2009年5月6日水曜日

8-1.コラボレイション/若い設計者とコンペ

若い設計者とコンペ

 インターネットが普及してくると、設計事務所を集めてビジネスを始めようとするサイトが次々と現れて来た。最初に登場したのが、ネット上で住宅のコンペを開催するサイトで、これから家を建てたいという一般客を募り、そこに我こそは、という設計者が何十人もコンペ案を応募するのである。施主はその中から一番良いと思った案を選ぶ訳だが、仕事に恵まれない若くて優秀な設計者にとっては、いかに競争率が激しくても数少ないチェンスであることには変わりないし、多くの案をただで見られるのだから、施主にとってもありがたいシステムだった。

 しかし、設計者がどれだけの労力と時間をかけて作成したのか知る由もない施主は、以外と「採用案なし」として、工務店に設計施工で頼んでしまうか、たちの悪い人なら最初からそのつもりでいい案を手に入れ、それを工務店に持ち込んでしまう事もしばしばある様だった。逆に、一番いい案だと喜んで若い設計者と契約したはいいが、殆ど住宅の設計の経験がなく、予算が全然合わなかったり、現場で問題を起こして大変な目に合う施主も出て来る。いい面もあれば問題点もある、まだ、そんなビジネスの創世記だった。

 僕がかつて勤めていた事務所の大先輩から電話をもらったのも丁度、そんな時期である。彼の知り合いの若い設計者がコンペでつくばの住宅の仕事を取ったのだけれど、施主は高断熱・高気密にしたいと言う。その若い設計者はまだ独立したばかりで木造住宅の経験もなく、ましてや高断熱・高気密については何も知らないので相談に乗ってやって欲しい、ということだった。

 僕はその話しを聞いて、ビックリした。丁度、その頃、僕の本を読んだ、という読者から相談を受けていたのだ。つくば市で医者をやっていて、ネットのコンペで自宅の設計者を選んだのだけれど、まだ木造住宅の経験のない、しかも、高断熱・高気密の知識もなさそうなので、どうしたものか、という問い合わせだったのだ。

「僕のところに、その施主から相談が入っていますよ。」
と言うと、今度はその大先輩が電話の向こうで驚いている様だった。

 それで、早速僕はその若い設計者に会わせてもらう事になり、その週末、大先輩のお宅を訪問した。大先輩は、何年か前に奥さんを亡くし、ひとり娘も嫁いだばかりだったので、家には彼ひとりで、お互いに久しぶりの再会でもあったので、他に二人、昔の仲間も呼んで酒盛りの準備が整っていた。

 そこで僕はK君を紹介された。当時、三十代半ば過ぎのK君は、薄いあご髭を生やし、ちょっと学者風の風貌をしていた。出身の明治大学で講師をしているということだったから、成る程、という感じだ。僕は挨拶もそこそこに、持参して来ていたつくばのお医者さんとのメールのコピーを彼に渡し、こちらがどんなやり取りをしていたか、とにかくまず読んでもらう事にした。彼が読み終えると,次に大先輩がそれを読み、ひと言こう言った。

「普通なら自分の仕事にしてしまうんじゃない?」

 つくばのお医者さんからメールをもらった時、僕はこう返していた。

「コンペの案を作成するというのは、皆、大変な労力と時間を掛けているのです。ですから、施主の立場としては、そのコンペ案の中から設計者を選ぶというのが礼儀だと思います。もし、選んだ案の設計者が高断熱・高気密に詳しくなく、その辺がご心配なら、僕が断熱についてだけコンサルタントとして付いても構いませんよ。でも、設計者にとっては、やはり目の上のたんこぶのような存在ですから嫌がられるかも知れません。ご確認してみては如何ですか?」

 そう、このコンサルについての提案に対し、設計者から「勿論構いません」という返事をもらった、というので、その時は、僕の方が意外に思っていたのだった。自分の持っていないものを素直に認めて、他者を受け入れることのできる人間、僕は、その時、「相当できる奴だな」と感じたのである。大抵は自分に自信がないから他者を受け入れられないのだ。それを受け入れられるのは、それだけ自分に自信のある人間なのだ。それがK君だった。

 僕は、自分自身何度もこうしたネットコンペに応募した経験を持っていたから、その苦労もよく分かっている。だから、施主にも礼儀を尽くしてもらいたいと思う。言われてみれば、確かにこうして転がり込んで来た施主を上手く自分の方へ引き寄せる事はできたかもしれない。でも、それは武士のする事ではない。
 僕らはその夜、結局、終電を逃し、朝までとりとめのない話しに花を咲かせることとなった。

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