ハウスメーカーのセミナー
今はもう解散してしまったが、僕の本が出た頃に、首都圏エリアで他社に先駆けて「外断熱」を全面に打ち出して営業を始めていたハウスメーカーがあった。僕も同じく外張り断熱を本の中で推奨していた設計者だったので、何らかの繋がりができるのはごく自然な事だったのかも知れない。何度か首都圏各地で開催された「外断熱セミナー」で講師を務めさせてもらったが、そうした中ではじめてあの住宅技術評論家のM先生を紹介してもらう事ができた。M先生は勿論、外張り断熱を推奨していた人だったから、このセミナーには何度も呼ばれていたのだ。その時は、名刺を交換し、挨拶程度のお話をさせて頂いただけだったが、その後、先生が主催している集まりに毎年、招待して頂くようになった。
ハウスメーカーの主催するセミナーに招待される客は皆、営業マン達がそれぞれ担当している見込み客である。そんなセミナーで講師を務めると、ちょっと厄介な問題が発生したりする。僕に設計を頼みたい、というお客さんが出て来るのだ。こちらとしては嬉しい話しだが、その客は元々、そのハウスメーカーの客である。そこからセミナーの講師を頼まれていれば、その客を自分の客にしてしまうことはできない。
しかし、一番困るのが、こうしたセミナーとは関係なく僕のところにやって来て、そのハウスメーカーとどちらが良いか、と値踏みをするお客さんがいることである。これが他の設計事務所との話しなら、どちらがその客を掴もうが腕次第だから問題はない。しかし、相手がハウスメーカーとなると、これは非常に厄介なのである。ハウスメーカーがその事を知ると、途端に僕はそのハウスメーカーにとって競合する敵とみなされてしまうのだから、凄い圧力が掛かって来るのだ。それまで、セミナーでは先生、先生ともてはやされていたのが、「もし、そのお客さんを取ったら、もう二度と講師はお願いできない」と、脅しをかけて来る。だからそんなお客さんが来たら、丁重にお断りをするしかない。
ハウスメーカーの営業マンというのは、最も高額な商品を売っているセールスマンである。だから、年間に数えるばかりの件数をやっと契約できるに過ぎない。何ヶ月も顧客を獲得できないこともざらにあるのだから、そんな時の営業マンは必死である。
営業マンの殆どは建築を専門に学んだ事のない人達である。下手な知識があっては真剣に自分達の商品を客に勧められない、という裏事情もあるだろうが、何も知らなければそれだけ客の目線に近いということは確かだ。お客さんが最終的にその家を買おうと思うのは、一番相性の合う営業マンに出会った時だ、と言われるのも、悔しいかな、事実なのだから仕方がない。
さて、このハウスメーカーはご自慢の外断熱にダウ加工のSHS工法を採用していたが、細部に至までよく考えられた工法になっていた。これなら内部結露の問題は極めて少ないと言えるだろう。このメーカーもそれまではグラスウールによる充填断熱を行っていた。充填断熱の場合、外壁に耐力面材として構造用合板を使うと、湿気が抜け難く内部結露の問題を抱えてしまうので、部屋内側での防湿措置が重要となって来る。
住宅で用いられるグラスウールやロックウールといった繊維系の断熱材は、部屋内側は防湿シート、外壁側は透湿シートとなった袋に入れられ、それを柱、間柱間に挿入する様になっている。防湿シートは四周に耳が付いていて、それを柱、間柱の上に重ねて留め、その上に内装下地のプラスターボードを張る事で防湿・気密を図ろうというものである。これがきっちり施工できれば理論上、内部結露の心配は少ないと言える。しかし、やはりそれを完璧に施工する事は難しい。ハウスメーカーにとって一番困るのは、現場によって施工の出来、不出来が発生してしまう事である。だから、どんな下請け工務店にでも失敗のない仕様としなければならない。
防湿シートの確実な施工に難があるとすると、耐力面材として効かせている構造用合板を何とかしなくてはならない。湿気が上手く抜けて、尚かつ耐力面材となるものでなければならないから、ハウスメーカーはそれを独自に開発して、わざわざ耐力面材としての認定を取っているものも多い。このメーカーでもそうした苦慮を重ねてきたが、結露防止の目的は達成しても気密性が低いから、厚い断熱材を入れても換気損失が大きく、暖かい家にはなかなかならなかった。外断熱の採用は、そうした問題を一気に解決するためのものだったのである。外断熱にすれば、構造用合板等の透湿性の低い耐力面材はそのまま防湿気密シート代わりにもなるし、その上に張られる断熱材は、直接、外壁通気層に面していることになるので、結露に対する安全性は格段に高まる。
しかし、その外断熱に用いられる断熱材は発泡プラスチック系の断熱材だから価格が高く、ハウスメーカー同志の価格競争においては極めて不利な条件を備えてしまう事になる。ここに大きなジレンマがある訳だが、このメーカーは「外断熱」に一ランク上の住宅というイメージを持たせようという戦略を持っていた様に思う。僕が自分の本である工務店の事例を紹介し、このメーカーの新しいモデルハウスの企画にも提案した「木造レンガ積みの外断熱住宅」を本当に造ってしまったのも、そうした高級指向のイメージ戦略にすっぽりハマったからかも知れない。
しかし、このハウスメーカーは、ある日突然解散してしまった。親会社の上場を期に、不採算部門を整理する一貫の措置だった。確かにハウスメーカーとしては他社より高い商品であったから、その販売は容易ではなかった様だが、一定のファン層ができるほど性能の良い住宅を提供していたと思う。しかし、このハウスメーカー自体、親会社の存在に甘えていたという事実もあるのだ。こうして、以外と旨味のあったセミナー講師の仕事も消えてしまう事になった。
2009年4月30日木曜日
2009年4月29日水曜日
6-2.開放的な高断熱・高気密住宅/高断熱・高気密セミナー

高断熱・高気密セミナー
本が出版されると、一週間も経たないうちに読者からのメールが入り始めた。
「高断熱・高気密住宅を建てたいと考えているのですが、どの工法が一番いいのか教えて下さい。」
「どの断熱材が一番いいのですか?」
「高断熱・高気密住宅をちゃんと造れる工務店を教えて下さい」
「本の一番最後の項で紹介されている木造レンガ積みの住宅はどこの工務店がやっているのですか?」
一番いい工法があるなら、世の中に百を超える様な断熱工法など必要ないし、断熱材だって皆、必ずメリットがあればデメリットもある。それに、設計事務所は工務店紹介所ではない。
毎日、入る様になった読者からのメールは、ひたすらただで情報を得ようとする人達からの質問だった。最初は、丁寧に文章を推敲し返事を返していたが、そんなことが一月以上も続くと流石に僕も無料相談所なんかやってられない、という気持ちになって来る。一度の返事で終わる人ならまだいいのだが、返事を返すと何度も何度も新たな質問を出して来る断熱マニアがいて、「いい加減にして下さい」と返した事もある。本を出すと、こんなことになるのだ、と僕ははじめて自分の期待が浅はかだったことに気付かされた。
しかし、一般消費者の気持ちというのも、これで何となく分かったような気もする。確かに、高断熱・高気密に対するニーズは増えて来ているのだということ。そして、そういう人達は設計事務所のデザイン性よりも住宅の性能に目が行っているので「設計」よりも「施工」に対する価値観が強いということ。良い断熱材とかいい断熱工法を使えば、それだけでいい家が建つと思ってしまっている。
僕は、良いデザインがなければどんな工法も活きて来ないことを語っている積もりだったのだが、なかなかそんな真意を読み取ってくれる読者はいないものである。それに、確かに高断熱・高気密住宅というだけで消費者にとってはワンランク上の住宅を求めるということなのだから、それをさらに設計事務所に頼むというということは、まだまだ相当ハードルの高い話しだったのかも知れない。
しかし、勿論、そんな困った事ばかりではない。本を通じて色々な人との出会いが生まれたことも確かである。ある日、一本の電話が入り、それは以前、あるお宅で外張り断熱を採用した時に、工務店からその断熱施工を請け負っていた会社の社長からだった。
「本を読ませて頂いたので、一度お邪魔してお話をさせて頂きたい」と言う。
そして、数日後、現場でよく顔を覚えていたまだ歳若い社長は、同年輩くらいの断熱材メーカーの担当者を連れ立ってやって来た。僕が本を読んでくれた礼を言うと、
「M先生が、皆にこの本を読む様に、って薦めてくれたんですよ」と言う。
それを聞いて,僕は驚いた。住宅技術評論家であるM氏の書いた建築雑誌の記事はよく読んで参考にさせてもらっていたし、その他、彼の断熱に関する記事は、よく目にしていた。他にも住宅評論家と呼ばれる人は多いが、大抵は何処から金をもらっているのかバレバレではないか、という技術を知らない評論家達の中で、最も断熱技術を知る人であり客観性に富んだ文章が書ける人だった。外張り断熱工法の開発に関わっていた人だから、そのメーカーの断熱材を使っている工務店仲間に、社員教育用として僕の本を推薦してくれたと言うのである。それで、自ら本を手にしてみると、あの時の設計事務所の人だ、と思い、早速挨拶に来たのだと言う。
僕は、その話しに驚きながらも、M先生の懐の大きさに感服する思いだった。普通なら、本の批判をされて当然のところなのに、それを皆に薦めてくれるなんて、頭の下がる思いだった。
本を出してもなかなかそれが自分の本来の生業である設計の仕事に結びつかなかったが、考えてもいなかった講演の依頼が入って来た。一番最初に講演会の話しを持ちかけて来たのは、房総半島の茂原市にあった玉川建設という会社である。今は、エコホームという名前で千葉市に本拠地を移しているが、独自に開発した「地熱住宅」を千葉県内に展開していたハウスメーカーと言っていいくらいの大きな工務店だった。地熱住宅とは、地中の温度が夏冬問わず一年を通して一定の温度に保たれていることに着目して、その熱を壁体内に循環させる事で良好な室内気候を作り出そうというもので、北海道のアイヌの伝統的な民家「チセ」の研究者であった宇佐見女史を招いて研究開発したものだった。
「チセ」は、言ってみれば縄文時代の竪穴式住居みたいなものなのだが、あの極寒の地にあってあんな簡素な住居でアイヌの人達がどのように寒さを凌いでいたのか、というのは同じ北海道人として確かに興味深い話しだった。簡単に言ってしまえば、アイヌの人達は夏でもチセの中で種火を絶やさず火を焚いていたのである。夏の間中、地中に蓄えられてきた熱が冬の寒さからアイヌの人達の命を守っていたという。冬場には激しく火を燃やすのだろうと普通なら思うが、そうすると激しい対流が起こりどんどん冷たい外気がチセの中に入って来てしまうから、決してそんなことはせずひたすら同じ様な調子で火を焚き続けるのだそうだ。そんな研究がこの地熱住宅のベースになっていた。僕は高断熱・高気密に関する膨大な資料を集めていたが、自然エネルギーとしての地熱利用については、この時、はじめて知った事だった。
このように、地熱住宅は通年を通して安定した地熱を利用して壁体内に空気を循環させる方法を取っているので、同じ壁体内に断熱材を入れる事はできないから、必然的に外張り断熱となる。今の住宅に上手く地熱を活かすには、やはり断熱をしっかりして熱損失の少ない家にしなければならない。当時まだ外張り断熱というものがあまり知られていなかったにも関わらず、玉川建設はその時点ですでに十年以上の歴史を持っていたのである。
僕が講演の依頼を受けたのは、「地熱」ということ以前に、まだまだ高断熱・高気密について世の中の認知度が低く、ぜひその辺りのところをお客さんに語って欲しいという理由からだった。始めての事だから周到に準備をした積もりだったが、自分自身が人前でどんな風に喋るのか、自分でも想像がつかなかった。
最初の講演会では事前に用意したレジュメをお客さんに配布し、それを元に話しを進めていったが、次回からはパソコンで作っておいた資料をプロジェクターで映し出してレーザーポインターを当てて説明をしてゆく、というように段々と様になってくると同時に、客の表情、反応が冷静に見られる様にもなって来ていた。
基本的には固い話しなので、客が退屈しない様に時々笑える様な話しも織り交ぜなければならない。それでも一方的に話しをしていてはやはり客の集中力は落ちてゆくから、そんな時はお客さんに質問を投げ掛けたりして参加型のシナリオも組まなくてはならない。
そして、講演の最後には質問の時間が取られ、お客さんの質問を受ける、というのが定番である。そして、良くあるのが
「色々お話を伺いましたが、やっぱり私は昔の様な開放的な家の方が日本の気候には合っているのではないかと思うのですが」
というお客さんの声である。
2時間近くも説明して来て最後にこのような感想を聞くと、疲れがどっと出て来てしまうのだが、それはやはり僕のスピーチ力がまだまだ未熟である、という証拠でもあった。
「勿論、昔の様な開放的な家で、冬も外気と変わらない気温の中で生活されるなら、結露の心配もありませんし、家も長持ちするでしょう。それなら、おっしゃる通り高断熱・高気密なんて必要ありません。でも、もし、冬はやはり暖房して暖かい生活をしたいとおっしゃるなら、やはり結露のない家づくりをしなければなりません。そのために必要なのが高断熱・高気密なのです。」
僕はいつもそう応える様にしているのだが、お客さんの日本の家=開放的、というイメージはなかなか拭い取る事はできないものである。
2009年4月28日火曜日
6-1.開放的な高断熱・高気密住宅/本の出版

本の出版
当時、ハウスメーカーなどでは、高断熱・高気密商品が盛んに売り始められていたが、高価な発泡プラスチック系の断熱材を使った「外張り断熱」住宅は、価格的にどうしても高くなってしまうのでハウスメーカーとしても二の足を踏んでいる、という状態だった。僕自身も、他の設計事務所との差別化を図ろうと、「高断熱・高気密」を売りに活動していたが、それが成功したかと言えば、全く当てが外れた、というのが正直なところである。小さな設計事務所が大々的に宣伝活動を行う資金力がある訳ではないし、首都圏に住む一般の人の中にも「高断熱・高気密」という言葉はある程度、認知されて来ていたとは思うが、それがいったいどんな住宅なのか、そんな家に住んだ事のない人達にとっては「高断熱・高気密」の意味も良く理解されていない、という状況だった。
高断熱・高気密住宅は、ビニールシートですっぽりと包まれたペットボトルのような家と言われ、「日本の気候にそぐわない、自然の摂理に反した家づくりだ」と揶揄する反・高断熱高気密派との間で、激しく論戦が繰り広げられていたのも丁度、この頃である。高断熱・高気密派は理論を武器に相手を説得しようと試みるが、反・高断熱高気密派はイメージ戦略で返して来る。一般消費者はイメージに弱いから、どうしてもそちらの方に引張られてしまう。そして、そんなイメージ戦略を牽引していたのが論理や技術に長けていた筈の設計事務所だったのである。
例えば、こうだ。
「日本の家は高気密化が進んでしまったために、結露やカビ・ダニの発生という不健康を生み出してしまったのだ。」
だから、高気密はいけないと言う。これを聞くと皆は成る程そうだ、と思ってしまう。そして、この言葉だけを取り上げれば、決して間違ってはいない。しかし、これは全くナンセンスな話しだ。「高気密化した」ことと、高断熱・高気密の「高気密」は全く意味が違う。高気密化してしまったのは、今までの伝統的な家づくりの意味を忘れて透湿性のない新建材や合板で固められてしまったからであり、高断熱・高気密における高気密には次の3つの意味がある。
1) 室内で発生した水蒸気が外壁内に侵入して結露を起こすのを防ぐ。
2) 家全体の隙間をできるだけ少なくする事で換気損失を減らす。
3) 計画換気を可能にする。
北海道では、高断熱を施すと内外の温度差が大きいので、室内で発生した水蒸気が壁内に侵入し激しい結露を起こしてしまう。だから高断熱には高気密が欠かせなかった。それがそのまま高断熱・高気密と呼ばれる様になったのである。「高気密化」という言葉を、高断熱・高気密に絡めてイメージさせる上手いやり方ではあるが、そこには大きな誤解がある。
巷には結構、高断熱・高気密絡みの本が出ていたが、それらはおよそ強引に自分達の工法の良さを吹聴するための宣伝本ばかりだった。「外張り断熱」は元々、本州由来の工法で、壁体内に空気を循環させることで内部結露を防止し、自然の力で家の中を暖めたり涼しくしようというアイデアを活かす為に軸組内に断熱材を挿入する事ができないので外張りとなった、という歴史があり、そもそも高断熱・高気密を意識したものではなかったが、それでも高断熱・高気密のひとつの方法として外張り断熱をというものがちょっと脚光を浴びる様になって来ると、今度は従来の繊維系断熱材メーカーと新興の発泡プラスチック系断熱材メーカーとの間で、「充填断熱」対「外張り断熱」という構図が生まれ、消費者そっちのけで断熱材メーカーの内輪もめのような状況が続いていた。
僕は、高断熱・高気密住宅に特化した設計事務所にしようと考えた時から、巷ある様々な断熱工法について資料をかき集め、こつこつと調べてはそれらを理解する為に自分なりにレポートをまとめていた。そもそも、気密シートを貼る充填断熱が巧くいかなかったことに起因しての事だったが、現場の職人さん達に高断熱・高気密を理解してもらうための資料づくりが必要だと考えてのことだった。
確かに本州の人は暑さ寒さに強い。首都圏ではどんなに寒いと言ったって死ぬほどのことではない。だから、伝統的な夏を旨とした家づくりが向いているのだ、ということも分かる。しかし、僕は首都圏で生活を始めてひとつ気付いた事がある。北海道の冬はからっと晴れて太陽を拝める事が少ない。雪が降っていなくてもいつもどんよりと厚い雲のかかった重苦しい天気の日が多かった。ところが、こちらは結構冬場は雨も少なくからっと晴れている事が多いのである。だからこそOMソーラーという巧いアイデアが生まれたのだと思うが、高断熱・高気密的発想からすると、熱損失の少ない家にして、大きな窓から日差しを入れればそれだけで日中は暖房など必要がないくらい暖かい家になるのだ。太陽の沈んだ夜には、その大きな窓は逆に熱損失の大きな部分となるから、内戸などを閉めて熱損失を防ぐ様にしてやればいい。そして小さな暖房機ひとつで家中を暖める事ができるのだ。
僕の元にはいつの間にか丁度本一冊分にはなる原稿が溜まっていた。どこのメーカーから頼まれたものでもない、できるだけ客観的に様々な断熱材や百を超える工法、その他、高断熱・高気密にした時の暖房の方法について、そして、温暖地における高断熱・高気密住宅についての自分なりの所見をまとめたものである。そんな本は今までありそうでなかったから、実用書を出しているような出版社に持ち込めば、上手く乗って来るかも知れない。そんな期待を込めて、空いた時間を見つけては手当たり次第、出版社に問い合わせのメールを出した。しかし、それはやはり甘い期待でしかなかった。
半年もの間、出版社にメールを投げ続けたが、原稿自体読んでもらう事ができない。そして、とうとう原稿を読んでもらえるところを見つけ、読んでもらったが、やはり快い返事をもらうことはできなかった。後は自費出版を考えるしかないか、とも思ったが、営業経費とは言え、その頃の事務所にはそんな冒険ができる資金はなかった。そんな風に諦めかけていた時だった。もう随分前に打診して、なしのつぶてだったある出版社から一本の電話が入り、それがきっかけで僕の原稿は「究極の100年住宅のつくり方」という本になって全国販売された。
元々は、「開放的な高断熱・高気密住宅をつくる」というタイトルだったが、そんなことはどうでもいい。自分の原稿が本になって、人に読んでもらい、少しでも高断熱・高気密住宅というものを知ってもらえるならそれで良かった。勿論、本が売れて印税が入るならそんな嬉しい話しはない。しかし、この手の本がベストセラーになるような期待はサラサラなかったが、本を読んで僕に住宅の設計を依頼して来る人が何人かでも現れる事を願っていたことは確かだ。
2009年4月27日月曜日
5-4.外張り断熱の家/建築を見て、建築主を見ない
建築を見て、建築主を見ない
設計事務所の仕事というのは、上手く行って当たり前、ほんのちょっとした事でも施主が不満に思うところがあれば、それだけで総てを否定されてしまうところがある。設計を進めてゆく中で、一緒に家づくりを楽しみ、一緒に完成を喜び合える事を願って一生懸命頑張っても、現実には何かしら予想もしなかった問題が起こったりすることもある。殆どは解決することができるのだが、そうはいかない事もある。こうした問題の原因の大半は施主と設計者とのコミュニケーション不足にある。特に、住宅においてはそれが総てだと言っても過言ではない。
大きな建物の場合は、その建設資金は税金であったり会社のお金であったりするから、身銭を切る訳ではない施主の担当者は、設計者に対してそれほど厳しい目を向ける事は少ない。しかし、住宅はそれを建てる施主にとっては人生の中で最も大きな買い物となる訳である。だから当然、設計者に向ける要求は最も厳しいものとなる。
建て売りなら、出来上がったものを施主が見て判断する事だから設計者は直接,施主に向き合う場面はない。しかし、設計事務所が住宅を設計するという時には、誰ひとりとして同じ人間がいないのと同じ様に、家族は皆違うのであり、常に特殊解を求められているということでもある。だから、その施主にとって最も相応しい解を見出す事が、設計事務所の存在価値だと言ってもいいだろう。そうした中で、常に合格点をとらなければならないとしたら、それに応えるのは至難の業だ。
建築というのは実に煩雑な仕事である。小さな住宅一軒でも様々な職種の人の手が入っている。だから問題が発生する箇所は多岐に渡っている。設計者自身が図面を間違えるかも知れない。工務店が見積もりを間違えるかも知れない。大工さんが納まりを間違えるかも知れない。左官屋さんが指定したタイルを間違って発注してしまうかも知れない。電気屋さんが配線を間違えるかも知れない。現場でのことは、工務店の優秀な現場監督が付いてくれていれば、おおよそ上手く行くだろう。でも、最終的に何か問題が残されたまま竣工してしまうと、設計者の監理責任を問われることにもなる。
だから僕は常々、どんな些細なことでも施主に報告することにしている。自分の評価が下がる様なマイナス情報も、である。設計において自分が間違いを犯していた時には、施主に謝って現場で変更させてもらうこともある。情報開示は施主と設計者の信頼関係にとって欠かせないものなのだ。現場で大工さんが間違って施工してしまったところは、きちんとやり直してもらうが、そうしたことも施主にはちゃんと報告をさせてもらっている。そうすることによって、施主もつぶさに現場の状況を把握できるし、最終的に大きな問題が発生して施主を狼狽させるようなことを未然に防ぐことができるのである。
建築の設計という仕事に就いて、僕は暫くの間、施主の存在を知らずに建築だけを見て、考え、過ごして来てしまった。その事は先に書かせてもらった僕自身の経歴を見れば明らかである。独立して住宅の設計を始める様になって、やっと施主という存在に気付き始めたと言ってもいいだろう。その中で、色々な失敗を経験することになるのだが、その失敗は常に、施主とのコミュニケーション不足が原因なのだ。
よく、医者は病気を診て病人を診ない、と批判されるが、僕らも同じなのだ。設計者は建築を見て、建築主を見ていない。僕もまさにそんな設計者であったのだ。未だに一枚の設計図面を見ながら、一緒に見ている施主の頭の中にも当然自分と同じ空間が描かれていると錯覚してしまうことがあるが、自分がいつも相手の立場になって考えてみる、ということは、分かっていてもなかなかできないものである。でも、そうしなければ相手の気持ちを汲み取ることができないのだ、ということに気付く事ができただけで、随分、施主を不安な気持ちにさせずに済むことができるようになるものである。
設計事務所の仕事というのは、上手く行って当たり前、ほんのちょっとした事でも施主が不満に思うところがあれば、それだけで総てを否定されてしまうところがある。設計を進めてゆく中で、一緒に家づくりを楽しみ、一緒に完成を喜び合える事を願って一生懸命頑張っても、現実には何かしら予想もしなかった問題が起こったりすることもある。殆どは解決することができるのだが、そうはいかない事もある。こうした問題の原因の大半は施主と設計者とのコミュニケーション不足にある。特に、住宅においてはそれが総てだと言っても過言ではない。
大きな建物の場合は、その建設資金は税金であったり会社のお金であったりするから、身銭を切る訳ではない施主の担当者は、設計者に対してそれほど厳しい目を向ける事は少ない。しかし、住宅はそれを建てる施主にとっては人生の中で最も大きな買い物となる訳である。だから当然、設計者に向ける要求は最も厳しいものとなる。
建て売りなら、出来上がったものを施主が見て判断する事だから設計者は直接,施主に向き合う場面はない。しかし、設計事務所が住宅を設計するという時には、誰ひとりとして同じ人間がいないのと同じ様に、家族は皆違うのであり、常に特殊解を求められているということでもある。だから、その施主にとって最も相応しい解を見出す事が、設計事務所の存在価値だと言ってもいいだろう。そうした中で、常に合格点をとらなければならないとしたら、それに応えるのは至難の業だ。
建築というのは実に煩雑な仕事である。小さな住宅一軒でも様々な職種の人の手が入っている。だから問題が発生する箇所は多岐に渡っている。設計者自身が図面を間違えるかも知れない。工務店が見積もりを間違えるかも知れない。大工さんが納まりを間違えるかも知れない。左官屋さんが指定したタイルを間違って発注してしまうかも知れない。電気屋さんが配線を間違えるかも知れない。現場でのことは、工務店の優秀な現場監督が付いてくれていれば、おおよそ上手く行くだろう。でも、最終的に何か問題が残されたまま竣工してしまうと、設計者の監理責任を問われることにもなる。
だから僕は常々、どんな些細なことでも施主に報告することにしている。自分の評価が下がる様なマイナス情報も、である。設計において自分が間違いを犯していた時には、施主に謝って現場で変更させてもらうこともある。情報開示は施主と設計者の信頼関係にとって欠かせないものなのだ。現場で大工さんが間違って施工してしまったところは、きちんとやり直してもらうが、そうしたことも施主にはちゃんと報告をさせてもらっている。そうすることによって、施主もつぶさに現場の状況を把握できるし、最終的に大きな問題が発生して施主を狼狽させるようなことを未然に防ぐことができるのである。
建築の設計という仕事に就いて、僕は暫くの間、施主の存在を知らずに建築だけを見て、考え、過ごして来てしまった。その事は先に書かせてもらった僕自身の経歴を見れば明らかである。独立して住宅の設計を始める様になって、やっと施主という存在に気付き始めたと言ってもいいだろう。その中で、色々な失敗を経験することになるのだが、その失敗は常に、施主とのコミュニケーション不足が原因なのだ。
よく、医者は病気を診て病人を診ない、と批判されるが、僕らも同じなのだ。設計者は建築を見て、建築主を見ていない。僕もまさにそんな設計者であったのだ。未だに一枚の設計図面を見ながら、一緒に見ている施主の頭の中にも当然自分と同じ空間が描かれていると錯覚してしまうことがあるが、自分がいつも相手の立場になって考えてみる、ということは、分かっていてもなかなかできないものである。でも、そうしなければ相手の気持ちを汲み取ることができないのだ、ということに気付く事ができただけで、随分、施主を不安な気持ちにさせずに済むことができるようになるものである。
2009年4月26日日曜日
5-3.外張り断熱の家/寒い家

寒い家
毎年、年の瀬に作る年賀状はその年に竣工した建物をコラージュしたものだ。だからそんな一枚の年賀状が営業ツールになることもある。かつて世話になった人への年賀状だったか、実家に来ていた息子夫婦がそれを見て、自宅の設計を依頼して来たのである。親が十年も前に息子の為に用意していた土地があったから、家にかけられるお金はある程度余裕があったと言えるだろう。
敷地は北側が運河に面した住宅街の一角で、南側のリビングでは、近接する隣家の裏窓を望む事しかできない。それで僕は思い切って北側リビングの家を提案した。大きな吹き抜けのあるリビングに大きな開口部を取り、運河沿いに咲く桜を一望できる家にしようと考えた。一般に、南に向いた窓から景色を眺めると逆光になるから、景色を眺めるには北側の窓が向いているのだ。南の光はトップライトから入れる。窓はその目的に応じて分けて考えて良いのだ。
お風呂からも桜が見たい,と言うので、リビングの吹き抜けの中を貫通して外に飛び出した浴室を二階に造った。主寝室や子供部屋は二階のバルコニーに面して南側に配置する事ができるので、環境としては申し分がない。
床は三十ミリもある無垢の板をフローリングとして張り、壁は二色の漆喰を塗り重ね、独特の雰囲気を出した。外壁も高価な砂岩調の塗り壁としている。
北側にリビング・ダイニングを配置し、大きな窓を取っているので、外張り断熱を施しても寒さには注意しなくてはならないが、FF式の暖房機一台をダイニングに置き、断熱サッシを使っても壁面の1/5程度しか断熱性能はないからリビングの大開口はヒートロスが大きい。そこには暖房機の余熱を利用したパネルヒーターを窓下に置くことでコールドドラフト(冷気の下降)を防ぐようにした。夏場はトップライトのブラインドを閉め切ることになるが、冬場は少しでも温かな日差しをリビングに入れる事ができる。
初めての土地だったので、工務店を探すのに苦労したが、地元のいい工務店を見つける事ができた。設計事務所の仕事もよくやっているとのことで、施主と共に実際に建てている住宅を見学させてもらうこともできた。
外張り断熱についてはまだ経験のない工務店ではあったが、進取の気性のある社長で、ぜひやってみたい、ということだったので、外張り断熱なら初めてでも問題はないだろうと判断し、その工務店に工事をお願いする事となった。
若い担当者が付き、ちょっと歳の行った二人の大工さんが工事を進めていったが、この現場が始まってからは、しきりに大工さんから直接、事務所に電話が入る事になった。週一回のペースで現場に行ってその都度、図面の細かな部分について打ち合わせをしていたが、毎日の様に大工さんから納め方の確認やら、分からない所の説明を求めて電話がかかって来たのである。しかし、これは決して煩わしいことではなかった。設計事務所の仕事をした事のない大工さんなら、勝手に自分で判断して設計図と違うことをやってしまい、何度も手直しをしなくてはならなくなるのだ。それに比べたら、設計図の意図をちゃんと理解して造ってゆこう、という気持ちが伝わって来るし、リアルタイムで現場の状況が把握できるのだから、こんなありがたい話しはないのである。
サッシを取り付け、外張り断熱の施工が済むと、その時点で気密測定を行う。現場を見れば必要な気密性能がでているか殆ど判断できるので、今はあまりやらなくなったが、気密測定を行うと、施工不良箇所がすぐに分かるのである。気密測定とは、家中を閉め切った状態で家の中の空気を抜いてゆく、という作業をする。家に隙間がなければ、どんどん気圧が下がってゆくので、それでどの位の隙間相当面積になっているか、という数値を割り出すのである。気圧が下がらない様であれば、どこかに大きな穴が空いているということであり、そうした問題箇所は近寄るとヒューヒューと音を立てているのですぐに分かるのである。そうした箇所を探しては塞ぎ、何とか所定の数値になればオーケイということになる。
こうして、現場は順調に進み、何とか予定通り引き渡す事ができた。しかし、僕は後に大変なクレームを受ける事になったのである。
それは、完成して初めての正月のことだった。その施主から届いた年賀状に、
「寒くて、こんな家には住めません!」
と書いてあったのだ。
僕は早速、電話をして状況を確認すると、
「北海道の様に、冬でもTシャツ一枚で過ごせると思っていたのに、寒くて仕方がない」と言う。流石にそこまで暖かい家を考えていなかったので、その辺の確認が甘かったと反省したが、原因はいくつかあった。まず、冬場は運河沿いに冷たい風が流れ、それを大きな北面の窓にまともに受けてしまう、ということがある。ダイニングに設置していたFF式暖房機の熱容量もあまり余裕を持たせてはいなかったし、窓下に設置したパネルヒーターではとても対処し切れなかったのだ。後は、換気システムによる熱損失が以外と大きかったのである。
実際に訪ねてみると、確かに足下は寒い。しかし、それはあの大学の部長宅とあまり大差はなかったのだ。暑さ寒さの感覚は人によって違うものである。どこくらい暖かく、どのくらい涼しく、ということを細かくヒアリングしておかなければ、思わぬクレームとなってしまう。
対策としては、ストーブをもう一台入れる,という事ぐらいしかなかったのだが、その後,暫く「寒い、寒い」と書かれた年賀状を毎年もらう歯目になってしまった。
2009年4月25日土曜日
5-2.外張り断熱の家/暖かい家

暖かい家
僕は,兎に角、施主から敷地測量図を貰い、施主の要求条件を聞き、プランをまとめていった。インターネットが漸く普及し始めた頃だったが、コンピューターに精通していた部長だったので、プランの打ち合わせは殆どメールのやり取りで行う事ができた。さらに、昔、一緒に現場を見ていた人なので、自分で簡単なプランを描いてはメールで送って来ていた。不思議なのが、奥さんの意見を一度も聞いた事がなかった、ということである。家が完成して引っ越して来るまで、僕は奥さんの顔を一度も見た事がなかったのである。
以前、お宅に泊めてもらった時も、確か丁度冬休みだったので、実家に子供を連れて帰っている、ということで会ってはいなかったのである。家づくりというのは、どちらかといえば、殆ど夜寝に帰って来るような亭主よりも、ずっとそこで過ごす時間の長い主婦が主役である。なのに、一度も直接,奥さんの意見を聞かずにできてしまった家だった。
図面が仕上がると、最終チェックをしてもらうために、久しぶりに部長に会った。一緒に現場を見ていた部長であるから、図面を見るのはお手の物である。しかし、その時僕が持参した図面の束を見た部長は、ちょっと目を丸くしていた様だった。大学の建物の様に大きな建物なら図面の枚数も相当な数になるが、小さな住宅一軒がこれほどの図面になるとは思ってもいなかったのだ。今からすれば、決して充分な図面ではなかったのだが。僕は、ペラペラと図面をめくる部長を見ながら、
「大分予算オーバーになるような気がしますから、色々と落としどころを探さなければならないでしょう」
と告げると、
「いや、直さなくていい。このまま行こう」
と言って、目を細めた。何か部長なりの目論みがある様だった。
早速、部長が指定したその工務店に見積もりをしてもらうと、案の上、大幅に予算をオーバーしていた。それを部長にそのまま提出すると、部長は、
「わかった」
と一言言って、その見積書を受け取った。
後で部長の部下であった人にこっそり聞いた話しだが、これまで大学で使っていた業者を総動員して、家に使う材料を安く仕入れさせていたらしい。
部長の職権乱用によって、何とか着工に漕ぎ着ける事ができたが、僕にとっては初めての工務店である。しっかり現場を見なくてはいけない。高尾山の麓まで通うのは難儀だったが、幸い大学の仕事と合わせて見る事ができたので、さほど苦にはならなかった。
毎回,指摘しなければならない箇所があったから、お世辞にも腕がいい大工さんとは言えなかったが、それでも誠実な人柄の工務店の主は、部長の信頼を損ねることなく、無事、現場を納めてくれた。腕のいい大工さんを持つ優秀な工務店だと分かっていれば、難しい納まりの凝ったデザインをしてもいい。しかし、相手の力量が分からなければ、あまり凝ったデザインをしない様に心掛けなければならない。住宅の現場はそこまで考えなければ上手く行かない。そんなことが少し分かり始めていた頃だった。
冬に入る前に竣工し、正月に新居に招かれた僕は、初めての外断熱住宅がいったいどんなものなのか気になっていた。FF式の石油ストーブ一台をダイニングの隅において、それで家中を暖める計画だった。当時はまだ機械換気が義務付けられてはいなかったが、大きな吹き抜けのあるリビング・ダイニングに石油ストーブ一台では、どうしても熱が上に上がってしまい,足下が寒いだろうと思い、床にガラリを切って室内の暖められた空気を床下に通して基礎の立ち上がり部分に付けた換気扇から排気することで床下を少しでも暖めようと考えていた。しかし、実際に訪れて足を踏み入れてみると、その目論みはあまり有効ではなかったことが分かった。FF式のストーブは、タイマーセットができるので、朝起きる前に点火する様にセットしておけば、寒い思いはしなくていいだろうと思っていたが、その日初めて会う事ができた奥さんは、
「タイマーをセットなんかしていませんよ。だって、朝起きても全然寒くないんですもの」
と言って、暖かい家にご満悦の様子だった。
僕は足下がちょっと寒いんじゃないか、と感じていたが、それは北海道人の感覚だったのかも知れない。東京の人は暑さ寒さに強いのだ。
2009年4月24日金曜日
5-1.外張り断熱の家/初めての外張り断熱
初めての外張り断熱
僕は、自邸といい兄の家といい、工務店には立て続けに辛酸をなめさせられていたので、二度と同じ轍は踏まないと心に決めていたのだが、すぐにまた同じ様な問題を突きつけられることになった。
僕は大学の仕事で、週一回くらいのペースで八王子まで通っていたが、僕がかつて現場常駐していた頃から懇意にしてもらっていた八王子校のトップである総務部長から、自宅の設計を頼まれたのである。
自ら積極的に人の輪の中に入ってゆくことが苦手で、営業マンには決してなれそうもない身としては、少しでも人と出会える機会を与えられ、朴訥な自分を理解し信頼してくれる人に出会えることは決して多いことではなかったから、部長の申し出はありがたかった。しかし、そこでやはり、この工務店を使いたい、という話しになったのである。
大学の校舎を建てる様な大きな仕事は、名のある建設会社に発注されるが、その他、大学では教室の間仕切りを変更したり、内装を変えたり、といった細々とした工事が結構ある。部長が指名した工務店は、そんな工事を長年請け負っていたところで、部長の信頼の厚い工務店だった。僕は、自らの失敗を語り、それとなく部長に忠告したが、しかし、結論は変わらなかった。
僕は以前、飲み会で遅くなり終電を逃してしまった時に、丁度一緒にその飲み会に参加していた部長の家に泊めてもらった事がある。冬場だったのでとても寒く、石油ストーブを焚いていても、コタツが欠かせない、という感じだった。その時の部長の住まいは高尾よりさらに奥に入った所だったので、都内よりも2〜3℃気温は低かったかも知れなかったが、それは典型的な東京の住宅の姿だった。だから、部長も今度は暖かい家にしたい、という希望を持っていたから、やはり高断熱・高気密を考えなければならない。しかし、充填断熱ではまず東京の大工さんでは上手く行かないに決まっている。なら、外張り断熱にするしかない。
僕が外張り断熱に切り替えたのは、それが充填断熱よりも優れていたから、という理由ではない。確かに施工者が高断熱・高気密をきちんと理解していなくても結露の心配の少ない暖かい家を造る事ができる。そうした施工性の良さを評価すれば、優れていると言えるのかも知れない。しかし、それは全く本質的な問題ではない。施工者が高断熱・高気密の意味とその技術をきちんと理解しさえすれば、充填断熱でもきちんと施工できる筈なのだ。それをハナから学ぼうとしない意識の問題なのだ。
当時、外張り断熱は、スタイロフォーム(正式にはスタイロエース)によるSHS工法とアキレスの外張り工法があった。SHS工法は、大学時代、私のゼミの先生が新・木造在来構法を開発している時からあったが、北海道の寒さの中では、その断熱性能を高めようとすると厚いスタイロフォームを使わなければならない。そうすると、今度は外壁を支えるのが難しくなって来るから、厚くするにも限度がある。だから、北海道ではあまり普及していなかったように思う。しかし、首都圏なら五十ミリの厚さもあれば充分だから、外壁材を支えるにも問題はない。そういう意味でも、外張り断熱は首都圏のような温暖地向きの工法と言えるかも知れない。
SHS工法は断熱材メーカーのダウ加工が工務店に対してフランチャイズ方式で販売していた工法なので、加盟店となっている工務店しか使えない。高断熱・高気密工法は今でもフランチャイズ方式で行われているケースが多いが、それは、高断熱・高気密の意味をしっかり理解し、決められた仕様をきちんと守って施工しないと、返って危険な住宅を造ってしまうことになりかねないからだ。間違った施工をされて問題を起こされると、その工法自体の評判を落とすことになる。だから、しっかり技術を習得した工務店を加盟店として、ノウハウ込みで断熱材を販売するのである。そしてそれは、設計事務所がなかなか高断熱・高気密住宅の設計に踏み込めない理由のひとつでもあるだろう。
しかし、そんな中にあって、アキレスの外張り工法は、一度講習を受けさえすれば、誰でも使える工法だった。次世代省エネ基準に照らしても、この土地なら断熱材の厚みも四十ミリで済む。しかし、問題は価格だ。それは外張り断熱全体に言える事なのだが、使用される発泡プラスチック系の断熱材は充填断熱に用いられるグラスウールなどと比べると圧倒的に高価なのだ。中でもアキレスは高いという印象だった。
僕は、自邸といい兄の家といい、工務店には立て続けに辛酸をなめさせられていたので、二度と同じ轍は踏まないと心に決めていたのだが、すぐにまた同じ様な問題を突きつけられることになった。
僕は大学の仕事で、週一回くらいのペースで八王子まで通っていたが、僕がかつて現場常駐していた頃から懇意にしてもらっていた八王子校のトップである総務部長から、自宅の設計を頼まれたのである。
自ら積極的に人の輪の中に入ってゆくことが苦手で、営業マンには決してなれそうもない身としては、少しでも人と出会える機会を与えられ、朴訥な自分を理解し信頼してくれる人に出会えることは決して多いことではなかったから、部長の申し出はありがたかった。しかし、そこでやはり、この工務店を使いたい、という話しになったのである。
大学の校舎を建てる様な大きな仕事は、名のある建設会社に発注されるが、その他、大学では教室の間仕切りを変更したり、内装を変えたり、といった細々とした工事が結構ある。部長が指名した工務店は、そんな工事を長年請け負っていたところで、部長の信頼の厚い工務店だった。僕は、自らの失敗を語り、それとなく部長に忠告したが、しかし、結論は変わらなかった。
僕は以前、飲み会で遅くなり終電を逃してしまった時に、丁度一緒にその飲み会に参加していた部長の家に泊めてもらった事がある。冬場だったのでとても寒く、石油ストーブを焚いていても、コタツが欠かせない、という感じだった。その時の部長の住まいは高尾よりさらに奥に入った所だったので、都内よりも2〜3℃気温は低かったかも知れなかったが、それは典型的な東京の住宅の姿だった。だから、部長も今度は暖かい家にしたい、という希望を持っていたから、やはり高断熱・高気密を考えなければならない。しかし、充填断熱ではまず東京の大工さんでは上手く行かないに決まっている。なら、外張り断熱にするしかない。
僕が外張り断熱に切り替えたのは、それが充填断熱よりも優れていたから、という理由ではない。確かに施工者が高断熱・高気密をきちんと理解していなくても結露の心配の少ない暖かい家を造る事ができる。そうした施工性の良さを評価すれば、優れていると言えるのかも知れない。しかし、それは全く本質的な問題ではない。施工者が高断熱・高気密の意味とその技術をきちんと理解しさえすれば、充填断熱でもきちんと施工できる筈なのだ。それをハナから学ぼうとしない意識の問題なのだ。
当時、外張り断熱は、スタイロフォーム(正式にはスタイロエース)によるSHS工法とアキレスの外張り工法があった。SHS工法は、大学時代、私のゼミの先生が新・木造在来構法を開発している時からあったが、北海道の寒さの中では、その断熱性能を高めようとすると厚いスタイロフォームを使わなければならない。そうすると、今度は外壁を支えるのが難しくなって来るから、厚くするにも限度がある。だから、北海道ではあまり普及していなかったように思う。しかし、首都圏なら五十ミリの厚さもあれば充分だから、外壁材を支えるにも問題はない。そういう意味でも、外張り断熱は首都圏のような温暖地向きの工法と言えるかも知れない。
SHS工法は断熱材メーカーのダウ加工が工務店に対してフランチャイズ方式で販売していた工法なので、加盟店となっている工務店しか使えない。高断熱・高気密工法は今でもフランチャイズ方式で行われているケースが多いが、それは、高断熱・高気密の意味をしっかり理解し、決められた仕様をきちんと守って施工しないと、返って危険な住宅を造ってしまうことになりかねないからだ。間違った施工をされて問題を起こされると、その工法自体の評判を落とすことになる。だから、しっかり技術を習得した工務店を加盟店として、ノウハウ込みで断熱材を販売するのである。そしてそれは、設計事務所がなかなか高断熱・高気密住宅の設計に踏み込めない理由のひとつでもあるだろう。
しかし、そんな中にあって、アキレスの外張り工法は、一度講習を受けさえすれば、誰でも使える工法だった。次世代省エネ基準に照らしても、この土地なら断熱材の厚みも四十ミリで済む。しかし、問題は価格だ。それは外張り断熱全体に言える事なのだが、使用される発泡プラスチック系の断熱材は充填断熱に用いられるグラスウールなどと比べると圧倒的に高価なのだ。中でもアキレスは高いという印象だった。
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