2009年4月29日水曜日

6-2.開放的な高断熱・高気密住宅/高断熱・高気密セミナー


高断熱・高気密セミナー

 本が出版されると、一週間も経たないうちに読者からのメールが入り始めた。

「高断熱・高気密住宅を建てたいと考えているのですが、どの工法が一番いいのか教えて下さい。」

「どの断熱材が一番いいのですか?」
 
「高断熱・高気密住宅をちゃんと造れる工務店を教えて下さい」

「本の一番最後の項で紹介されている木造レンガ積みの住宅はどこの工務店がやっているのですか?」

 一番いい工法があるなら、世の中に百を超える様な断熱工法など必要ないし、断熱材だって皆、必ずメリットがあればデメリットもある。それに、設計事務所は工務店紹介所ではない。

 毎日、入る様になった読者からのメールは、ひたすらただで情報を得ようとする人達からの質問だった。最初は、丁寧に文章を推敲し返事を返していたが、そんなことが一月以上も続くと流石に僕も無料相談所なんかやってられない、という気持ちになって来る。一度の返事で終わる人ならまだいいのだが、返事を返すと何度も何度も新たな質問を出して来る断熱マニアがいて、「いい加減にして下さい」と返した事もある。本を出すと、こんなことになるのだ、と僕ははじめて自分の期待が浅はかだったことに気付かされた。

 しかし、一般消費者の気持ちというのも、これで何となく分かったような気もする。確かに、高断熱・高気密に対するニーズは増えて来ているのだということ。そして、そういう人達は設計事務所のデザイン性よりも住宅の性能に目が行っているので「設計」よりも「施工」に対する価値観が強いということ。良い断熱材とかいい断熱工法を使えば、それだけでいい家が建つと思ってしまっている。

 僕は、良いデザインがなければどんな工法も活きて来ないことを語っている積もりだったのだが、なかなかそんな真意を読み取ってくれる読者はいないものである。それに、確かに高断熱・高気密住宅というだけで消費者にとってはワンランク上の住宅を求めるということなのだから、それをさらに設計事務所に頼むというということは、まだまだ相当ハードルの高い話しだったのかも知れない。

 しかし、勿論、そんな困った事ばかりではない。本を通じて色々な人との出会いが生まれたことも確かである。ある日、一本の電話が入り、それは以前、あるお宅で外張り断熱を採用した時に、工務店からその断熱施工を請け負っていた会社の社長からだった。

「本を読ませて頂いたので、一度お邪魔してお話をさせて頂きたい」と言う。

そして、数日後、現場でよく顔を覚えていたまだ歳若い社長は、同年輩くらいの断熱材メーカーの担当者を連れ立ってやって来た。僕が本を読んでくれた礼を言うと、
「M先生が、皆にこの本を読む様に、って薦めてくれたんですよ」と言う。

 それを聞いて,僕は驚いた。住宅技術評論家であるM氏の書いた建築雑誌の記事はよく読んで参考にさせてもらっていたし、その他、彼の断熱に関する記事は、よく目にしていた。他にも住宅評論家と呼ばれる人は多いが、大抵は何処から金をもらっているのかバレバレではないか、という技術を知らない評論家達の中で、最も断熱技術を知る人であり客観性に富んだ文章が書ける人だった。外張り断熱工法の開発に関わっていた人だから、そのメーカーの断熱材を使っている工務店仲間に、社員教育用として僕の本を推薦してくれたと言うのである。それで、自ら本を手にしてみると、あの時の設計事務所の人だ、と思い、早速挨拶に来たのだと言う。
 僕は、その話しに驚きながらも、M先生の懐の大きさに感服する思いだった。普通なら、本の批判をされて当然のところなのに、それを皆に薦めてくれるなんて、頭の下がる思いだった。

 本を出してもなかなかそれが自分の本来の生業である設計の仕事に結びつかなかったが、考えてもいなかった講演の依頼が入って来た。一番最初に講演会の話しを持ちかけて来たのは、房総半島の茂原市にあった玉川建設という会社である。今は、エコホームという名前で千葉市に本拠地を移しているが、独自に開発した「地熱住宅」を千葉県内に展開していたハウスメーカーと言っていいくらいの大きな工務店だった。地熱住宅とは、地中の温度が夏冬問わず一年を通して一定の温度に保たれていることに着目して、その熱を壁体内に循環させる事で良好な室内気候を作り出そうというもので、北海道のアイヌの伝統的な民家「チセ」の研究者であった宇佐見女史を招いて研究開発したものだった。

 「チセ」は、言ってみれば縄文時代の竪穴式住居みたいなものなのだが、あの極寒の地にあってあんな簡素な住居でアイヌの人達がどのように寒さを凌いでいたのか、というのは同じ北海道人として確かに興味深い話しだった。簡単に言ってしまえば、アイヌの人達は夏でもチセの中で種火を絶やさず火を焚いていたのである。夏の間中、地中に蓄えられてきた熱が冬の寒さからアイヌの人達の命を守っていたという。冬場には激しく火を燃やすのだろうと普通なら思うが、そうすると激しい対流が起こりどんどん冷たい外気がチセの中に入って来てしまうから、決してそんなことはせずひたすら同じ様な調子で火を焚き続けるのだそうだ。そんな研究がこの地熱住宅のベースになっていた。僕は高断熱・高気密に関する膨大な資料を集めていたが、自然エネルギーとしての地熱利用については、この時、はじめて知った事だった。

 このように、地熱住宅は通年を通して安定した地熱を利用して壁体内に空気を循環させる方法を取っているので、同じ壁体内に断熱材を入れる事はできないから、必然的に外張り断熱となる。今の住宅に上手く地熱を活かすには、やはり断熱をしっかりして熱損失の少ない家にしなければならない。当時まだ外張り断熱というものがあまり知られていなかったにも関わらず、玉川建設はその時点ですでに十年以上の歴史を持っていたのである。

 僕が講演の依頼を受けたのは、「地熱」ということ以前に、まだまだ高断熱・高気密について世の中の認知度が低く、ぜひその辺りのところをお客さんに語って欲しいという理由からだった。始めての事だから周到に準備をした積もりだったが、自分自身が人前でどんな風に喋るのか、自分でも想像がつかなかった。

 最初の講演会では事前に用意したレジュメをお客さんに配布し、それを元に話しを進めていったが、次回からはパソコンで作っておいた資料をプロジェクターで映し出してレーザーポインターを当てて説明をしてゆく、というように段々と様になってくると同時に、客の表情、反応が冷静に見られる様にもなって来ていた。
 基本的には固い話しなので、客が退屈しない様に時々笑える様な話しも織り交ぜなければならない。それでも一方的に話しをしていてはやはり客の集中力は落ちてゆくから、そんな時はお客さんに質問を投げ掛けたりして参加型のシナリオも組まなくてはならない。

 そして、講演の最後には質問の時間が取られ、お客さんの質問を受ける、というのが定番である。そして、良くあるのが
「色々お話を伺いましたが、やっぱり私は昔の様な開放的な家の方が日本の気候には合っているのではないかと思うのですが」
というお客さんの声である。

 2時間近くも説明して来て最後にこのような感想を聞くと、疲れがどっと出て来てしまうのだが、それはやはり僕のスピーチ力がまだまだ未熟である、という証拠でもあった。

「勿論、昔の様な開放的な家で、冬も外気と変わらない気温の中で生活されるなら、結露の心配もありませんし、家も長持ちするでしょう。それなら、おっしゃる通り高断熱・高気密なんて必要ありません。でも、もし、冬はやはり暖房して暖かい生活をしたいとおっしゃるなら、やはり結露のない家づくりをしなければなりません。そのために必要なのが高断熱・高気密なのです。」

 僕はいつもそう応える様にしているのだが、お客さんの日本の家=開放的、というイメージはなかなか拭い取る事はできないものである。

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