2009年4月15日水曜日

2-4.ロングバケーション/日本を出て日本を知る

日本を出て日本を知る

 さて、年の半分は休みになってしまう大学生活だったから、僕はお金の続く限り旅をした。当時、重信房子がナポリで爆破事件を起こした頃だったから、行く先々で警察の取り調べにあったが、それでもイタリアの田舎を散策する気ままな一人旅は、有意義な時間だった。僕は、城郭都市や都市国家の時代の面影を残す小さな街にはできるだけ泊まるように心掛けていた。泊まって、その街のレストランでその街の名物料理を食べ、その土地のワインを飲む。そして、その街の夜を知らなければ、その街の生きた姿が見えないからだ。そして、僕はどの街でもドーモ(大聖堂)広場をリビングとして人々が集う大きな家の住人達と夜を楽しむ事ができた。

 フィレンツェでの日常においても、思い出深い事は沢山ある。大家のグアダンニ夫妻に誘われて中古のフィアットでフィエゾレの山荘に連れて行ってもらった事がある。フィエゾレはフィレンツェの街を一望できる小高い丘で、ルネサンス時代の頃からメジチ家などの富豪が別荘を持っていたところである。グアダンニ家の別荘も、決して大きくはなかったが、典型的なルネサンス様式の建物だった。暖炉の燃焼具合を制御する鋳物の弁を動かしながら、「当時のものが今でも使えるんだよ」と言って老紳士は自慢していた。そうそう、先にお話しした「フィレンツェの宮殿」という本は、ここで見せてもらったのである。

 「最高のワインを飲みに行こう」と、イタリア料理の修業に来ていた日本人シェフ(今やイタリアンの名手としてその名を轟かせている日高良美氏)に誘われて、朝早くに電車に飛び乗った事もある。お昼近くに最寄りの駅に着くと、そこからタクシーに乗り、広大なぶどう畑の中にあるレストランに着く。本当に美味しいワインとはどんなものなのか、ピッチャーに丸ごと移されたフルボトルの赤ワインの味は、何とも形容し難いものだった。しかし、毎日一本ずつは飲んでいたワインの味に、僕の舌は知らず知らずのうちに鍛えられていたのかも知れない。最初に口にした時の味は、酸味、苦み、渋みのそれぞれが我こそはと自己主張していたのだが、しばらくすると、それらががっちりスクラムを組んだ様に絶妙のバランスをもった味に変わっていった。文化はその土地の料理と酒に最も素直に表れる。

 ところで、イタリアの様に古い歴史的な建物を勝手に壊して新しい建物を建てる、ということが許されない国では、建築家の仕事はあまりない。だから、内装の仕事や中庭に面して外からは見えない部分の改築くらいしか実作を造る機会がない。アルバイト先を求めて、一度、フィレンツェ市内のある建築家の事務所を訪ねた事がある。そこでは、市役所から出されるプロジェクトに対して、具体的な計画案を作成して提出している、との事だったが、実現する事はまずないのだという。何人もの建築家に同じ物件の計画案を出させ、市はその報酬を皆に払っているのだ。だから、建物が建たなくても何とか生活はできるのかもしれない。仕事が欲しければミラノに行った方が良い、と誰もが言っていた。

 フィレンツェ大学の建築学部だけでも千六百人もの学生がいたが、こちらでは殆どの学生が卒業できないのだという。そして、卒業したからといって就職の宛がある訳でもないのである。彼らは卒業するために大学に入るのではなく、就職のコネを探しに大学に来るのだ。だから、いい就職先が見付かると、どんどん大学を辞めて行ってしまう。だからこそ、大学を卒業するということの意味も大きいのかも知れないし、流石にここはブルネレスキーの街である。ここでは医者、弁護士と共に、建築家は、仕事もないのに最も尊敬される職業なのだ。仕事が溢れていても、そうそう建築家と呼ばれ、尊ばれる事のない日本とは大違いである。だから、この街では定期的に世界の著名な建築家が呼ばれ、市中で展覧会を開いたり、建築学部の学生のために特別講演が催されたりする。僕がいた時だけでも、マリオ・ボッタ、アルド・ロッシ、ハンス・ホライン、磯崎新、ノーマン・フォスターといった蒼々たるメンバーが登場した。今でこそ人口五十万人ほどの地方都市にすぎないが、十五世紀、パリの貴族がまだ手掴かみで食事をしていた時に、ナイフとフォークを使っていた、当時ヨーロッパで最も文化的な都市だった。そして、建築家がはじめて誕生したルネサンスの都フィレンツェの人々は、今でも建築を芸術の頂点として敬愛しているのである。

 イタリアは僕に色々な事を教えてくれた。日常の些細なことの意味から、絵画、彫刻を見る眼、ブルネレスキーの建築とその時代、街の魅力、人々の美意識、でも、一番考えさせられたのは、日本という国についてだった。僕のロング・バケーションは最後まで漠然とした意識の中で彷徨っていたのかも知れないが、例えそうであっても、その後の人生の道筋に少なからず意味を与えてくれたような気がする。

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