2009年5月15日金曜日

9-6.木造レンガ積みの家/分離発注の失敗

分離発注の失敗

 Yさんのこだわりはまだまだあった。屋根材は耐久性を考えれば「瓦葺き」という選択肢がまず考えられるが、屋根が重くなると、レンガ積みに配慮してこれ以上できない、というところまで壁の面剛性を高めているのに、さらに耐震性を強化しなくてはならない、という問題がある。しかし、Yさんの気持ちとしても、レンガ積みの上に瓦屋根では流石に重苦しいのではないか、と感じていたのかも知れない。それで、耐候性が高く、軽い「アルミダイキャスト瓦」というアルミを型に流し込み成形した瓦、即ちアルミの鋳物瓦が候補に挙がったが、非常に高価であるため僕はYさんにとても予算に合わない旨を告げ、他の屋根材を考えてもらうことにした。

 予算については一番はじめに施主から聞いて、その予算に合った設計をするのが設計者の努めではあるが、施主というのは常に過大な要求とは裏腹にぎりぎりの厳しい金額をはじき出して来るものである。しかし、その数値が本当に施主が出せる限界なのか、それとも余裕を持った数値なのか、しかも、どの位の余裕をみているのか、それを明らかにしてくれる人はまずいない。

 だから、設計者は施主の夢を叶えてあげたいと思いながらも、施主の夢を挫かなければならない場面に度々直面する事になる。Yさんは、兎に角、材料ひとつひとつにこだわりを見せるので、予算に合わないという理由でそうしたこだわりを無にしてしまうのは忍びないが、設計を完了していざ工務店に見積もりを取った時に手の打ち用のない金額が出てきてしまっては計画自体が頓挫してしまうことになる。そうなることだけは何とか防がなければならない。
 さて、屋根材については軽い金属屋根で行こうということになったが、Yさんが見付けてきたのは「フッ素樹脂鋼板」だった。以前勤めていた会社の新潟にある関連会社が、新商品としてフッ素樹脂鋼板屋根を売り込みにきた時に、今の家の屋根をモニターとして安く葺き替えてもらったのだと言う。それが一〇年前の事で、その会社はすでに倒産してしまっているが、屋根は今でも錆びひとつなく保っているのでぜひフッ素樹脂鋼板がいいと言う。

 僕は何度も何度も予算の話しでYさんのご機嫌を損ねてはいけないと思い、兎に角、Yさんの思いに従った仕様で図面をまとめ、実際にどんな金額になって出て来るのか見てもらうことにした。相当な手戻りになることは分かっていたが、Yさんに現実を理解してもらうにはこうするしかないのかも知れないと思った。

 しかし、予算については僕の方でもひとつの目論みを持っていた。それは「分離発注方式」の可能性である。分離発注方式とは工務店を使わないで、各工事別に業者に直接仕事を発注するという方式である。発注作業に直接施主が関わる場合もあるが、通常は設計事務所が工務店に代わって発注、工程管理など煩雑な作業を担わなければならないので、設計監理料とは別にこうした業務の報酬を貰わなければならないが、それでも工務店の経費を考えれば相当工事金額を落とす事ができる。

 しかし、僕自身、他の設計の仕事を抱えていると、Yさんの家だけにどっぷり浸かっているという訳にはいかない。僕は、あの解散してしまったハウスメーカーで施工管理を取り仕切っていた人と懇意にしていた。彼はハウスメーカーが解散する少し前に独立し、小さな工務店を開いていたが、まだ一人で住宅の一軒を頼まれる程にはなっていなかったので、他の会社から雇われ監督としていくつかの現場を任され、それで生計を立てていた。そんな彼に以前、この分離発注方式について話し、Yさんの了承が得られれば、現場監督としてY邸の現場を取りまとめてもらえることになっていたのである。結局、彼が工務店の仕事をする、ということに変わりないのだが、システムとしては、工事業者ごとに施主が直契約を結び、彼は純粋にコーディネーターとして施主と契約するので、工務店一括発注に対して彼一人の経費で済むことを考えれば全体として2割程度安く済むのではないか、という期待があった。しかし、その期待はもろくも崩れ去る事になる。

 普通なら設計を開始してから半年後には着工に漕ぎ着けることができるのが住宅の仕事だが、Y邸は一年近くかかって漸く設計を完了する事ができた。僕は早速、コーディネーターを買って出てくれた彼に図面を預け、各工事業者への見積もり依頼とそのとりまとめを頼んだ。純粋に工務店一括発注をした時との比較が必要だったから、横浜市内にある工務店を一社探し出し、そこにも見積もり依頼をすることにした。見積もり期間は3週間である。

 そしてその3週間後、最初に出てきたのは工務店からの見積もりだった。相当予算オーバーしていることは覚悟していたから、3600万の予算に対して4700万という見積もりが出てきてもそう驚きはしなかったが、コーディネーターがやっと業者見積もりを集計して出してきた金額がそれと殆ど変わらなかった事には愕然としてしまった。何故、そんなことになってしまったのか、手にした見積書と、各業者の内訳書を見て分かったことは、第一に、工事ごとの見積もり依頼を最低でも3社から取り、最も安かった業者の金額を採用してゆかなければならないのに、彼は一社、二社からしか見積もりを取っていなかったこと、第二に、大きな工事をまとめて工務店に見積もり依頼してしまっているということだった。これでは分離発注の意味がない。彼には事細かく分離発注の仕方について説明し、理解してくれた筈だったのだが、考えてみればハウスメーカーで現場管理をしていたとは言え、メーカーでは発注業務は全く別の部署があり、そこで専門に行なっているので、工務店の仕事をした事がなかった彼にはそうした経験がなく、知っている業者もメーカーの下請け工務店を中心に限られていたのかも知れない。おまけにハウスメーカーを離れた彼に対して、業者も足下を見たのだろう。いずれにしろ僕の目論みは全く的外れなものになってしまった。

 この結果をYさんにそのまま伝えて良いものか否か迷うところだが、Yさんには最良の材料ばかりを使って理想の家づくりをしようとすれば、こんなにお金がかかってしまうのだ、という現実も分かってもらわなければならない。僕は満を持してYさんに結果報告をした。

 Yさんの驚く顔は予想通りだった。その都度、予算オーバーの忠告をしてきた僕の声に耳を傾ける事無く理想の材料を追求してきたYさんが、現実に目覚めた瞬間だった。しかし、コーディネーターを頼んだ彼に対する批判だけは、僕の予想外だった。Yさんは見積書を見て、コーディネーターが工務店と同じだけの経費を見積書の中に忍ばせたに違いないと思ったのである。この点については、僕は全くそんな疑念を彼に持ってはいなかった。分離発注が上手くいかなかったのは、彼にこの仕事をする力量が足りなかったからだということは確かだが、僕自身、彼がそうした仕事を上手くこなせる人だと勝手に思い込んでいたことにそもそもの原因があるのである。そのことを責められてもそれは致し方のない事で、ただ謝罪するしかないが、彼がその様なことをする人間だと思われては、その誤解だけは晴らしておかなければならない。僕は、ただ力の及ばなかったことを詫び、彼が誠実で信頼のおける人間で、決してそんな不正を働く人間ではないということだけはYさんに強く主張した。

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