2009年6月4日木曜日

12-5:大地に還る家/「団らんの場」を再構築する

「団らんの場」を再構築する

 さて、「歴史を繋ぐ家」の子供達はすでに一番下の女の子が中学生なので夫々の個室が求められたが、三人の子供に夫々六帖という広さの個室が与えられるというのは、それだけでこの家がそれ相当大きな家であることが分かるだろう。事実、延べ床面積は60坪ほどになったが、しかし、この家の特徴的なところは「リビング」がないということである。この家の中心はダイニングであり、そこに8人は座れるくらいの大きな無垢の厚板のテーブルを据え付ける計画である。ダイニングに面した南側には六帖ほどの「籐(とう)」を敷き詰めた「籐の間」という料亭の様な雰囲気のあるスペースを設けているが、ここは専ら主人が客を美味い酒でもてなすための場として求められたものである。
 「リビング」のない家というのも僕自身初めてだったが、リビングとは何なのか、今一度考えてみるいい機会になった。

 まず、欧米と日本では「リビング」というものの基本的な意味が違うことに触れておかなければならないだろう。
 子供部屋について触れた時にもフランスの住宅の例を挙げたが、フランスにおいてリビングはSALON、即ち、客を招き入れる場であった。アメリカ映画でも玄関扉を開けたら即リビングという家がよく登場するが、これは欧米において「リビング」がパブリックな空間であることを明快に示している例である。(日本でそんな住宅のプランを作ったら、まず却下されてしまうだろう。)

 日本でも当初は少しでも文化的な生活を、ということで西欧風の間取りを取り入れて形から入ろうと試みたものの、日本人は「上がり框(あがりがまち)」という玄関の段差をとうとう取り除く事ができなかった。即ち、日本では玄関までがパブリックな場で、靴を脱いで玄関を上がればそこはもう家族だけのプライベートな空間となるのである。

 欧米では親が客を家に連れてくると、子供達は自室から出て来て客に挨拶をする。欧米の住宅におけるリビング・ダイニングは客を迎え入れる場、即ち、社会に開かれた場であり、プライベートな場所というのは家族夫々の個室しかないのかも知れない。しかし、子供達にとってはより社会への窓が開かれていると言えるだろう。

 日本の住宅もかつての伝統的な家屋では、囲炉裏から縁側廊下に面した続き部屋はおよそ家族のための部屋というよりは客を招き入れるための部屋として機能していたが、今の日本の住宅の殆どはそうした社会に開かれた機能を持ったスペースはなく、リビングは家の中心にあって家族が集いくつろぐ、いわゆる「団らんの場」というイメージが強い。
 しかし、ここで今度は家族の「だんらん」とは何なのか考えてみる必要がある。

 昔を振り返って、農家の間取りを見ると、三和土(たたき)から上がった畳の間か板の間の真ん中に囲炉裏(いろり)という火を焚く場所がある。
 囲炉裏は暖房という手段を持たなかった昔の家にとっての暖を取る場所であると同時に炊事の場であり、食事の場であったが、囲炉裏の上には火棚が吊られ、濡れた薪や衣服を乾かし、梁の上には野菜や種が貯蔵され、囲炉裏の煙はそのまま小屋裏に上がり、屋根の茅を燻蒸することで虫が付くのを防いでいた。
 このように、昔の囲炉裏は非常に多目的な機能を果たす場であったため、自然と家族が集まる場でもあった。

 しかし、この囲炉裏には家族が座る位置が厳格に決められており、封建的な家族秩序が守られていたのである。例えば、
ヨコザ(主人または長男の場所)
キャクザ(客の場所)
カカザ(主婦の場所)
キジリ(次男以下の場所)
というように。

 こんな時代には、世の中の情報は一家の主人が一手に握っていた。囲炉裏を囲んで主人の口から出る言葉が正に「社会の窓」だった訳である。
 しかし、こうした囲炉裏は、炊事は台所に、食事は食堂に、採暖は暖房器具に、というようにその機能の分化と共に失われていくことになる。それと同時に、家族が集まる、という求心力を失ってゆく事になった。

 都市生活においては、囲炉裏の代わりは「茶の間」であり、その象徴的な装置が「ちゃぶ台」ということになるのかもしれないが、その頃には「ラジオ」が社会の窓となり、それが「テレビ」に変わってゆく。
 「ちゃぶ台」は茶の間から分化したダイニングに、そして「テレビ」はもう一方のリビングに、ということなのかもしれない。

 実際に、今の日本のリビングは「テレビの間」であると言っても過言ではない。どの家にもリビングにはテレビがある。今では、家の中に何台もテレビのある家は珍しくないが、リビングにあるテレビは特別である。まず、一番大きくて立派なテレビはリビングにある。そして、そのテレビに向かってソファや椅子が配置されている。リビングを計画していると必ずテレビを何処に置くか、ということが一番の問題になる。即ち、リビングとはテレビを見る場なのである。

 では、テレビは家族を集めて、リビングを「団らんの場」にする上手い舞台装置になったのだろうか。リビングには家族皆で見られる様に家族分の席が用意されるが、しかし、現実には家族全員でテレビに向かっていることはまずない。子供から大人まで世代を超えて楽しめる番組などそうないからだ。子供達はお父さんが帰って来る前にリビングでアニメを見て、夕食を済ませるとそそくさと自室にこもる。例え、家族全員がリビングに揃ったとしても、皆がテレビに注視していてはそうそう家族の会話など生まれない。だから、リビングは「団らんの場」には成り得ず、ただ単に「テレビの間」でしかない。

 ではダイニングが「団らんの場」なのか。ある資料によると、テレビを見ながら食事をする家庭は76%もあるという。これでは、やはりダイニングも「団らんの場」としての機能を失っている様だ。しかし、この「団らんの場」はもっと極限までに消失してゆく事になる。

 高度経済成長期には「三種の神器」と言われる様に、家庭用電気製品が普及し、白黒テレビもカラーテレビに替わっていったが、これらは「ファミリー商品」と呼ばれ、家族が使う電気製品だった。しかし、大型のステレオ機器がラジカセになって持ち運びができる様になり、一九七九年に発売された「ウォークマン」は「個人向け商品」の誕生を意味するものだった。その後のパソコン、インターネット、そして極めつけの携帯電話の普及により、人は誰でも家族という媒体を通さずにいつでも何処でも自由に世界中の情報を手に入れる事ができるようになった。

 「家族の団らん」は、このように住宅からパブリックな機能が失われ、部屋が機能分化してゆき、社会情報が一家の主人の手から離れてゆくことによって失われていったのである。「子供部屋」を与えられた子供は、親から基礎的なコミュニケーション能力を学ばないうちから、部屋に籠りながら外の世界に飛び出してゆく事ができるようになってしまったのだから。


 「リビング」を作らなかったこの「歴史を繋ぐ家」は、ある意味では「家族の団らんの場」を再構築しようという試みでもある。第一に、この家の中心となる広いダイニングは、「籐の間」と共に客を招き入れる場として考えられている。だから、キッチンは独立型としているし、広いテーブルは家族と客が集うことが想定されている。また、このダイニングは食事だけのスペースではない。主人が新聞や雑誌を読む場所として、書架も設えられているし、家族の用に供する様々な棚や引出しが設えられている。このダイニングの上部は吹き抜けていて、二階の中心となるファミリールームと空間が連続し、家族の気配をいつも感じ取れる様になっている。このダイニングはあえて多様な機能を持たせることで、家族が自然と集まってくる場になることを意図しているのである。

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