2009年4月20日月曜日

4-1.失敗に学ぶ/大学の顧問に

大学の顧問に

 かつて事務所勤めをしていた時は、電話一本で必要な資料をメーカーの担当者が事務所まで届けに来てくれた。設計事務所は色々なメーカーが出している材料を使って建物を設計する訳だから、建材メーカーにとって設計事務所はお得意様である。だから、僕は営業的な意味でも、設計事務所が呼べばメーカーの担当者がすぐに来てくれるのが当たり前だと思っていた。しかし、それは間違いだった。

 独立した時に、同じ様に建材メーカーに電話をすると、全くその対応は違ったものだった。ほとんど相手にされない、まるで手のひらを返した様な扱いだった。その時僕は、何故か憤慨する代わりに何か小気味の良さを感じてしまった。独立するってことはこういうことなのだ、と。勤めていた時には、大先生の看板があったから、メーカーは来てくれていたのだ。それを僕は、自分が呼んだから来てくれていたと勘違いしていたのである。それに気付かされた瞬間、何か爽やかな風が流れたのだ。さあ、一から始めよう、と。

 独立した時は、皆が「すごいね」「羨ましいね」と言っていた。羨ましいと思うなら、独立したらいいのに、と思ったものだが、そういう人に限って決して独立することはなかった。しかし、独立した身になってみると、サラリーマンはいいな、と思うことが毎月やって来る。サラリーマンは与えられた仕事さえやっていれば、必ず給料が貰える。夏と冬にはボーナスも貰える。それが分かっているから、今度の夏休みには海外旅行に行こう、とか、新しい車を買おう、とか、予定が立つ訳だ。

 しかし、独立するとそうした予定が全く立たなくなる。景気のいい時なら、多少貯金もできて自由になるお金も持てるかも知れない。確かに、独立した当時はサラリーマンとして働いている人達よりは格段に収入は良かったし、僕自身何かお金のかかる趣味を持っていた訳ではないから、多少の蓄えはあった。しかし、バブルが弾けると、確実に仕事は減って来ていたから、少しでもお金を使わない様にしなければならない。来月、給料が貰えるのかどうかも分からなくなって来る。予定が立たないのでお金が使えないのである。

 そんな思いをしていた時に、一本の電話がかかってきた。それはかつて八王子の大学で現場監理をしていた時に、大学側の担当者の一人として仲良くしてもらっていた人からだった。
「大学で今度、建設顧問を置こうということになったので、君を推薦しようと思うのだが、どうだろうか」
想いもかけない話だった。

 この大学は元々、都内にある私立大学で、当時、多くの大学が手狭になった都内から郊外への移転を始めていた時期に合わせて、高尾山の麓の広大な敷地を造成し、毎年、少しずつ校舎を拡充していたのだった。その中核となる管理研究棟と図書館を、僕がかつて勤めていた設計事務所で先輩と共に設計し、新設された工学部の校舎と共に丸2年の間、現場監理に携わっていた僕にとっては、思い出深い現場だった。

 この大学では、職員に建築士の資格を持つ人がいないため、毎年発注される新しい施設の設計、施工に関して、大学側の立場で見てくれる専門家が必要ではないか、ということになり、何名かの候補が挙がっていた。その中で,最終的に僕が選ばれたのは、現場常駐当時、一緒に現場に出ていた大学側の担当者達がこの何年かの間に役職に付き、僕を強く推薦してくれたお陰だった。

 後から聞いた話だが、
「どうして、僕を推薦してくれたのですか?」
と尋ねると、
「普通は自分の会社のために働くものでしょ。でも、君はいつも大学側の立場に立って考えていてくれたからね。」
 その言葉を聞いて、僕は胸が熱くなった。自分が人にどんな風に見られているのか、自分自身ではなかなか分からないものである。でも、一生懸命仕事をしていれば、それを見てくれている人はちゃんといるのだ。だから、それを知らされた時の気持ちは今も忘れない。
 こうして、大学の建設顧問として雇われた僕は、仕事がどんどん先細りになってゆく中、ある程度安定した収入が得られる道を見出したのだった。

0 件のコメント:

コメントを投稿