2009年6月3日水曜日

12-4:大地に還る家/子供部屋は必要か?


子供部屋は必要か?

 「田園を眺める家」は、田圃の中の広い敷地の中にあるので、隣家がもし火事になった時に延焼を受けない様に防火認定を取っている外壁材を使わなければならないという心配もなかったので、総て板張りの外壁となっている。杉板張りなど、昔の家では当たり前だったが、防火上の規制や新しい物好きの日本人の性向で今は別荘地にでも行かなければ見られなくなったが、木の家には木の外壁が一番いい。防火サイディングなど、特に石油化学系の工業製品は新築の時こそ奇麗に見えるが、後は紫外線被爆による劣化が進み、どんどんみすぼらしくなってゆくだけである。それに対して、板張りの外壁は木の色が徐々にグレーがかった色に変化し、それは劣化ではなく味わいとしての深みを増してゆく様に見える。かつて、関西の建築家、出江寛が「古美る」という言い方をしたが、板張りの外壁はまさしくその言葉がしっくりくる。また、サイディングは全く通気性がないので、通気層が機能していないと忽ち外壁下地に腐れを起こしてしまうが、無垢の木の板は透湿性があるので程よく湿気を抜いてくれる。目新しさはないが、デザインの自由度は高く、「大地に還る家」には最も相応しい外装材である。

 そんな外壁工事が行なわれている頃、僕は津田沼にある築50年の平屋の伝統的木造家屋を壊して、そこに新しく建てる5人家族のための家を計画していた。それは縁側廊下のある典型的な日本家屋で、この時代の家は僕には宝の山に見える。繊細な浮き彫りが施された欄間、レトロなガラスが嵌め込まれた雪見障子、床の間を明るく照らす細かな桟でデザインされた飾り障子、縁側廊下の桁に掛かった5軒以上もある杉丸太、これらは皆、新しい家に使いたかったし、この家の解体時には屋根瓦を総て奇麗に剥がして一時保存し、新居ができてから玄関までの長いアプローチの鋪床に使いたいと考えていた。一番期待していたのは屋根を支えている構造材で、小屋裏を剥がした時にどんな古材がでてくるのか、そしてそれらを新しい家にどの様に使えるか、僕は古いものと新しいものが見事に融合した「歴史を繋ぐ家」の設計を進めていた。

 施主は僕とはほぼ同世代だったので、3人の子供も大学受験を控えた高校三年の長男、同じく高校一年の次男、それに中学生の長女という二男一女で、この年齢で新居を建てようという人は実は珍しい。普通は子供が学齢期に差し掛かる30代の親が、「子供に個室を与えたい」という動機で新居を構えようとするものである。
 しかし、今の親は何故、子供に個室を与えたいと考えるのだろうか。この場を借りて「子供部屋」というものについて少し言及しておきたいと思う。

 実は、「子供部屋」という言い方は日本独特のものなのである。アメリカでは明らかに子供が使う部屋であっても単に「Bed Room」という呼び方しかしないし、フランスの仕事で、現地の建築家に分譲住宅の参考プランを作ってもらったことがあるが、そこにも子供部屋と思われる部屋に書かれた室名は「CHAMBRE(寝室)」だった。

 日本における「子供部屋」という呼び名は、戦後の日本はアメリカ式の生活に憧れていたので、子供には小さいうちから個室を与えて独立心を育てるべき、という思いが反映されたものなのだろうか。しかし、日本では今でも乳幼児が親と一緒に川の字になって寝ているというのが現実であるとすると、それは当たっていない。では、個室を与えれば子供は勉強に集中できて、成績が上がり、いい学校へ入り、ひいてはいい就職ができると考えるからなのだろうか。そうだとすると、これもまた的外れな考えであると言わなければならない。少なくとも小学生の間は自室に籠って勉強をする子供などいないし、そんな子供であってはいけないと僕は思う。

 「家は小さな都市であり、都市は大きな家である」という建築家アルベルティの言葉は先にも登場したが、この「都市」を「社会」と置き換えてみよう。

 “家は小さな社会であり、社会は大きな家である”

 即ち、家は子供が社会へ出てゆく為のインキュベータ(保育器)であると考えると、親が子供を社会へ送り出すために必要な最低限の家庭教育というのは、次の3つのことに過ぎないように思われる。

1) 人の話しをちゃんと聞けること
2) 自分の考えをはっきりと言えること
3) 我慢すること

 人との関わり方、我慢強く折衝する力、要するに、コミュニケーション能力を身につけさせるということである。そう考えれば、子供が個室に籠る様では家庭教育にならないことが分かるだろう。少なくとも小学生までの間は、宿題はダイニングテーブルでさせても構わないし、リビング・ダイニングの一角に学習コーナーを設けておくというのでもいいだろう。静かな環境を与えてあげなければ勉強に集中できないのでないかと思われるかもしれないが、子供に個室さえ与えればそこで大人しく勉強をするという訳ではない。どちらかと言えば、子供に勉強をさせるにはそれなりの強制力が必要であり、母親が家事仕事をしながらでも子供の勉強に干渉しなければ、勉強をするという習慣は身に付かない。それこそ子供の勉強の基本はコミュニケーション能力を養うことなのだから、家庭内におけるコミュニケーションを密にする事の方が重要なのである。社会に出れば個室を与えられて静かな環境で仕事ができる訳ではない。どんな場所であっても集中すべき時には集中できるという訓練が必要だし、子供のうちの学習環境というのは、そういう意味ではあえてノイズの多い環境である方がいいのである。

 中学に入れば家庭で培ったコミュニケーション能力をより外の世界へ広げてゆく事になるし、そのための個人としての占有空間が必要となってくるから、必要なスペースを宛てがってあげるのはいいだろう。しかし、その場合でも南側の日当たりのいい部屋を用意してあげる必要はない。居心地のいい部屋ではなく、籠っていたくない様な部屋である方がむしろいい。中学、高校になればもう子供ではないのだから、それは「子供部屋」ではなく、Bed Roomでいいのである。

 大学に入れば、それが遠隔地であるなら、そのBed Roomもいらなくなる場合もあるが、中学入学から大学卒業までの期間を入れても子供のために必要なBed Roomは精々10年足らずの間のことである。そう考えると、家族というのは一世代の間だけでも相当短期間に変化してゆくものだし、住宅という空間は、本来そうした時間軸に添った可変性が考慮されていなければならないのである。

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