
暖かい家
僕は,兎に角、施主から敷地測量図を貰い、施主の要求条件を聞き、プランをまとめていった。インターネットが漸く普及し始めた頃だったが、コンピューターに精通していた部長だったので、プランの打ち合わせは殆どメールのやり取りで行う事ができた。さらに、昔、一緒に現場を見ていた人なので、自分で簡単なプランを描いてはメールで送って来ていた。不思議なのが、奥さんの意見を一度も聞いた事がなかった、ということである。家が完成して引っ越して来るまで、僕は奥さんの顔を一度も見た事がなかったのである。
以前、お宅に泊めてもらった時も、確か丁度冬休みだったので、実家に子供を連れて帰っている、ということで会ってはいなかったのである。家づくりというのは、どちらかといえば、殆ど夜寝に帰って来るような亭主よりも、ずっとそこで過ごす時間の長い主婦が主役である。なのに、一度も直接,奥さんの意見を聞かずにできてしまった家だった。
図面が仕上がると、最終チェックをしてもらうために、久しぶりに部長に会った。一緒に現場を見ていた部長であるから、図面を見るのはお手の物である。しかし、その時僕が持参した図面の束を見た部長は、ちょっと目を丸くしていた様だった。大学の建物の様に大きな建物なら図面の枚数も相当な数になるが、小さな住宅一軒がこれほどの図面になるとは思ってもいなかったのだ。今からすれば、決して充分な図面ではなかったのだが。僕は、ペラペラと図面をめくる部長を見ながら、
「大分予算オーバーになるような気がしますから、色々と落としどころを探さなければならないでしょう」
と告げると、
「いや、直さなくていい。このまま行こう」
と言って、目を細めた。何か部長なりの目論みがある様だった。
早速、部長が指定したその工務店に見積もりをしてもらうと、案の上、大幅に予算をオーバーしていた。それを部長にそのまま提出すると、部長は、
「わかった」
と一言言って、その見積書を受け取った。
後で部長の部下であった人にこっそり聞いた話しだが、これまで大学で使っていた業者を総動員して、家に使う材料を安く仕入れさせていたらしい。
部長の職権乱用によって、何とか着工に漕ぎ着ける事ができたが、僕にとっては初めての工務店である。しっかり現場を見なくてはいけない。高尾山の麓まで通うのは難儀だったが、幸い大学の仕事と合わせて見る事ができたので、さほど苦にはならなかった。
毎回,指摘しなければならない箇所があったから、お世辞にも腕がいい大工さんとは言えなかったが、それでも誠実な人柄の工務店の主は、部長の信頼を損ねることなく、無事、現場を納めてくれた。腕のいい大工さんを持つ優秀な工務店だと分かっていれば、難しい納まりの凝ったデザインをしてもいい。しかし、相手の力量が分からなければ、あまり凝ったデザインをしない様に心掛けなければならない。住宅の現場はそこまで考えなければ上手く行かない。そんなことが少し分かり始めていた頃だった。
冬に入る前に竣工し、正月に新居に招かれた僕は、初めての外断熱住宅がいったいどんなものなのか気になっていた。FF式の石油ストーブ一台をダイニングの隅において、それで家中を暖める計画だった。当時はまだ機械換気が義務付けられてはいなかったが、大きな吹き抜けのあるリビング・ダイニングに石油ストーブ一台では、どうしても熱が上に上がってしまい,足下が寒いだろうと思い、床にガラリを切って室内の暖められた空気を床下に通して基礎の立ち上がり部分に付けた換気扇から排気することで床下を少しでも暖めようと考えていた。しかし、実際に訪れて足を踏み入れてみると、その目論みはあまり有効ではなかったことが分かった。FF式のストーブは、タイマーセットができるので、朝起きる前に点火する様にセットしておけば、寒い思いはしなくていいだろうと思っていたが、その日初めて会う事ができた奥さんは、
「タイマーをセットなんかしていませんよ。だって、朝起きても全然寒くないんですもの」
と言って、暖かい家にご満悦の様子だった。
僕は足下がちょっと寒いんじゃないか、と感じていたが、それは北海道人の感覚だったのかも知れない。東京の人は暑さ寒さに強いのだ。
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