の建て替えを思い立ったのは、廊下の床板の一部が抜けてしまったのがきっかけだった。床を剥がして中を覗いてみると根太を留めていた釘がボロボロに錆び付いて折れていた。それを見て、木造住宅はおよそ釘で留められてできているのだから、まず、錆びない丈夫な釘で造らなければダメだ、とその時思ったそうである。

 そんな話しを聞いて、確かに僕自身、釘についてこれまであまり考えた事がなかったことに気付かされた。しかし、釘について書かれた文献は非常に少なく、昔の「和釘」についてなら建築史家がその著書の中で触れているものがあるが、現在一般に使用されている釘について調べようと思っても殆ど情報が得られない。唯一、エクスナレッジという建築関係の出版社から「釘が危ない」という本が出ていたので中を覗いてみると、なかなか興味深い話しが載っていた。

 一般に構造用合板を木造住宅の耐力面材として使用する時には、N50釘を150以内のピッチで留めなければならないとされている。しかし、N50釘という釘は関東では殆ど売っていないというのである。それで、早速、近所のホームセンターに行ってN50釘があるかどうか確認してみると、確かにN50釘は売られていなかったのである。では、実際にはどんな釘が使われているのかというと、FN50釘という梱包用の釘が使われているらしい。FN50釘はN50釘よりも径が細く、釘頭も小さい。明らかに強度の劣る釘が使用されているのである。
 さらに、今の大工さんは昔の様に釘を口にくわえて一本一本金槌で打つ訳ではない。釘打機を使って一気に打ってゆく。圧力が弱いと釘頭が出てしまうので、通常、圧力を高めて打つらしいが、釘頭の小さいFN50釘では容易にその釘頭がボードの中にめり込んでしまう。そうなると、面剛性を確保しようとする時に、さらにその強度を弱めてしまう事になる。こうした釘についての盲点は、この時はじめて知った事だった。このように、建築主からプロであるはずの設計者が教えられ、勉強になる事は度々ある。

 自らも釘について色々調べていたYさんが、今度、釘のメーカーに話しを聞きに行くことになったので一緒に行かないか、と誘いの電話をかけてきた。安田工業というその会社は安田財閥の創始者、安田善次郎が、東洋で初の製釘事業として起業したという歴史のある会社であったが、その割には本社は神田のこじんまりとしたビルのワンフロアにあった。

 Yさんと僕は竹橋の駅で待ち合わせて、約束の時間に訪れると、ミーティングルームのような什器が揃った部屋に通され、そこで会社の説明や先に述べた様な現在使われている釘の問題点についてブリーフィングを受け、当社が作っているスーパーLL釘というステンレス釘を紹介してもらった。

 スクリュー釘の様に螺旋の溝が付いた釘で、螺旋の溝と溝の間に滑り止めの刻みが入っており、驚いたのは、径はN50釘とあまり変わらないが、直径で倍近い大きな釘頭が付いていた。これなら打ち込んでも抜け難く、釘打機で強く打っても釘頭はまず木材の中にめり込む心配はなさそうだった。ステンレスなので錆びについての問題は格段に少ないし、強度的にもN50釘の比ではなさそうだった。

 Yさんは家の建て替えの動機が「釘」であったため、やっと理想の釘に出会えた思いだったのかもしれない。一般に釘は大工さんの日当に含まれているのが慣例だから、値段の高い釘を大工さんに指定するのは酷だと思ったのだろう。Yさんは新しい家に使う釘を総て自分で購入し、現場に支給することにした。高い釘と言っても家一軒分を用意したところでその差額は5万円くらいなものである。木造住宅にはいい釘を使わなければ、という強い想いからすれば何て事は無い。

 長年、釘を売ってきた安田工業の担当者にとっても、特に業者でもない一般の人がこれ程釘に関心を持ってくれたことが嬉しかったのかも知れない。このスーパーLL釘は、普通の釘より釘頭が大きいため一般の釘打機が使えず、この釘を使うには専用の釘打機を買わなければならないところを、Yさんの熱意に動かされて、現場が始まったらその専用の釘打ち機を貸してくれることになった。こうしてYさんの家づくりは「釘」を見つける事から始まったのだった。

(写真 左:FN50釘、中:N50釘、右:スーパーLL釘)


参考文献:木構造建築研究所 田原HP
「釘が危ない!」(エクスナレッジ)保坂貴司

2009年5月10日日曜日

9-1.木造レンガ積みの家/施主のおしゃべりは大歓迎?

施主のおしゃべりは大歓迎?

 僕の本が出てから2年くらい過ぎた頃だったと思う。僕が本の最後のページで紹介していた「木造レンガ積みの家」を建てたい、というお客さんが現れた。そこに書いのは、ある工務店の事例として取り上げたものだったが、ぜひ僕に設計を依頼したいという。世間の常識から言えば、「その工務店を教えて下さい」と情報だけを得ようとするものだが、定年を過ぎた白髪まじりのこの施主は違った。

 最初にメールで打診を受けた僕は、兎に角,一度お会いしてお話を伺いたいと返答し、僕らはお互いの中間点となる地下鉄の駅側の喫茶店で待ち合わせた。Yさんは横浜市に住んでいて、元々土木関係のコンサルタント会社のエンジニアだったが、定年後、土質工学の専門家としての腕を見込まれ、今の会社で若い社員を指導しているとのことだった。彼自身、土木ではあるが設計の仕事に従事していたので、設計の重要性を良く理解している人だった。従って、自分の住宅を考える時も設計事務所に設計監理を依頼する、というのは彼の中では至極当然のことだったのである。

 Yさんは技術屋なので建築については門外漢であっても、自ら熱心に勉強し、とことん疑問点を追求してゆく、という技術屋魂みたいなものを持った人だった。だから、設計者にもそれ相当の知識と技量を求めていた。

 僕の本を読んで問い合わせをして来るお客さんの多くは「断熱マニア」と呼んでいいような人達が多かった。こういう人達は、断熱材や断熱工法に詳しく、一番良い断熱工法は何か、というようなことばかりに目が向いていて、それさえ見つければそれでいい家が建つと思っている様な人達で、こうしたマニアの人達の殆どが家づくりに失敗しているように見えた。断熱マニアは普通の設計者よりもずっと断熱についての知識が豊富なため、「専門家のくせにどうしてこんなことも知らないのか?」と、設計者に対して不信感を抱くようになってしまう。一度、そうなると他のどんなことでも単純には信用できない、という気持ちになり、家づくりにとって一番大切な設計者との信頼関係を築けなくなってしまうのである。

 どんな断熱材を使って、どんな工法を用いようと、設計者の設計力がなければそれが活かされないということを彼らは知らなかった。家をトータルに見る事ができなければ決していい家にはならない、ということを彼らは理解していない様だった。いい家を造りたいと思って勉強したことが返って仇になってしまうのである。

 しかし、Yさんはそんなマニアとはちょっと違っていた。まず、「大事なものは目に見えない」ということをよく知っている人だった。見えないものとは、例えば、地盤、構造、木の無垢材の乾燥、断熱、換気といったものである。その上で百年持ち堪えられる最良の素材を求めていた。だから、木造でありながらレンガを積む、という家に大きな魅力を感じたのだろうと思う。

 Yさんの家は築三十年になる古家だった。子供たちはとっくに独立し、奥さんも年金が貰える歳になって乳がんで亡くされ、今はそこに一人で暮らしていた。敷地は急傾斜の市道に面してひな壇に造成された土地で、斜面下の部分は宅盤の下をくり抜いてカーポートを自ら造成していた。隣地の石積み擁壁が古く神奈川県の崖地条例に抵触するため、建て替え時に何らかの対策が必要であると思われたが、道路を挟んだ南側は昔の城跡として保存緑地となっており、市中でありながら緑に恵まれた環境だった。

 Yさんは、男でありながら,兎に角、おしゃべりな人だった。僕が設計した家を一度見てみたい、と言うので、一軒の家を案内したことがあった。Yさんと東船橋で待ち合わせ、そこから車で三十分位のところにある夫婦二人暮らしの家に案内した。設計事務所にとって、お客さんに自分がどんな家を設計するのか,具体的に分かってもらうためには、自分が設計した家を実際に見てもらうのが一番良い。しかし、住宅というのはプライベートなものであるし、人がくれば奇麗に掃除をしておかなくてはならない、という気を使わせてしまうことになるので、設計者であってもなかなか気軽にお願いできる訳ではない。だから、見学者を喜んで受け入れてくれる家というのは、極めて稀でありがたい存在と言える。

 まだ四十に入ったばかりの夫婦の家は、僕自身が設計した住宅の中でも色々説明する材料に事欠かない家だったが、Yさんは、車の中でもそうだった様に、ひたすら身の上話や自分自身の家に対する思いに花を咲かせ、現地に到着してからも殆ど見学すべき家を見ていなかった。僕はやっと相槌を打つことができるくらいで、ただただYさんの思いを受け止めることだけに終始していた。折角自分の自信作のひとつを紹介できると意気込んでいた身にとってはいささか食傷気味だったが、それはそれで構わない。世の中には色々な人がいる訳で、自分がどんな家を望んでいるのか、それをきちんと表現できる人の方が少ないのだ。それに比べたらとことんおしゃべりをしてくれる人の方が設計をする上での情報量が圧倒的に多いのだから、むしろ歓迎すべき事なのである。

 Yさんは、今の古家を取り壊して、息子家族との二世帯住宅にしたい、という希望を持っていた。それを何故レンガ積みなのか、というと、孫に残してやりたいという思いがあるからだった。だから、百年は保つ長寿命住宅でなければならない。そんな事例は他にもあった。若い世代よりも、ある程度ゆとりのある老夫婦が長寿命住宅を求めるのである。自分達が死んでしまった後に自分達が生きていた証しを残しておきたい、自分達がいなくなった後もその子孫のために役に立ちたい、歳を取るとそんな想いが強くなるのかもしれない。
 木造レンガ積みの家は、Yさんにとってそんな想いを叶えられる家だったのだ。

2009年5月9日土曜日

8-4.コラボレイション/デザインとはマジックである



デザインとはマジックである

 長野の小さな村の縄文土器を展示する資料館は、K君と共に、縄文土器を飾った展示ケースでカーテンウォールのファサードを造る、という大胆な提案を試みたが、却下され、基本設計としてプランをまとめ上げるのに予定外の時間を通やすことになった。この計画は,当初からスケジュールが立たず、それが明確になった時にはすでに無謀な設計工程を求められていた。そして、この計画はやっと基本設計のまとめの目処が立ったところでストップしてしまった。村から、設計工程が守られていない旨の申し出があり、受注していたコンサルタント会社が一方的に契約を打ち切られてしまったのである。

 後で分かったことだが、村長が地元の設計事務所にこの仕事を廻したのである。そして、村長は程なく贈収賄容疑で捕まることになった。お陰で僕らは約半年の間、無償で働いたことになる。

 遠隔地であるため、K君に敷地を見てもらうための交通費を工面する事もできず、僕は元請けのコンサルタント会社の社長と共に、先方の役所の担当者との打ち合わせに合わせて、朝一番の飛行機に乗って何度か現地を訪れた。岡山空港に入り、岡山駅から電車で瀬戸内海を渡って、香川県の丸亀の駅で借りたレンタカーで現地に入り、午前中の内に計画敷地を視察し、道端のうどん屋で讃岐うどんを食べて、昼一番の役所との打ち合わせに出席する、という強行軍である。こうした遺跡の現場は便利な町の中にはないから、いつも車は欠かせなかった。

 この計画もやはり完成まで町の予算に合わせて毎年少しずつ進めて、展示工事まで終えてオープンに漕ぎ着けるまで5年を要するスケジュールで、工事着工の予定はその時点では明確ではなかったが、実施設計はその年度中に仕上げなければならなかった。

 K君は施設を3つのブロックに分けた僕のスケッチを元に、具体的なデザイン検討に入っていたが、より新しいアイデアを盛り込むことに力を入れる基本設計と、それを如何に具体的に実現するか、ということを考えなければならない実施設計ではまた違う設計の醍醐味がある。例えば、僕は国道から見える施設のアプローチ面にコンクリートの長い壁面をつくり、その壁面をどうデザインするか、K君にいいアイデアを求めていたが、K君はその壁面に三十度の角度で均等に丸い穴を空けるというデザインを考えていた。即ち、コンクリートの表面は楕円形になるということだが、それだけ鋭角でコンクリート壁に孔を空けると、薄くなる部分が欠けてしまい決して奇麗な楕円にはならないことが目に見えていた。普通ならそのようなデザインは無理だということで諦めるところである。

 しかし、建築を設計する面白さというのは、実はマジシャンのように、人を如何に不思議がらせるか、というところにある。常識的には無理だと思われることをいかにして可能にするか、マジックを考えることがひとつの新しい表現性に繋がってゆくのである。僕らは斜めに切断した鋼管を型枠の中にセットし、コンクリートの中に打ち込んでしまうことで、このデザインを可能にした。

 さらに、沢山の丸い穴が斜めに穿たれたこのコンクリートの壁は屋根の部分で、逆L形に片持ちのスラブが普通なら支え切れない長さで飛び出している。これは、背後にもやはり逆L形の壁、スラブが高さを変えて噛み合う様に配置されていて、その間に空間を作っているのだが、屋根の部分で噛み合った隙間に設けられたハイサイドライトのサッシ部分に隠されたスチールのフラットバーで、上のスラブから下のスラブを吊っているのである。

 K君とのコラボレイションで実施設計を終えたこの小さなガイダンス施設には、そうしたマジックがちりばめられていた。この様に、設計者が設計を純粋に楽しめる機会は何にも変え難いものである。

 あとはお互い生活のための収入を何処かで工面しなければならない、という現実が待ち構えてはいたが、

2009年5月8日金曜日

8-3.コラボレイション/アイデアを出し合って、自分の殻を打ち破る


アイデアを出し合って、自分の殻を打ち破る

 僕はかつて美術館や博物館といった建物の設計を得意としていた事務所に勤めていたので、時々、そんな物件が舞い込んで来た。そうした建物の多くは公共建築物であり、地方自治体に設計の指名願いを出していなければ正式に入って来るような仕事では勿論無い。そうした建物の中の展示計画をしたり、あるいは文化財専門のコンサルタントをしている会社が、自分達の仕事をしている中で建物自体の設計監理も受注してしまうことがあるのだ。

 こうした会社では建築設計の仕事など全くしていなくても社員に一級建築士の資格を持つ者がいれば一級建築士事務所登録をしている場合が多く、元請けとなって設計自体は総て外注に出してしまうのである。美術館や博物館の設計にはやはりそれなりのノウハウがあり、そうした物件の実績のある設計事務所は大抵、大手か名の知れた建築家の事務所ということになるが、そういう所に頼むと高い設計料を払わなければならない。そこで、一応、そんな実績のある事務所から独立して細々とやっている僕の様なところに話しが舞い込んで来るのである。多くは地方の埋蔵文化財の発掘現場に建てる小さな博物館施設である。

 下請け仕事はできるだけ避けて通りたいと思うのは誰しも同じだが、何の宛もコネもなく独立した身にとって、こんな設計者冥利に尽きる仕事ができる機会はそうあるものではない。それに、元請けの会社自体は全く建築には不慣れなので、デザインを含め、基本設計から実施設計まで、あるいは現場監理までお任せ状態になるのだから、多少,設計料が安くてもこれは断れない。

 そんな話しで最初に実現したのは、群馬県の山の中に造った全国の郷土玩具を集めた小さな博物館だった。幾何学的なプランの中に展示室を納め、外周廻りは鉄筋コンクリートの壁を一層建ち上げ、ふたつの芯となる部分に設けた矢倉からプランに添って幾何学的な木造の屋根を掛けている。背景の山並みに合わせた屋根の形状は、独特の雰囲気を放ちながら緑の中に溶け込んでいた。五百平米くらいの小さな博物館だが、住宅から比べれば遥かに大きい。それでも自分一人で図面を描き切る事のできるスケールであり、その空間はイメージと現実とのズレは全くない。西欧的な重厚な壁の上に無垢の木をふんだんに使った日本的な小屋組が乗った美しい空間に仕上がった。設計者として自らの名を冠した建物にはならないが、例えそうであっても、こういう魅力的な仕事はそうあるものではない。

 文化施設の展示計画も行なう大手事務機メーカーからも、そうした地方の小さな博物館施設の計画案やコンペ案の作成を頼まれたこともある。この手の仕事は、実現しないことも多いのだが、企業からの依頼による仕事は計画案を作るだけでも設計料をきちんと支払って貰う事ができたので、安心して取り組める仕事ではあった。しかし、こうした仕事の多くは決して大きくはない会社からの依頼であり、魅力的な仕事ではあっても、金銭面では相当キツい条件を飲まされる場合も珍しくはなかった。

 K君の断熱コンサルタントをしている時に、ある文化財コンサルタントをしている小さな会社から、立て続けに3つの案件を頼まれていた。ひとつは房総半島にある縄文期の墳墓跡、2つ目は長野の縄文土器、3つ目は四国にある平安期の瓦窯跡、それぞれの史跡に造られるガイダンス施設である。

 最初に始まった房総半島の物件については、初年度は基本設計までだったので、自分一人でも充分こなせる仕事ではあったが、僕はあえてK君に「手伝ってもらえないか?」と声を掛けた。設計という仕事は、ただ一人の創造性によって生み出すことのできるものではあるが、何か新たな表現性を求めようとする時には、ちっぽけな一人の頭では限界がある。自分の発想と、自分には無い発想をぶつけ合うことで、より高い次元の表現性を追求できるのではないか、そんな想いを感じていた時に、K君は絶好のパートナーとなってくれるような気がしたのである。

 彼は快くこの申し出を受けてくれた。僕らは房総半島の内陸部の人里離れた山中に墳墓跡を訪ね、その施設が建てられる敷地を探索し、まず、基本設計の初期段階として、それぞれラフスケッチを起こす作業に取りかかった。こうした施設の機能は比較的単純で、エントランス、受付、事務室、展示室、セミナー室、それに閉館時でも使用できるトイレ、それらを有機的に構成することである。敷地も広く、特に意気込まなくても、誰でもプランくらい簡単に作れそうなものだが、逆に言えば、如何にして魅力的な施設にするか、と考え始めると、これだ、というものに辿り着くまで膨大な量のスケッチを書かなくてはならない。そうした作業をひとりでやっていると、どんどん自分の世界の中に埋没してゆくことになり、視野がどんどん狭くなって行ってしまう。そうなってしまうともうアイデアに広がりがなくなり新鮮な表現性が損なわれてしまう。そんな時には、それを客観的に見る眼が必要であり、ちょっとした他者のサゼッションが、問題解決の糸口になったりするのである。

 僕らはお互いにラフスケッチを見せ合い、お互いに批評し合い、何度もそれを繰り返しながら少しずつひとつの方向性を見出してゆく。

 考えてみれば、僕とK君は一世代違う年齢である。普通なら僕がリーダーシップを取って彼が僕の方針に従って作業を進めてゆく、という関係になるのが普通かもしれない。しかし、そうした上下関係があっては彼のアイデアを十二分に引き出すことはできない。対等に意見を出し合う、という関係を保ってこそコラボレイションの意味があるのだ。

 僕らは、受注者の求めに応じて基本計画書にまとめる計画案を3案作ったが、自分達が薦める案は一案だけだった。二股に分かれた枝のようなプランで、僕らは二人とも、自分一人では決してこんなプランは作り得なかっただろう、と思える自信作だった。二人にとっては素晴らしい案を造り上げることができたコラボレイションだったのである。しかし、こんなプラン、こんな建物を誰も見たことはないだろうから、この案を採用することに誰もが二の足を踏んでしまう可能性はあった。事実、受注者自身もこの案はちょっと過激すぎる、という印象を持った様だった。

 こうした文化財に関する事業は文化庁から補助金を貰って地方自治体(この場合は町だが)が行なうもので、基本設計を終えた時点で、町の委員会の承認を得なければならない。受注者と共に建築の設計担当として僕は委員会に出席を許され、これら3案についての説明を行なったが、委員会では今後どの案で進めるか決めようという話しになり、一案は全員の合意のもと選から外れることになったが、態勢としては僕らの自信作ではない四角い大人しい案の方を薦める声が圧倒的に多かった。しかし、これではとても無理かな、と覚悟を決めていた時だった。メンバーの中では一番若く、ただひとり、文化庁から出向いていた委員が、僕らの自信作を高く評価し、

「今、急いで一案に絞る必要は無いのではないか?」と、その場での決着を留保する様、進言してくれたのである。

 こうした事業は、計画の立案から竣工、オープンまで以外と長い年月がかかってしまう。今年は基本設計、来年は実施設計、次の年は躯体工事まで、その次の年は内装・外装を仕上げ、そのまた次の年は展示工事をやって、やっとオープンに漕ぎ着ける、という具合に、町の毎年の予算取りに合わせて少しずつできてゆくのである。

 僕らは少なくとも5年先の新鮮な建物をデザインしなければならないのである。文化庁の若い委員はその辺の勘所を良くわきまえていたのかもしれない。

2009年5月7日木曜日

8-2.コラボレイション/断熱コンサルタント

断熱コンサルタント

 僕とK君は東京駅から出ているつくばセンター行きの高速バスに乗って、つくば市内まで行った。実はK君の実家はつくばにあり、父親は内科の開業医をしていた。狭い世界だから彼のはじめての施主となるS医師と面識があっても不思議はなさそうだったが、S医師は精神科の医師であるということもあって、K君の父親との繋がりはないということだった。親が知り合いであればK君の信用度は格段に違っていた筈だった。話しを聞くと、S医師はK君が独立したてでまだ結婚もしていない、という事を気にしていたらしいのである。昔は男にとって結婚とは社会的な信用だと聞いていたが、今でもそうした感覚が根強く残っていたことに、僕はちょっと驚いた。でも、施主にとってみれば、まだ経験も浅い独立したての独り者ではどこをどう信用していいものなのか、拠り所がない不安があるのだろう。会社に属している設計者なら、多少本人が頼りなくてもその会社の信用度が彼を守ってくれるだろう。しかし、そんなものがまるでなく、本人だけを見て、その人間が信頼できる相手かどうか判断できるほどの人格者などそういるものではない。

 僕らは、会議場の1階にテナントとして入っていたファミレスで待ち合わせていた。2階分吹き抜けたガラス張りの大きな箱のようなスペースに、アルミフレームの軽い感じの椅子とテーブルが配置されていた。僕とK君は、待ち合わせの時間より少し早かったので、喫煙席で一服してから窓際の禁煙コーナーに席を移した。そこに、サイクリング用の自転車に乗って眼鏡をかけた一人の中年男性がやって来た。S医師だった。

 僕らは立ち上がって挨拶を済ませると、早速、今後の進め方について話し合った。K君が設計監理者として契約すること。僕が、断熱についてのコンサルタント業務を行うこと。K君の設計監理料を工事費の9%とし、コンサルタント業務の報酬を1%とすること等、具体的な取り決めを行い、K君の設計に合わせて断熱の仕様や暖房についての提案を次回行う事となった。

 僕は話しながら、S医師とK君の仲人でもしているような感じがしていた。僕にしてみれば、S医師は自分の直接の施主ではなく、自分が第三者的な立場なので、遠慮なく自分の考えを述べることができた、というのが良かったのかもしれない。S医師はすぐに僕が付いていてくれれば安心だ、という気持ちになってくれた様だった。K君の設計料が1%分減ってしまったが、今まで渋られていた契約をすんなり受け入れてもらう事ができたのだから、K君にとってもその事の方が嬉しかったに違いない。兎に角、これで彼は自分の作品を作る事ができるのだ。僕らは画家や彫刻家の様にまず自分で作品をつくるということができない。自分の作品が作れる様になるにはまず人の信用を勝ち得なければならない。だからどうしてもそのスタートは遅くなってしまう。建築を長い間学んで来た者にとっては、やっと本当の意味でのスタート地点に立てた、という大きな意味があるのである。

 こうしてK君は自らの初仕事をコンペで勝ち取る事ができ、早速、本格的な設計に取りかかる事になった。そこでまず、僕は、建物の面積をコンペ案より一回り小さくすることを彼に進言した。

 コンペというのは設計条件として必ず予算が示されているものだが、そこを正直に守っていると他の案に見劣りするものになってしまう。だから、皆、予算の事はそっちのけで最良の案を考えるものである。予算の事はコンペを取ってからゆっくり考えれば良いのだ。それによってコンペ案とはまるで違うものになってしまってはマズいが、いずれにしろ、取れなければ何もならないのだから、まず、取る事だけを考えるのである。

 一回り小さくする、というのは勿論、明らかに予算オーバーしていると判断できるからであり、プランやカタチを変えずに面積を落とそうと思えば、まず、やらなければならないことである。そんなことから始まり、断熱の仕様を決めれば僕の役目はそれで良かった筈なのだが、結局、木造住宅の細々した納まりについて一通りK君に伝授しなければならなかった。だから、彼は随分徳をした筈だ。しかし、だからと言って僕が損をしたとは思っていない。自分が学び得た技術やノウハウを自分だけの武器にして墓場まで持ち込んで何になるだろう。若い設計者にどんどん伝授してさらにいいものにしてもらい、いい家が一軒でも多く建ってくれれば、その方が自分がこの世に生まれて来た意味があるというものだ。

2009年5月6日水曜日

8-1.コラボレイション/若い設計者とコンペ

若い設計者とコンペ

 インターネットが普及してくると、設計事務所を集めてビジネスを始めようとするサイトが次々と現れて来た。最初に登場したのが、ネット上で住宅のコンペを開催するサイトで、これから家を建てたいという一般客を募り、そこに我こそは、という設計者が何十人もコンペ案を応募するのである。施主はその中から一番良いと思った案を選ぶ訳だが、仕事に恵まれない若くて優秀な設計者にとっては、いかに競争率が激しくても数少ないチェンスであることには変わりないし、多くの案をただで見られるのだから、施主にとってもありがたいシステムだった。

 しかし、設計者がどれだけの労力と時間をかけて作成したのか知る由もない施主は、以外と「採用案なし」として、工務店に設計施工で頼んでしまうか、たちの悪い人なら最初からそのつもりでいい案を手に入れ、それを工務店に持ち込んでしまう事もしばしばある様だった。逆に、一番いい案だと喜んで若い設計者と契約したはいいが、殆ど住宅の設計の経験がなく、予算が全然合わなかったり、現場で問題を起こして大変な目に合う施主も出て来る。いい面もあれば問題点もある、まだ、そんなビジネスの創世記だった。

 僕がかつて勤めていた事務所の大先輩から電話をもらったのも丁度、そんな時期である。彼の知り合いの若い設計者がコンペでつくばの住宅の仕事を取ったのだけれど、施主は高断熱・高気密にしたいと言う。その若い設計者はまだ独立したばかりで木造住宅の経験もなく、ましてや高断熱・高気密については何も知らないので相談に乗ってやって欲しい、ということだった。

 僕はその話しを聞いて、ビックリした。丁度、その頃、僕の本を読んだ、という読者から相談を受けていたのだ。つくば市で医者をやっていて、ネットのコンペで自宅の設計者を選んだのだけれど、まだ木造住宅の経験のない、しかも、高断熱・高気密の知識もなさそうなので、どうしたものか、という問い合わせだったのだ。

「僕のところに、その施主から相談が入っていますよ。」
と言うと、今度はその大先輩が電話の向こうで驚いている様だった。

 それで、早速僕はその若い設計者に会わせてもらう事になり、その週末、大先輩のお宅を訪問した。大先輩は、何年か前に奥さんを亡くし、ひとり娘も嫁いだばかりだったので、家には彼ひとりで、お互いに久しぶりの再会でもあったので、他に二人、昔の仲間も呼んで酒盛りの準備が整っていた。

 そこで僕はK君を紹介された。当時、三十代半ば過ぎのK君は、薄いあご髭を生やし、ちょっと学者風の風貌をしていた。出身の明治大学で講師をしているということだったから、成る程、という感じだ。僕は挨拶もそこそこに、持参して来ていたつくばのお医者さんとのメールのコピーを彼に渡し、こちらがどんなやり取りをしていたか、とにかくまず読んでもらう事にした。彼が読み終えると,次に大先輩がそれを読み、ひと言こう言った。

「普通なら自分の仕事にしてしまうんじゃない?」

 つくばのお医者さんからメールをもらった時、僕はこう返していた。

「コンペの案を作成するというのは、皆、大変な労力と時間を掛けているのです。ですから、施主の立場としては、そのコンペ案の中から設計者を選ぶというのが礼儀だと思います。もし、選んだ案の設計者が高断熱・高気密に詳しくなく、その辺がご心配なら、僕が断熱についてだけコンサルタントとして付いても構いませんよ。でも、設計者にとっては、やはり目の上のたんこぶのような存在ですから嫌がられるかも知れません。ご確認してみては如何ですか?」

 そう、このコンサルについての提案に対し、設計者から「勿論構いません」という返事をもらった、というので、その時は、僕の方が意外に思っていたのだった。自分の持っていないものを素直に認めて、他者を受け入れることのできる人間、僕は、その時、「相当できる奴だな」と感じたのである。大抵は自分に自信がないから他者を受け入れられないのだ。それを受け入れられるのは、それだけ自分に自信のある人間なのだ。それがK君だった。

 僕は、自分自身何度もこうしたネットコンペに応募した経験を持っていたから、その苦労もよく分かっている。だから、施主にも礼儀を尽くしてもらいたいと思う。言われてみれば、確かにこうして転がり込んで来た施主を上手く自分の方へ引き寄せる事はできたかもしれない。でも、それは武士のする事ではない。
 僕らはその夜、結局、終電を逃し、朝までとりとめのない話しに花を咲かせることとなった。

2009年5月5日火曜日

7-5.家づくりを共に楽しむ/打ち合わせがなくなって寂しい


打ち合わせがなくなって寂しい

 住宅の設計において最終的に重要なのは、施主の予算内に納まる設計をしなければならない、ということである。しかし、現実にはそう上手くいくことは殆どない。施主の要求条件はその予算のおよそ1.5倍あると考えて良い。だから予算が絶対条件なら、施主の夢を摘み取ってゆかなければならないことも稀ではない。

 M夫妻の家の設計打ち合わせがあれほど盛り上がったのは、ひとえに予算のとこをそっちのけで進めてきたからに他ならない。もし、最終的に追加変更見積もりをして、大幅に予算をオーバーし、 Mさんがそれを全く許容できない様であれば、それまでずっと楽しんで来た思いが一気に落胆や怒りに変わることだってあるのだ。図面をまとめあげるための半年間に及んだ打ち合わせの終盤には、それこそお金の事が営業のY君にとっての一番の心配事だった。

 そして、案の定、その心配は的中し、当初契約した工事金額よりも三割近くもオーバーしてしまったのである。この事実をMさんにどう切り出したらいいものか、Y君は相当胃の痛い思いをしたに違いなかった。しかし、この問題を避けて通ることはできない。設計打ち合わせも最終段階に入ろうとしていた暮れも押し迫ったある日、Y君は沈痛な面持ちで打ち合わせの席に着き、追加見積書をMさんの前に差し出した。

「少しずつ追加分や変更分について金額をお出ししておけば良かったのですが、」
と言ってY君は口ごもってしまった。

 Mさんはその沈黙に気付きもせず、夫々の項目と追加金額を照らし合わせながら見積書のページを捲ってゆくと、

「僕らの希望を遥かに超える家にして頂いたのですから、当然このくらいはオーバーするだろうと思っていました。心配しなくて大丈夫ですよ。」と言って頭をもたげたままのY君に微笑みかけた。

 ハウスメーカーの仕事だから現場は現場担当者に任され、設計者は殆ど現場に足を運ぶ事は無い。勿論、僕も監理料など貰えるとは思っていなかったが、自分が設計したものに対しては責任がある。と言うよりは、愛着がある、と言った方が正しいかも知れない。愛着が持てないものを設計する、即ち、ただ単に仕事として設計をしている、というのでは設計者とは言えない。僕らは自分自身の手でものを作る訳ではないが、多くの人の手を借りて作り上げられるものは他の誰でもない設計者自身の頭の中から生まれてきたものなのだ。それが実際にどのように出来上がってゆくのか、そんな楽しい場面を見過ごす事なんてできない。

 M夫妻も現場を見に来るのが楽しみな様だった。基礎が打ち上がった頃までは現場を見ながら以外に小さな家だという印象を持っていたMさんだったが、上棟の時にはそのボリューム感を見て高揚する気持ちを抑え切れない様だった。家というのは地面に平面をなぞった段階ではやけに小さく感じるものである。それが、構造が組みたがった時、屋根が掛かった時、外壁で覆われた時、内壁ができた時、と言う様に家は小さく感じたり、大きく感じたりしながら順繰りと出来上がってゆく。

 この家は、先にも触れた様に、ハウスメーカーの家なので基本的にその仕様を守らなければならない。しかし、結局、守られた仕様は外断熱の仕様とSE構法という集成材を金物で留める構造だけだった。それ以外は総て仕様から外れている。

 僕が推薦し、最後までイメージを掴めないまま僕を信じて決定してくれた外壁材が取り付けられた時には、日が沈むまで僕もMさんも現場から離れる気になれず、じっと井桁の様に組まれた壁が刻々とその表情を変えてゆく様を見ていた。丸みのあるリブが付いた淡いグレーのアルミサイディングだが、太陽の角度や日差しの強さ、陰の部分でその色が何とも形容し難い美しさに変化してゆく。これは僕自身、予想できなかったことだが、Mさんにとっても忘れられない感動になった様だった。

 建物が竣工して、友人に製作を依頼していたリビングベッドを運び入れ、やっとMさんの新生活がスタートしたが、僕らの楽しみはまだそれで終わりではなかった。建物が美しくその場に存在するためには庭やアプローチ部分のデザインが不可欠である。

 外構工事は建築本体とは切り離されて別途工事となったが、僕は岩山の上にこの建物を据え置こうとイメージしていた。それに反応してMさんの奥さんがガーデンデザインの本ではなく、山の写真集を持ってきてくれたことがとても嬉しかった。

 岩の隙間に可憐な高山植物が生えているそんな写真を指差して、
「こんなイメージですよね?」と奥さんは僕のイメージを見事に理解してくれた。

 大きな岩は、溶岩の塊である。トラック一杯の溶岩石をユニックで下ろして、現場でひとつひとつ配置を確認しながら置いてゆく。植物もその隙間に植えてゆくが、根をつけ花を咲かせ、イメージが形になるには暖かい春を待たねばならない。

 しかし、こうして設計・監理を終え、冬場の早い日没の時刻にはもうほろ酔い加減になった僕とMさん、そして、当に任務を終えていたはずのY君の3人で、敷地のフェンスを乗り越え、夜陰のフェアウェイの中を駆け抜けると、その先の小高い丘の上に座り、闇の中に煌煌と輝くフェアウェイフロントの家を眺めた。家が完成した暁には、ぜひ一度ゴルフ場の中からこの家を眺めてみたい、というのが僕らのかねてからの夢だったのである。

 僕らは暫く何も言葉を発することなく、ただじっと生まれたばかりの新たな光景を眺めていた。すると、Mさんが呟く様に言った。
「もうあのワクワクする打ち合わせがないと思うと、ちょっと寂しいですね?」