2009年6月6日土曜日

12-7:大地に還る家/「大地に還る家」はこうして造られる


「大地に還る家」はこうして造られる

 「大地に還る家」は、そこから誰もがイメージする様に、その家が天寿を全うする時にその家を成り立たせていたそれぞれの部材が環境を汚染することなく大地に還ってゆくものでなければならない。しかし、リサイクル、リユースできるものが、現実にはごく限られたものであるのと同じ様に、単純に大地に還ってゆく材料というのもそう多くはない。

 例えば、現在最も安価で使い勝手の良い内装下地材として使われている石膏ボードも、石膏が昔から使われている自然素材なので安心であると思われがちだが、その主成分である硫酸カルシウムは土壌の地下水に生息する硫酸塩還元細菌の代謝を受けて硫化水素を発生させてしまうので、そのまま土に還して良いものではない。また、最近、普及して来ている給水・給湯配管システムの「サヤ管ヘッダー方式」に使われる「架橋ポリエチレン管」は半永久的に劣化しないとされ、僕も採用しているが、そういった配管類も建物解体時には産業廃棄物として処理しなければならなくなる。

 また、どんなにそれが「大地に還る家」に相応しい良い材料だと分かっていても、コスト的な問題で諦めざるを得ない場合も少なくない。例えば、木製サッシが良いのは分かっていてもそうそう使えるものではない。ではその次に性能の良い樹脂製サッシにするかと思えば、それは石油化学建材である。アルミサッシにすれば、アルミも原材料の輸入から製造までを考えるとその環境負荷の大きさが問題となる。こうしたコストの絡む問題は常につきまとい、僕らはそうしたもののひとつひとつに「優先順位」を付けて判断してゆかなければならなくなる。

 いずれにしろ現実的には、環境負荷に対する問題意識をきちんと持って今できることをしておくしかないということになる。「大地に還る家」は20年×10回という短期間にメンテナンスを必要とする家ではない。その位の実現性は見えているが、残された問題は時を追って解決されてゆかねばならないし、重要なのは、日本のその土地の気候風土に最も相応しい家づくりとしての「思想」を継承してゆかなければならないということである。


 では、「大地に還る家」という思想が今、体現できるものについてそろそろ整理しておかなければならないだろう。しかし、それは政府の200年住宅のような壮大なビジョンではない。未来を見据えて今できる事をより具体的に提示し、ひとつひとつその解決の道を探ってゆく事が一設計者の勤めであろうと考えている。従って、それは僕が自身の家づくりの履歴を時系列的に語って来たことをまとめる事に他ならないが、「大地に還る家」の当面の目標はまず、これまでの日本の家づくりの反省から始めなければならない。それらを箇条書きにまとめると次の様になるだろう。

大地に還る家とは

1)できるだけ石油化学建材に頼らない家づくり
湿気を通し難い石油化学建材の使用が、家と人の健康を損なわせて来た。住宅の「部品化」を担って来た石油化学建材の使用を見直し、家づくりを職人の「手仕事」に取り戻そう。

2)地産地消を目指し、国産材をフル活用する
地元で採れる無垢の木を、確かな技術で人工乾燥し、構造材として使用しよう。山に残されている間伐材、未利用材も合板、集成材、その他の建材の基材として用いる等、フル活用し、日本の森を守ろう。地産地消は木材に限った事ではない。家づくりに関わる産業は非常にその裾野が広く、必要な材料や技術を如何に無駄な物流コストをかけずに調達すことができるか、と考えれば、できるだけ国内で、近県で、地場で作られるものを、そしてその土地が育んで来た技術を使おうということになり、伝統的な産業、技術が復活し、地域社会の経済活動が昔の様に自然のサイクルの中に戻ってくるはずである。地球温暖化防止への施策とは、地域のアイデンティティを取り戻すことに他ならない。

3)地盤事故を起こさない、より確かな地盤調査の実施
信頼性の低いスウェーデン式サウンディング試験だけに頼らず、土を採取し、その性質を見極める事でより確かな地盤判定を行なおう。どんなにいい家ができても、足下が揺らいでは意味がないのだから。

4)構造計算(許容応力度計算)により、大地震でも安心な強度を確保
基準法に基づく壁量計算だけでは自由な設計に対応できない。許容応力度計算によって、より実態に即した構造性能を確保し、長寿命住宅が遭遇する大地震に対して「安心・安全」を確保しよう。

5)透湿する素材を用いて、その土地の気候条件に合ったより自然な断熱法の実現
「高気密・高断熱」後の住宅は、より自然に即した断熱としたい。北海道では冬場の暖房により、内外の温度差が大きく、内部結露を防止するための「気密」が欠かせないが、首都圏の温暖地では「透湿する壁」を造って内部結露の心配のない断熱をすることができる。「透湿する壁」は透湿抵抗理論という現代の科学によって産み出されたものだが、それは同時に日本の家づくりの基本に立ち返った断熱法であるとも言える。

6)その土地の気候・風土・歴史に即したパッシブデザインの実現
家とはそもそもその土地の気候・風土に合わせて人が過ごし易い室内環境をつくるためにその長い歴史の中で造られて来たものである。そのカタチには皆、意味があり、家はそれ故にその土地独特の美しさを持っているものである。その土地だからこそ生まれるデザインがある。そんな家づくりを、そして、そんな街づくりを僕らは取り戻さなければならないと思う。

7)家族を見つめ直し、これからの「家」のあり方を再構築する
一世代の中でも家族はどんどん変化してゆく。何世代にも渡ってその変化に対応できる「スケルトン・インフィル」の対応も必要だが、家族が変化してゆく時間軸を空間化してゆく事も大切である。そのためには、機能分化して来たこれまでの家づくりの考え方を改め、あえて複雑な機能を持たせ、多目的な用途に供する空間を仕掛けることで、家族のコミュニケーションを再生する助けになるのかも知れない。個人と世界がリアルタイムで繋がる究極の情報化社会の中で「家」の持つべき役割を今一度考え直してみる必要があるだろう。

“大事なものは目に見えないんだよ”

と言ったのはサン・テグジュペリの星の王子様である。
地盤、構造、木材の乾燥、断熱、換気といったものは目に見えないものである。しかし、「木の家」づくりを考え始めると、この目に見えないものが如何に重要であるか、ということが分かってくる。家づくりに使われるたったひとつの部材からでも世界を見渡すことができる。だからこそ、僕はひたすらこの目に見えないものに光を当てることにこだわって来たとも言える。

 人は「目に見えるものしか信じない」ものである。しかし、それではいつまで経っても本当にいい家を手にする事はできないだろう。僕ら設計者にとって、住宅の設計を依頼してくる建主も、実は目に見えないものである。建主は様々な思いを要望事項として出してくるが、大事なことはそこには書かれていない。僕らは建主の「言葉にならない声を聞く」ことができなければ、本当にその建主が求めているものをカタチにして提案する事ができないのである。それは、建主にとってみれば、設計者が見えない、ということと同じである。必要なことは徹底的にコミュニケーションを取ること、人は皆違うのだということを知ること、家族は皆違うのだということを知ること、その上で信頼関係を築くことが何よりも大切なことである。僕の積み重ねて来た失敗は、同時に建主にとっての失敗であり、その原因はおよそコミュニケーション不足に他ならないのだから。

 「大地に還る家」をひと言で言えば「持続可能な循環型社会を目指す家」である。そう言うと、昔の様な伝統的な家屋をイメージする人もいるかもしれない。しかし、そうではない。見えないものの重要性は変わらなくても、それが表現性までをも拘束するものではない。建主の趣向によっても、設計者の表現スタイルによっても違って当然である。しかし、例えば、最近は庇のない住宅が多いが、それに替わる日射遮蔽の手段が講じてあれば、そうしたデザインも活きるかもしれない。しかし、それがデザインのためのデザインであれば、その家の寿命はそう長くはないだろう。

 「大地に還る家」は、北海道で高気密・高断熱を学んだ一設計者が、首都圏という環境風土の中で住宅の設計をはじめ、そこで経験した様々な失敗を乗り越えながら辿り着いた目指すべき山の登山口に過ぎないのかもしれない。しかし、それは多くの設計者や家づくりを学ぼうとする人達が迷い込むけもの道ではない。その道は意図的に隠されて来たものではない。ただ、その道は、それを見ようとしない人達には見えない道なのである。(完)

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