2009年6月6日土曜日

12-7:大地に還る家/「大地に還る家」はこうして造られる


「大地に還る家」はこうして造られる

 「大地に還る家」は、そこから誰もがイメージする様に、その家が天寿を全うする時にその家を成り立たせていたそれぞれの部材が環境を汚染することなく大地に還ってゆくものでなければならない。しかし、リサイクル、リユースできるものが、現実にはごく限られたものであるのと同じ様に、単純に大地に還ってゆく材料というのもそう多くはない。

 例えば、現在最も安価で使い勝手の良い内装下地材として使われている石膏ボードも、石膏が昔から使われている自然素材なので安心であると思われがちだが、その主成分である硫酸カルシウムは土壌の地下水に生息する硫酸塩還元細菌の代謝を受けて硫化水素を発生させてしまうので、そのまま土に還して良いものではない。また、最近、普及して来ている給水・給湯配管システムの「サヤ管ヘッダー方式」に使われる「架橋ポリエチレン管」は半永久的に劣化しないとされ、僕も採用しているが、そういった配管類も建物解体時には産業廃棄物として処理しなければならなくなる。

 また、どんなにそれが「大地に還る家」に相応しい良い材料だと分かっていても、コスト的な問題で諦めざるを得ない場合も少なくない。例えば、木製サッシが良いのは分かっていてもそうそう使えるものではない。ではその次に性能の良い樹脂製サッシにするかと思えば、それは石油化学建材である。アルミサッシにすれば、アルミも原材料の輸入から製造までを考えるとその環境負荷の大きさが問題となる。こうしたコストの絡む問題は常につきまとい、僕らはそうしたもののひとつひとつに「優先順位」を付けて判断してゆかなければならなくなる。

 いずれにしろ現実的には、環境負荷に対する問題意識をきちんと持って今できることをしておくしかないということになる。「大地に還る家」は20年×10回という短期間にメンテナンスを必要とする家ではない。その位の実現性は見えているが、残された問題は時を追って解決されてゆかねばならないし、重要なのは、日本のその土地の気候風土に最も相応しい家づくりとしての「思想」を継承してゆかなければならないということである。


 では、「大地に還る家」という思想が今、体現できるものについてそろそろ整理しておかなければならないだろう。しかし、それは政府の200年住宅のような壮大なビジョンではない。未来を見据えて今できる事をより具体的に提示し、ひとつひとつその解決の道を探ってゆく事が一設計者の勤めであろうと考えている。従って、それは僕が自身の家づくりの履歴を時系列的に語って来たことをまとめる事に他ならないが、「大地に還る家」の当面の目標はまず、これまでの日本の家づくりの反省から始めなければならない。それらを箇条書きにまとめると次の様になるだろう。

大地に還る家とは

1)できるだけ石油化学建材に頼らない家づくり
湿気を通し難い石油化学建材の使用が、家と人の健康を損なわせて来た。住宅の「部品化」を担って来た石油化学建材の使用を見直し、家づくりを職人の「手仕事」に取り戻そう。

2)地産地消を目指し、国産材をフル活用する
地元で採れる無垢の木を、確かな技術で人工乾燥し、構造材として使用しよう。山に残されている間伐材、未利用材も合板、集成材、その他の建材の基材として用いる等、フル活用し、日本の森を守ろう。地産地消は木材に限った事ではない。家づくりに関わる産業は非常にその裾野が広く、必要な材料や技術を如何に無駄な物流コストをかけずに調達すことができるか、と考えれば、できるだけ国内で、近県で、地場で作られるものを、そしてその土地が育んで来た技術を使おうということになり、伝統的な産業、技術が復活し、地域社会の経済活動が昔の様に自然のサイクルの中に戻ってくるはずである。地球温暖化防止への施策とは、地域のアイデンティティを取り戻すことに他ならない。

3)地盤事故を起こさない、より確かな地盤調査の実施
信頼性の低いスウェーデン式サウンディング試験だけに頼らず、土を採取し、その性質を見極める事でより確かな地盤判定を行なおう。どんなにいい家ができても、足下が揺らいでは意味がないのだから。

4)構造計算(許容応力度計算)により、大地震でも安心な強度を確保
基準法に基づく壁量計算だけでは自由な設計に対応できない。許容応力度計算によって、より実態に即した構造性能を確保し、長寿命住宅が遭遇する大地震に対して「安心・安全」を確保しよう。

5)透湿する素材を用いて、その土地の気候条件に合ったより自然な断熱法の実現
「高気密・高断熱」後の住宅は、より自然に即した断熱としたい。北海道では冬場の暖房により、内外の温度差が大きく、内部結露を防止するための「気密」が欠かせないが、首都圏の温暖地では「透湿する壁」を造って内部結露の心配のない断熱をすることができる。「透湿する壁」は透湿抵抗理論という現代の科学によって産み出されたものだが、それは同時に日本の家づくりの基本に立ち返った断熱法であるとも言える。

6)その土地の気候・風土・歴史に即したパッシブデザインの実現
家とはそもそもその土地の気候・風土に合わせて人が過ごし易い室内環境をつくるためにその長い歴史の中で造られて来たものである。そのカタチには皆、意味があり、家はそれ故にその土地独特の美しさを持っているものである。その土地だからこそ生まれるデザインがある。そんな家づくりを、そして、そんな街づくりを僕らは取り戻さなければならないと思う。

7)家族を見つめ直し、これからの「家」のあり方を再構築する
一世代の中でも家族はどんどん変化してゆく。何世代にも渡ってその変化に対応できる「スケルトン・インフィル」の対応も必要だが、家族が変化してゆく時間軸を空間化してゆく事も大切である。そのためには、機能分化して来たこれまでの家づくりの考え方を改め、あえて複雑な機能を持たせ、多目的な用途に供する空間を仕掛けることで、家族のコミュニケーションを再生する助けになるのかも知れない。個人と世界がリアルタイムで繋がる究極の情報化社会の中で「家」の持つべき役割を今一度考え直してみる必要があるだろう。

“大事なものは目に見えないんだよ”

と言ったのはサン・テグジュペリの星の王子様である。
地盤、構造、木材の乾燥、断熱、換気といったものは目に見えないものである。しかし、「木の家」づくりを考え始めると、この目に見えないものが如何に重要であるか、ということが分かってくる。家づくりに使われるたったひとつの部材からでも世界を見渡すことができる。だからこそ、僕はひたすらこの目に見えないものに光を当てることにこだわって来たとも言える。

 人は「目に見えるものしか信じない」ものである。しかし、それではいつまで経っても本当にいい家を手にする事はできないだろう。僕ら設計者にとって、住宅の設計を依頼してくる建主も、実は目に見えないものである。建主は様々な思いを要望事項として出してくるが、大事なことはそこには書かれていない。僕らは建主の「言葉にならない声を聞く」ことができなければ、本当にその建主が求めているものをカタチにして提案する事ができないのである。それは、建主にとってみれば、設計者が見えない、ということと同じである。必要なことは徹底的にコミュニケーションを取ること、人は皆違うのだということを知ること、家族は皆違うのだということを知ること、その上で信頼関係を築くことが何よりも大切なことである。僕の積み重ねて来た失敗は、同時に建主にとっての失敗であり、その原因はおよそコミュニケーション不足に他ならないのだから。

 「大地に還る家」をひと言で言えば「持続可能な循環型社会を目指す家」である。そう言うと、昔の様な伝統的な家屋をイメージする人もいるかもしれない。しかし、そうではない。見えないものの重要性は変わらなくても、それが表現性までをも拘束するものではない。建主の趣向によっても、設計者の表現スタイルによっても違って当然である。しかし、例えば、最近は庇のない住宅が多いが、それに替わる日射遮蔽の手段が講じてあれば、そうしたデザインも活きるかもしれない。しかし、それがデザインのためのデザインであれば、その家の寿命はそう長くはないだろう。

 「大地に還る家」は、北海道で高気密・高断熱を学んだ一設計者が、首都圏という環境風土の中で住宅の設計をはじめ、そこで経験した様々な失敗を乗り越えながら辿り着いた目指すべき山の登山口に過ぎないのかもしれない。しかし、それは多くの設計者や家づくりを学ぼうとする人達が迷い込むけもの道ではない。その道は意図的に隠されて来たものではない。ただ、その道は、それを見ようとしない人達には見えない道なのである。(完)

2009年6月5日金曜日

12-6:大地に還る家/より自然な暖冷房を求めて


より自然な暖冷房を求めて

 パッシブデザインによって屋外の厳しい気候条件を和らげることができるが、それだけで快適な室内環境が得られる土地は多くはない。建築的な手法で賄えない分は何らかの機械的な方法で補わなければならない。北海道などの寒冷地では高気密・高断熱によって冬場の暖房費を一気に1/5〜1/7に落とす事ができたが、だからと言って暖房設備がいらなくなった訳ではない。

 首都圏地域は冬、寒いと言っても、北海道の様に生死に関わる寒さではない。しかし、快適な室内環境を求めれば、やはり暖房が必要となる。夏はその蒸し暑さが極めて不快であるとは言え、やはりそれも生死に関わるほどのものではない。しかし、快適さを求めれば冷房を考えなければならない。四季のはっきりしたこうした気候が豊かな自然の恵みを与えてくれるのは確かだが、パッシブデザインとしての「家」にとっては、暑さにも寒さにも、そして高い湿度にも対応しなければならないというのは、なかなか難しい環境なのである。

 高気密・高断熱住宅というのは、「高気密」「高断熱」「換気」「暖房」を4点セットと考えていたから、首都圏での住宅設計においても暖房をデザインすることは当然の事と僕は考えていた。最も失敗のない暖房方式は北海道で一般的に行なわれているパネルヒーターによるセントラル温水暖房だが、温暖地においてはそれほど完璧な暖房設備の要請はなく、常に予算をかけられないくらいそのプライオリティが低かったから、できる事はFF式灯油暖房機や深夜電力蓄熱ストーブ一台で家全体を暖めるというやり方が多かった。家全体の断熱性能が高ければ理屈の上ではそれでもOKと言えたのだが、実際には熱の発生源を分散しなければ、吹き抜けの大きさや位置、間取りによっては家の中で温度ムラができてしまう。理想的な暖房方式は、温風を出すタイプのものではなく、より自然な暖かさが得られる「輻射暖房」である。

 我が家で実験した暖房システムは外断熱を施したベタ基礎の上に温水パイプを固定し、ボイラーで60℃位に沸かしたお湯を循環させるという単純なものだった。この方式では温水パイプの熱が床下の空気を暖め、それを室内に取り込むということになるが、その間にジワジワと基礎躯体に蓄熱され、イメージとしては、早く室内に熱を伝える「伝導」と、ゆっくりと家全体を暖める「輻射」という2つの効果を狙ったものだった。

 それに対して「田園を眺める家」のシステムは、基礎躯体に温水パイプを埋め込み、コンクリートに蓄えられた熱の「輻射」だけで暖房しようというものだった。実は、この時期に発売されたばかりのヒートポンプを深夜電力で稼働し、夏には「輻射冷房」も行なうことができるというもので、日本で実現するはじめての輻射暖冷房となった。これまでこうした冷房が行なわれなかったのは、結露の問題があったからだが、蓄熱体となっているコンクリート躯体が結露域に達しない温度に設定できれば輻射冷房も可能であるということである。

 しかし、我が家での実験とこの「田園を眺める家」のシステムで感じた事は、基礎躯体を蓄熱体として使うと蓄熱容量が大きすぎてその効果を活かすには少し時間がかかりすぎるということだった。また、輻射だけで熱を伝えるよりもやはり伝導熱と輻射熱の併用を考えた方が効果的であるということだった。

 そこで「歴史を繋ぐ家」ではベタ基礎の上に断熱材を敷き込み、基礎とは熱的な意味で絶縁し、その上に温水パイプを布設し、蓄熱用のコンクリートで固める事にした。ヒートポンプは通常の電気温水器と比べて1/3〜1/4ほどの電気代に抑えることができるが、それを深夜電力で使えばさらに電気代を安く済ませることができる。これをさらに地下5メートルの地熱を利用するシステムとすれば、今考え得る最もランニングコストのかからないシステムとなるだろう。
 ところで、この輻射暖冷房システムにはひとつだけ欠点がある。エアコンなら冷房時に同時に「除湿」が行なわれるが、この輻射冷房では除湿ができないのである。だから、大きな除湿器かエアコンを除湿用として一台設置しておく必要がある。

 しかし、今、地球温暖化対策の一貫として、平成一八年にいったん打ち切られていた家庭用太陽光発電設備に対する補助制度が復活しており、電力会社に対する家庭などにおける太陽光発電の買い取り義務を課す制度の導入により、将来的にはそうしたシステムを絡めたゼロ・エネルギー住宅が確実に普及してゆくことになるだろう。


 ところで、「田園を眺める家」では、この輻射冷房以上に「外付けの電動ブラインドシャッター」の効果が非常に大きい事が分かった。室内側にブラインドを付けると日射熱の半分は室内に入って来てしまう。しかし、外付けのブラインドはその90%を遮る事ができる。これは情報としては知っていることだったが、実際に経験してみるとその圧倒的な効果に驚かされた。

 日本の家は昔から深い軒の出、庇によって夏の日差しを遮ってきたが、実は、庇の前の日射で暖められた地盤からの輻射熱が相当に室内気候に影響して、室内を涼しく保つ事ができなかったのである。外付けのブラインドシャッターはこの輻射熱にも有効に働いていた様で、夏場は朝から窓を閉め切っておけば冷房を入れてなくても結構涼しいという。北海道の高気密・高断熱住宅ではこの手はよく使われる様だが、首都圏で夏にこの断熱・遮熱の効果がそこまで活きるとは僕も期待していなかったのである。そう、パッシブ効果で済ませられるなら、それこそその土地の気候に即した理想的な家づくりと言えるだろう。

2009年6月4日木曜日

12-5:大地に還る家/「団らんの場」を再構築する

「団らんの場」を再構築する

 さて、「歴史を繋ぐ家」の子供達はすでに一番下の女の子が中学生なので夫々の個室が求められたが、三人の子供に夫々六帖という広さの個室が与えられるというのは、それだけでこの家がそれ相当大きな家であることが分かるだろう。事実、延べ床面積は60坪ほどになったが、しかし、この家の特徴的なところは「リビング」がないということである。この家の中心はダイニングであり、そこに8人は座れるくらいの大きな無垢の厚板のテーブルを据え付ける計画である。ダイニングに面した南側には六帖ほどの「籐(とう)」を敷き詰めた「籐の間」という料亭の様な雰囲気のあるスペースを設けているが、ここは専ら主人が客を美味い酒でもてなすための場として求められたものである。
 「リビング」のない家というのも僕自身初めてだったが、リビングとは何なのか、今一度考えてみるいい機会になった。

 まず、欧米と日本では「リビング」というものの基本的な意味が違うことに触れておかなければならないだろう。
 子供部屋について触れた時にもフランスの住宅の例を挙げたが、フランスにおいてリビングはSALON、即ち、客を招き入れる場であった。アメリカ映画でも玄関扉を開けたら即リビングという家がよく登場するが、これは欧米において「リビング」がパブリックな空間であることを明快に示している例である。(日本でそんな住宅のプランを作ったら、まず却下されてしまうだろう。)

 日本でも当初は少しでも文化的な生活を、ということで西欧風の間取りを取り入れて形から入ろうと試みたものの、日本人は「上がり框(あがりがまち)」という玄関の段差をとうとう取り除く事ができなかった。即ち、日本では玄関までがパブリックな場で、靴を脱いで玄関を上がればそこはもう家族だけのプライベートな空間となるのである。

 欧米では親が客を家に連れてくると、子供達は自室から出て来て客に挨拶をする。欧米の住宅におけるリビング・ダイニングは客を迎え入れる場、即ち、社会に開かれた場であり、プライベートな場所というのは家族夫々の個室しかないのかも知れない。しかし、子供達にとってはより社会への窓が開かれていると言えるだろう。

 日本の住宅もかつての伝統的な家屋では、囲炉裏から縁側廊下に面した続き部屋はおよそ家族のための部屋というよりは客を招き入れるための部屋として機能していたが、今の日本の住宅の殆どはそうした社会に開かれた機能を持ったスペースはなく、リビングは家の中心にあって家族が集いくつろぐ、いわゆる「団らんの場」というイメージが強い。
 しかし、ここで今度は家族の「だんらん」とは何なのか考えてみる必要がある。

 昔を振り返って、農家の間取りを見ると、三和土(たたき)から上がった畳の間か板の間の真ん中に囲炉裏(いろり)という火を焚く場所がある。
 囲炉裏は暖房という手段を持たなかった昔の家にとっての暖を取る場所であると同時に炊事の場であり、食事の場であったが、囲炉裏の上には火棚が吊られ、濡れた薪や衣服を乾かし、梁の上には野菜や種が貯蔵され、囲炉裏の煙はそのまま小屋裏に上がり、屋根の茅を燻蒸することで虫が付くのを防いでいた。
 このように、昔の囲炉裏は非常に多目的な機能を果たす場であったため、自然と家族が集まる場でもあった。

 しかし、この囲炉裏には家族が座る位置が厳格に決められており、封建的な家族秩序が守られていたのである。例えば、
ヨコザ(主人または長男の場所)
キャクザ(客の場所)
カカザ(主婦の場所)
キジリ(次男以下の場所)
というように。

 こんな時代には、世の中の情報は一家の主人が一手に握っていた。囲炉裏を囲んで主人の口から出る言葉が正に「社会の窓」だった訳である。
 しかし、こうした囲炉裏は、炊事は台所に、食事は食堂に、採暖は暖房器具に、というようにその機能の分化と共に失われていくことになる。それと同時に、家族が集まる、という求心力を失ってゆく事になった。

 都市生活においては、囲炉裏の代わりは「茶の間」であり、その象徴的な装置が「ちゃぶ台」ということになるのかもしれないが、その頃には「ラジオ」が社会の窓となり、それが「テレビ」に変わってゆく。
 「ちゃぶ台」は茶の間から分化したダイニングに、そして「テレビ」はもう一方のリビングに、ということなのかもしれない。

 実際に、今の日本のリビングは「テレビの間」であると言っても過言ではない。どの家にもリビングにはテレビがある。今では、家の中に何台もテレビのある家は珍しくないが、リビングにあるテレビは特別である。まず、一番大きくて立派なテレビはリビングにある。そして、そのテレビに向かってソファや椅子が配置されている。リビングを計画していると必ずテレビを何処に置くか、ということが一番の問題になる。即ち、リビングとはテレビを見る場なのである。

 では、テレビは家族を集めて、リビングを「団らんの場」にする上手い舞台装置になったのだろうか。リビングには家族皆で見られる様に家族分の席が用意されるが、しかし、現実には家族全員でテレビに向かっていることはまずない。子供から大人まで世代を超えて楽しめる番組などそうないからだ。子供達はお父さんが帰って来る前にリビングでアニメを見て、夕食を済ませるとそそくさと自室にこもる。例え、家族全員がリビングに揃ったとしても、皆がテレビに注視していてはそうそう家族の会話など生まれない。だから、リビングは「団らんの場」には成り得ず、ただ単に「テレビの間」でしかない。

 ではダイニングが「団らんの場」なのか。ある資料によると、テレビを見ながら食事をする家庭は76%もあるという。これでは、やはりダイニングも「団らんの場」としての機能を失っている様だ。しかし、この「団らんの場」はもっと極限までに消失してゆく事になる。

 高度経済成長期には「三種の神器」と言われる様に、家庭用電気製品が普及し、白黒テレビもカラーテレビに替わっていったが、これらは「ファミリー商品」と呼ばれ、家族が使う電気製品だった。しかし、大型のステレオ機器がラジカセになって持ち運びができる様になり、一九七九年に発売された「ウォークマン」は「個人向け商品」の誕生を意味するものだった。その後のパソコン、インターネット、そして極めつけの携帯電話の普及により、人は誰でも家族という媒体を通さずにいつでも何処でも自由に世界中の情報を手に入れる事ができるようになった。

 「家族の団らん」は、このように住宅からパブリックな機能が失われ、部屋が機能分化してゆき、社会情報が一家の主人の手から離れてゆくことによって失われていったのである。「子供部屋」を与えられた子供は、親から基礎的なコミュニケーション能力を学ばないうちから、部屋に籠りながら外の世界に飛び出してゆく事ができるようになってしまったのだから。


 「リビング」を作らなかったこの「歴史を繋ぐ家」は、ある意味では「家族の団らんの場」を再構築しようという試みでもある。第一に、この家の中心となる広いダイニングは、「籐の間」と共に客を招き入れる場として考えられている。だから、キッチンは独立型としているし、広いテーブルは家族と客が集うことが想定されている。また、このダイニングは食事だけのスペースではない。主人が新聞や雑誌を読む場所として、書架も設えられているし、家族の用に供する様々な棚や引出しが設えられている。このダイニングの上部は吹き抜けていて、二階の中心となるファミリールームと空間が連続し、家族の気配をいつも感じ取れる様になっている。このダイニングはあえて多様な機能を持たせることで、家族が自然と集まってくる場になることを意図しているのである。

2009年6月3日水曜日

12-4:大地に還る家/子供部屋は必要か?


子供部屋は必要か?

 「田園を眺める家」は、田圃の中の広い敷地の中にあるので、隣家がもし火事になった時に延焼を受けない様に防火認定を取っている外壁材を使わなければならないという心配もなかったので、総て板張りの外壁となっている。杉板張りなど、昔の家では当たり前だったが、防火上の規制や新しい物好きの日本人の性向で今は別荘地にでも行かなければ見られなくなったが、木の家には木の外壁が一番いい。防火サイディングなど、特に石油化学系の工業製品は新築の時こそ奇麗に見えるが、後は紫外線被爆による劣化が進み、どんどんみすぼらしくなってゆくだけである。それに対して、板張りの外壁は木の色が徐々にグレーがかった色に変化し、それは劣化ではなく味わいとしての深みを増してゆく様に見える。かつて、関西の建築家、出江寛が「古美る」という言い方をしたが、板張りの外壁はまさしくその言葉がしっくりくる。また、サイディングは全く通気性がないので、通気層が機能していないと忽ち外壁下地に腐れを起こしてしまうが、無垢の木の板は透湿性があるので程よく湿気を抜いてくれる。目新しさはないが、デザインの自由度は高く、「大地に還る家」には最も相応しい外装材である。

 そんな外壁工事が行なわれている頃、僕は津田沼にある築50年の平屋の伝統的木造家屋を壊して、そこに新しく建てる5人家族のための家を計画していた。それは縁側廊下のある典型的な日本家屋で、この時代の家は僕には宝の山に見える。繊細な浮き彫りが施された欄間、レトロなガラスが嵌め込まれた雪見障子、床の間を明るく照らす細かな桟でデザインされた飾り障子、縁側廊下の桁に掛かった5軒以上もある杉丸太、これらは皆、新しい家に使いたかったし、この家の解体時には屋根瓦を総て奇麗に剥がして一時保存し、新居ができてから玄関までの長いアプローチの鋪床に使いたいと考えていた。一番期待していたのは屋根を支えている構造材で、小屋裏を剥がした時にどんな古材がでてくるのか、そしてそれらを新しい家にどの様に使えるか、僕は古いものと新しいものが見事に融合した「歴史を繋ぐ家」の設計を進めていた。

 施主は僕とはほぼ同世代だったので、3人の子供も大学受験を控えた高校三年の長男、同じく高校一年の次男、それに中学生の長女という二男一女で、この年齢で新居を建てようという人は実は珍しい。普通は子供が学齢期に差し掛かる30代の親が、「子供に個室を与えたい」という動機で新居を構えようとするものである。
 しかし、今の親は何故、子供に個室を与えたいと考えるのだろうか。この場を借りて「子供部屋」というものについて少し言及しておきたいと思う。

 実は、「子供部屋」という言い方は日本独特のものなのである。アメリカでは明らかに子供が使う部屋であっても単に「Bed Room」という呼び方しかしないし、フランスの仕事で、現地の建築家に分譲住宅の参考プランを作ってもらったことがあるが、そこにも子供部屋と思われる部屋に書かれた室名は「CHAMBRE(寝室)」だった。

 日本における「子供部屋」という呼び名は、戦後の日本はアメリカ式の生活に憧れていたので、子供には小さいうちから個室を与えて独立心を育てるべき、という思いが反映されたものなのだろうか。しかし、日本では今でも乳幼児が親と一緒に川の字になって寝ているというのが現実であるとすると、それは当たっていない。では、個室を与えれば子供は勉強に集中できて、成績が上がり、いい学校へ入り、ひいてはいい就職ができると考えるからなのだろうか。そうだとすると、これもまた的外れな考えであると言わなければならない。少なくとも小学生の間は自室に籠って勉強をする子供などいないし、そんな子供であってはいけないと僕は思う。

 「家は小さな都市であり、都市は大きな家である」という建築家アルベルティの言葉は先にも登場したが、この「都市」を「社会」と置き換えてみよう。

 “家は小さな社会であり、社会は大きな家である”

 即ち、家は子供が社会へ出てゆく為のインキュベータ(保育器)であると考えると、親が子供を社会へ送り出すために必要な最低限の家庭教育というのは、次の3つのことに過ぎないように思われる。

1) 人の話しをちゃんと聞けること
2) 自分の考えをはっきりと言えること
3) 我慢すること

 人との関わり方、我慢強く折衝する力、要するに、コミュニケーション能力を身につけさせるということである。そう考えれば、子供が個室に籠る様では家庭教育にならないことが分かるだろう。少なくとも小学生までの間は、宿題はダイニングテーブルでさせても構わないし、リビング・ダイニングの一角に学習コーナーを設けておくというのでもいいだろう。静かな環境を与えてあげなければ勉強に集中できないのでないかと思われるかもしれないが、子供に個室さえ与えればそこで大人しく勉強をするという訳ではない。どちらかと言えば、子供に勉強をさせるにはそれなりの強制力が必要であり、母親が家事仕事をしながらでも子供の勉強に干渉しなければ、勉強をするという習慣は身に付かない。それこそ子供の勉強の基本はコミュニケーション能力を養うことなのだから、家庭内におけるコミュニケーションを密にする事の方が重要なのである。社会に出れば個室を与えられて静かな環境で仕事ができる訳ではない。どんな場所であっても集中すべき時には集中できるという訓練が必要だし、子供のうちの学習環境というのは、そういう意味ではあえてノイズの多い環境である方がいいのである。

 中学に入れば家庭で培ったコミュニケーション能力をより外の世界へ広げてゆく事になるし、そのための個人としての占有空間が必要となってくるから、必要なスペースを宛てがってあげるのはいいだろう。しかし、その場合でも南側の日当たりのいい部屋を用意してあげる必要はない。居心地のいい部屋ではなく、籠っていたくない様な部屋である方がむしろいい。中学、高校になればもう子供ではないのだから、それは「子供部屋」ではなく、Bed Roomでいいのである。

 大学に入れば、それが遠隔地であるなら、そのBed Roomもいらなくなる場合もあるが、中学入学から大学卒業までの期間を入れても子供のために必要なBed Roomは精々10年足らずの間のことである。そう考えると、家族というのは一世代の間だけでも相当短期間に変化してゆくものだし、住宅という空間は、本来そうした時間軸に添った可変性が考慮されていなければならないのである。

2009年6月2日火曜日

12-3:大地に還る家/ハウスメーカー主導の200年住宅

ハウスメーカー主導の200年住宅

 次に、2)の「耐震性が高いこと」というのは、200年住宅は100年に一度の大震災に必ず一度は遭遇する事になるのだから当然のとこであり、先に触れた様に、許容応力度計算によって構造の強度を確実に確保しておく必要がある。但し、構造計算というのは外力が横から加えられることを想定したものだから、直下型の地震が起きたらそれは想定外であり、木造住宅がどの様に変形し、倒壊にいたるのかは未知数である。

 次の3)内装・設備の維持監理が容易にできること、そして4)変化に対応できる空間が確保されていること、というのは「スケルトン・インフィル」を意味している。即ち、構造躯体は長持ちしても、キッチンやバス、トイレといった住宅設備機器や配管などはやはりその寿命が短いので、容易に更新できるようにしておく必要があるし、200年といえば6世代に渡って受け継がれてゆく家になるのだから、生活の変化に対応できる様に間仕切りなどの変更の自由度がより高くなくてはならない。長持ちする構造躯体(スケルトン)はそのままに、老朽化、変化のし易い内装・設備・間取り(インフィル)だけを交換できるようにしておかなければならない、ということである。
 
 5)長期利用に対応すべき住宅ストックの性能があること、というのは、どういうことだろうか。長寿命に耐え得る質の高い住宅のストックを確保するということは、まず、中古市場の活性化を促す事になる。また、建築廃材の排出削減による環境負荷の軽減を図ることになるり、新たに歴史を刻み得る町並みの形成へと繋がり、日本の国富における住宅資産割合を増加させることができる。しかし、戦後ずっと続いて来た政府の「持ち家支援政策」によって我が国の総世帯数4700万世帯に対してすでに700万戸も上回る住宅ストック数、即ち、700万戸もの空家がある現状をみれば、これから建てる住宅が中古となった時の市場を考える前に、現在建っている中古住宅の市場に対する具体的な施策がまず必要となるはずである。

 6)住環境へ配慮されていること、というのは、「地域の自然、歴史、文化その他の特性に応じて、環境の調和に配慮しつつ、住民が誇りと愛着を持つ事のできる良好な住環境の形成が図られることを旨とし〜」と解説されているが、大学で建築を学んだ設計者なら、小さな家一軒建てる時にも、その土地のコンテクスト(文脈)を読み取ることが「設計」という行為の重要なプロセスであることを知っているものである。
 これは住宅の造り手に求められることというよりは、行政のビジョンや、例えば、独占禁止法の不備によって巧妙に守られている「建築条件付き宅地」の仕組みを撤廃させるなど、法整備に求められる事の様に思われる。
 
 7)の計画的な維持監理や保全の履歴を蓄積すること、というのは、この7つあるポイントの中では一番の目玉と言えるかもしれない。これは即ち、「家歴書」の作成を義務付けようということである。その住宅の建設に携わった人間が200年後に生きている訳ではない。20年×10回のメンテナンスやリフォームによって200年住宅を達成しようということなのだから、新築時の設計図や仕様書、メンテナンスやリフォームの履歴をきちんと記録に残しておかなければ、到底200年の長きに渡って一軒の住宅を維持し続ける事はできないし、これまで不動産としての一軒の家が、「木造2階建て、築25年」といった僅かな情報だけで売買されていたものとは違い、資産価値としての家は、正に正しい記録の蓄積によってこそ担保されるものである。
 しかし、記録の事はともかく、「20年に一度のメンテナンス」ということについて、うがった見方をすれば、相変わらず石油化学建材を許容してゆけるように逃げを打っている様に思えなくもない。
 
 こうした「長期優良住宅」への取り組みは、ビジョンとしては評価に値するものだが、その実施に当たっては、同時に法制度の整備や税制改革も同時に実施されなければ、なかなか実効性のあるものにはなってゆかないだろう。


 ところで、「大地に還る家」は、この「200年住宅」を目指すべきなのだろうか。
 「田園を眺める家」は、海外暮らしの長かった商社マン夫婦が、老後、畑を耕して暮らしたいという希望でプランニングされた家である。即ち、子供のいる一般的な家族の家からすれば、随分変わった間取りをした住宅と言っていいかもしれない。しかし、設計事務所は常にこうした特殊解を求められているとも言えるし、それこそがハウスメーカーや工務店の家との一番の差別化と言って過言ではない。しかし、そう考えると、特殊解を求められる家はそれだけどんな住み手にも対応できるという汎用性が損なわれることになる訳だから、スケルトンにしても何世代にも渡って受け継がれる家にはなり難い。即ち、「スケルトン・インフィル」は「大地に還る家」を長寿命住宅として考える上では当然考慮しなければならないことではあるが、「200年住宅」とは、どちらかと言えば、ストック用の汎用住宅にこそ相応しい考え方なのである。

 事実、この「200年住宅ビジョン」を作成したメンバーには大手ハウスメーカーの重役の名がずらりと並んでいる。表向きはこれまでの日本の家づくりのあり方を大きく転換しようという風に見えるが、実際はハウスメーカーにとってより有利な新しい基準を作ってゆこうという目論みが見え隠れしている。平成12年に施工された品確法(住宅の品質確保の促進等に関する法律)による「住宅性能表示制度」も、もっぱらハウスメーカーや不動産デベロッパーが顧客に対して「安心・安全」性能を数値化して見せることで自社の提供する住宅が公的なお墨付きを得ているとアピールするための営業戦略の道具として用いられているのを見れば、このビジョンもハウスメーカー主導で押し進められてゆく事になるだろうことは容易に想像できる事である。

2009年6月1日月曜日

12-2:大地に還る家/耐久性とシロアリ対策

構造の耐久性にはシロアリ対策が欠かせない

 さて、福田元総理の数少ない業績のひとつと言えるこの「200年住宅」が満たすべきポイントとして、次の7つが挙げられているので見てみよう。
1) 構造躯体の耐久性があること
2) 耐震性が高いこと
3) 内装・設備の維持監理が容易にできること
4) 変化に対応できる空間が確保されていること
5) 長期利用に対応すべき住宅ストックの性能があること
6) 住環境へ配慮されていること
7) 計画的な維持監理や保全の履歴を蓄積すること

 木造住宅に関して言えば、1)では木の柱や梁が腐朽することなくそのまま維持されることが求められている。その為にはまず、構造体となる木材が常に乾燥した状態にあるということが最も重要であるが、その上でやはりシロアリ対策が必要となる。当然、土台にはシロアリの食害に強いヒノキやヒバ、クリといった樹種が求められるが、肝心なのは、通常「赤身」と呼ばれている硬い芯材を用いなければならないということである。

 僕は、自宅のデッキテラスを作る時にお金が掛けられなかったので、CCA加工(防虫防腐薬品処理)などされていない普通の2×4材を敷き並べ、年に一度、防腐塗装を施したが、それでも大体の部材はすぐに腐食菌にやられてボロボロになってしまった。しかし、その中に一〇年経っても腐ることなくそのまま使える材が1/3くらいはあった。それらは皆、芯持材であり、一般的に耐久性がないと言われているSPF(スプルス、パイン、ファー)材であっても、ちゃんと芯持材を使えばその耐久性は全然違うことが分かり、それ以来、コストの厳しい住宅の設計で、デッキテラスを作る時には、2×4材の小口を見て芯持ち材だけを選んで使う様にしている。木の耐久性というのは、その材種もさることながら、その材のどの部分を使っているか、ということが如何に重要であるか分かるだろう。だから、以前はヒバの芯材を土台に使って、健康被害が懸念される防蟻処理を行なわないことも多かった。

 しかし、最近は在来のヤマトシロアリやイエシロアリに加えて、乾燥した木材にも食害を与えるアメリカ産のカンザイシロアリも日本に上陸して猛威を振るっているので、今はやはり何らかの防蟻処理はしておかなければならないだろうと考えている。防蟻剤には、当然、農薬由来の劇物によらない健康に配慮したものが求められるし、その効果が持続するものでなければならない。最近では、ヒバ油(青森ヒバを水蒸気蒸留して作った精油)や木酢液(炭を作る時に出る煙を冷却したもの)、あるいは、炭そのものの防虫・防腐効果を活かしたもの、シロアリに対する忌避性が強いといわれる月桃(沖縄のショウガ科の植物)から作られたものなど、天然素材から作られた、いわゆる自然系の防蟻剤も開発されている。しかし、自然系なら人体への安全性が高いと思われがちだが、原料によってはアレルギー症状を引き起こす例もあるので、採用に当たってはサンプルで事前にアレルギー反応の有無を確認しておくことも必要だろう。

 また、最近では高断熱・高気密仕様として、コンクリート基礎の立ち上がり外周部にスタイロフォームなどの発泡プラスチック系断熱材を使って外断熱とする場合があるが、シロアリは好んで断熱材の中に蟻道を作って登ってくる性向があることが知られており、パフォームガードといった防蟻剤を混入した断熱材を用いる様にするか、首都圏地域などの温暖地にあっては、基礎部分については内断熱にする、といった配慮も必要となる。

 さて、木材はシロアリの食害を受けるだけではなく、微生物によっても分解されてしまう。特にナミダダケ、ワタグサレダケ、カワラタケという木材腐朽菌によって腐ってしまう。シロアリとこれらの腐朽菌は繁殖するために必要な水分、養分、あるいは温度がほぼ共通しているため、シロアリが生息する地域では防蟻処理と防腐処理を同時に行なうことも忘れてはならない。

 しかしながら、現時点で可能なベストな防蟻・防腐処理が行なわれたとしても、200年という長期に渡って構造材が腐ったり、シロアリの食害を受けることを完全に防ぐことは難しい。その為にも、柱材はそれが土台廻りで腐ってしまった時に下部で切断して据え換える事ができるように、即ち、業界用語で言うところの「根継ぎ」ができるように、最低限4寸(120センチ)角以上のものを使う様にすべきだろう。何故なら、現在最も一般的に使われている3.5寸(105センチ)角では、当面、強度的な意味では支障がないにしても「根継ぎ」ができないからである。

2009年5月31日日曜日

12-1:大地に還る家/匠の技は「暖房」に対処する術を知らない



匠の技は「暖房」に対処する術を知らない

 政府自民党による「200年住宅ビジョン」が動き出している。イギリスは約77年、アメリカが約55年、そして日本が約30年と、各国の住宅の寿命をこのように比較して日本の住宅がいかに短命であるかと語られて来て久しいが、確かにアメリカでは住宅資産が30%を越えているのに対して、日本の国富は約半分を土地が占めており、住宅資産割合は僅かに9.4%に過ぎない。イタリアの市中に暮らしていた時にも感じていたことだが、確かに500年以上も前に建てられた建物がその長い歴史を刻みながら今もその堂々たる風情を保っているのに対し、今の日本の街はどこも個性がなく薄っぺらで、家々はとても価値がある様には見えない安普請である。そんな日本もやっとスクラップ&ビルドの消費住宅から資産としての住宅へ、ストック社会へと踏み出すことになるのだろうか。

 しかし、200年住宅と言っても、200年保つ家を造るということではないらしい。20年×10回ということで、20年毎にメンテナンス、リフォームをすることで200年保たそうということらしいが、「200年」というのも何か根拠があって数字ではなく、国では以前にも長寿命住宅を推進しようと「センチュリーハウジング」というのをやったことがあるので、それでは今度は「100年」の次だから「200年」と言っているに過ぎない様である。

 しかし、日本には築後200年を経過した木造建築で、メンテナンスが全く行なわれずに今も何の支障もなく使われている建物が300棟以上あるということは先に述べた通りである。基本的に構造材として用いられている木が腐らない状況で維持されてさえいれば、木造建築は何百年でも持ち堪えることができるのである。それが現在の木造住宅においてできないのは、勿論、様々な要因があるが、気密化の促進によって湿気の逃げ道がなくなったこと、外気と室内の温度差による結露の発生といったことが主因と言えるだろう。

 即ち、千年単位の長い歴史を通して発達し、綿々と受け継がれて来た日本の木造技術とは、内外の温度差のない環境での家づくりであり、伝統的な匠の技は「暖房」という要請に対処する術を知らなかったのである。「暖房」するためにはこれまで培って来た木造の技術、即ち「湿気を溜めないための技術」をことごとく否定し、室内を外気と遮断しなければならない。そうすると忽ち「結露」の問題が発生してくる。結露が発生すると木は容赦なく腐ってしまう。「暖房」という要請は、これまでの日本の家づくりが全否定されるに等しかった。

 木造住宅の気密化が結露問題を顕在化させ、カビ・ダニの発生によるシックハウスを引き起こしてしまうのは当然の結果であり、その対処法に対する試行錯誤が始まってまだ半世紀も経っていない中にあって、「やはり伝統的な家づくりに戻ろう」という反動も当然の様に起こってくるが、「暖房」せずに昔の様に囲炉裏や火鉢で「暖を取る」、即ち「採暖」だけで冬の寒さを凌ぐ覚悟がある人なら、それで何も問題はない。しかし、声高にそう吹聴する人達に限って、しっかり空調の効いた部屋の中でそんな原稿を書いているものである。

 木造住宅における「暖房」という要請に応えるためには、科学の力を借りて「結露」という問題に対処する匠の技を再構築してゆく必要があるのである。