2009年4月10日金曜日

1-2:修業時代/デザインワーク

デザインワーク

 東京の本社は、赤坂のアメリカ大使館を背にしたビルのワンフロアを借り切っていた。新中野から最寄りの国会議事堂前までは丸ノ内線一本という便利さだったが、そこまで毎朝、北海道では決して経験した事のない満員電車という乗り物に乗り、スポーツクラブに通う手間を省く事になる。当時、社長以下の役員でも四十代で、設計のスタッフの殆どがまだ二十代だった。東大、東工大、早稲田、芸大出身といった蒼々たるメンバーの中で、誰も聞いた事もない様な田舎の大学からやってきた僕は、田舎者であったが為に逆に恐れを知らず、そんな職場に溶け込んで行った。

 東京に来て最初に与えられた仕事は、九州のある墓地の中に建てる小さな礼拝堂の仕事だった。小さな紙切れに社長が描いた落書きの様なスケッチを渡され、そのイメージをカタチにしてゆかねばならない。ほとんど機能と呼べる機能のない建物なので、デザインの拠り所はこのスケッチしかない。そして、担当は僕一人なので、誰も助けてはくれない。逆に、暇を見ては県立美術館を担当していたスタッフの手伝いもしなくてはならない。指名コンペが入ると、その手伝いにも駆り出される。だから、与えられたひとつの仕事に集中できる時間はあまりないし、スケジュールも立たなくなる。

一番大変なのが、社長との打ち合わせだ。「デザインワーク」と呼ばれたその打ち合わせは、事前に書面で申し込みをしなくてはならない。しかし、無事にデザインワークの許可が下りて、指定された時間に図面や模型を抱えて待っていても、なかなかお呼びが掛からない。先に始まっている他のデザインワークが長引いているならまだいい。父親が政治家だったという強力なベースを持ってはいたが、自分の顔ひとつで営業をしている社長は、なかなか事務所に戻って来ないのだ。漸く戻って来ても終電ぎりぎりだと、結局その日のデザインワークは流れてしまい、また改めて申し込みをし直さなければならない。マイナーな仕事なら、社長が見ずに担当者に任されることはあるが、そんなケースはめったにない。殆どの仕事は社長にとって重要な仕事であり、自分がデザインを見なくてはいけないと考えている。そして、大きな組織と違うのは、入社して間もない新入社員であっても、大先生に直接自分の仕事を見てもらえる、ということだ。建築を志す者にとってこれほど勉強になることはない。だから皆、文句も言わずに残業し、デザインワークのためにいつ帰るとも分からない社長の帰りを待つのである。組織事務所を装ってはいたが、その建築家の元で修行したいと建築家の卵達が集まる、いわゆるアトリエ事務所と呼ぶ方が、どちらかと言えば近かったような気がする。

 礼拝堂は3階分ほどの落差のある広場を繋ぐ斜面を跨ぐような配置で計画された。最上階に玄関ホール、大広間、特別展示室という3つの部屋が順に並んでいるだけのシンプルな構成であったが、龍の背のような形をした屋根に切り込まれたトップライトから落ちる陽光がそれぞれの空間を彩っていた。玄関ホールから一階分下りると、斜面に半分潜り込んだ部分にトイレがあるだけで、そのままもう一階分下の広場のレベルに下りると、そこは広々としたピロティになっており、不思議な列柱が立ち並んでいた。それは、型枠大工ではとても造れなかったため、家具屋にその型枠の製作を発注する事になった独特の造形をしたコンクリート打放しの柱だった。墓地には日陰がないので、普段は墓参者のための休憩スペースになる。そして、何か式典が行われる時には、ちょっと冷厳な雰囲気を持った会場となるのである。それこそ、墓石と同じ稲田石を貼った殆ど窓のない建物であるため、大きな石棺を石柱で支えている様にも見える。ストーンヘッジとか酒船石の様でもある。これが、小さな紙切れに落書きの様に描かれた大先生のスケッチから生まれたものだった。

 礼拝堂の仕事が終わると、コンペで取った市立図書館の実施設計を担当する事になった。実施設計とは、基本的なプランが固まった後、即ち、基本設計が終わった後に、実際に施工するための、そして、施工会社が見積もるための詳細な図面を作る事である。住宅の様な小さな建物なら、ひとりで総ての図面を描く事ができるが、大きな建物の場合、意匠、構造、設備、電気といった専門の設計者がいる。そして、僕は意匠としてデザインを含め、総てをコーディネイトする役割を担っている。しかし、ここで誰か経験豊かな先輩が色々と教えてくれる訳ではない。自分で学んでゆくしかないのだ。そう、職人の世界と何も変わらないのかも知れない。大工の棟梁も、弟子に手取り足取り教える訳ではない。弟子が自分で棟梁の技を盗んでゆかねばならないのだ。

 図書館の仕事は実施設計が終わり、積算事務所に見積書の作成を依頼し、減額調整を済ませると、そこで僕の仕事は終わりとなった。後は工事監理を担当する部長が引き継ぐ事になる。礼拝堂の仕事も現場を訪れたのは、工事の途中に一回と、竣工式の時だけだったが、この図書館の仕事も僕が直接、施主に会って打ち合わせることは一度もなかった。礼拝堂は施主が「先生にお任せします」ということで動いていたし、図書館は市の担当者とプロジェクトマネージャーが打ち合わせをしていたので、僕が直接、施主と顔を合わせることはなかったのである。

 事務所の中でのシステムだが、ひとつの物件が動き出すと、その物件の担当者は通常2人いて、ひとりはプロジェクトマネージャーといって施主との打ち合わせなど対外的な役割を担い、もうひとりはジョブキャプテンといって、物件に関わる設計者を統括し、図面を取りまとめる役割を担っている。プロジェクトマネージャーは営業的な意味もあるので、大方、役員の誰かが担当していたが、これは社長が留学していた時にアメリカの大手設計事務所で覚えたやり方だった。

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