2009年5月4日月曜日

7-4.家づくりを共に楽しむ/どんなことだってできる


どんなことだってできる

 インテリアコーディネーターにとって照明計画は、器具メーカーからバックマージンが取れるので欠かせない仕事である。しかし、設計者にとっても照明計画は本来他人任せにすることはできない重要な仕事である。空間を造り出すということは光を計画することである。日中は自然光をどのように取り入れるか、ということがその空間をどのように浮かび上がらせるか、ということであり、夜にはまた、照明によってその空間をどのように演出するか、建築空間は光がなければ存在しないのだから、空間を造り出すということは光を設計することなのである。

 僕はできるだけ照明器具は見せたくないと思っている。コーディネーター的には部屋の用途や広さに対してどの位のワット数が必要で、その部屋に合う器具はこんなデザインのもの、という風に考えるが、僕は、その空間を美しく見せるにはどこにどのような光源を置いて光を出すか、という風に考えるので、可能な限り間接照明にして器具そのものは見せないようにしている。だから、高価な照明器具など殆ど使用することがないので、ここでもFさんには申し訳ないことをしてしまった。

 しかし、何度かM夫妻の打ち合わせに付き合ってくれたFさんは、インテリアについてコーディネーター任せにせず、いつも何か新しい試みに挑戦しようという僕の姿勢に共感を覚えてくれる様になった。元々クリエイティブな仕事を夢見て頑張ってきた積もりが、いつかしら現実のルーティンワークの中にモノづくりとしての感動を失ってしまっていたのかもしれない。今まで問題なく受け入れられてきた自分の仕事をことごとく否定されたことで、彼女は逆にプロのクリエイターとしての自覚に目覚めたのかも知れない。こういう時には普通ならこうする、というプロの常識に迎合しない僕のやり方にFさんも次第に慣れはじめ、楽しめる様になってきた様だった。

 だから、この家の象徴的な空間となっている「通り庭」の床に、普通なら「和」を意識した素材、例えば、瓦タイルを菱貼りにするとか、那智黒の玉石を洗い出しにするとかそんなイメージが沸いて来るかも知れないが、それをあえて白い大理石の磨いていない屑石を乱貼りして目地を黒くしてみたらどうか、と提案した時には、Fさんは積極的にカタログを調べてそんなイメージにぴったり合うトラバーチンの乱形石を探し出してくれた。

 楽しい打ち合わせというのは、一人が何かを言うと、それをヒントにアイデアがどんどん膨らんでゆくような打ち合わせのことである。この家には実はまだ隠されたテーマがあって、それは「どこでもゴロゴロできること」というもので、施主の要求の裏側に共通して感じ取れるものだった。だから浮づくりのフローリングにも特別な反応を示していたし、和室の琉球畳も然り、通り庭の土間に用いようとしているザラザラした、磨いていない大理石の風合いも素足で感じたい、という気持ちを高めるものの様だった。しかし、極めつけはリビングにベッドを作って欲しいという要望である。かつてバリのリゾートホテルに泊まった時の印象が忘れられず、寝るためのベッドではなく、リビングでゴロゴロするためにベッド用のマットレスを敷いたスペースを作って欲しいというのである。リビングの一角に畳やカーペットを敷いた小上がりコーナーを作ることは良くあるが、流石にベッドのマットレスを敷いた経験はない。

「この位置だとテレビからちょっと遠いかもしれませんね。リビングにソファとか何か置きますか?」

「別に何も置くつもりはありません。折角のフローリングですから、床でゴロゴロしたいと思います。」

「それじゃ、固定のものじゃなくて、リビングの中をどこでも移動できた方がいいかもしれませんね?」

「そんなことできますかね?」

「やろうと思えば、どんなことだってできますよ。」

 こうして大きなベッドに大きなキャスターを付けた「リビングベッド」なるものを作る事になり、佐倉でコツコツと一人で特注家具を作っている僕の友人に製作を依頼することにした。

2009年5月3日日曜日

7-3.家づくりを共に楽しむ/打ち合わせの時間が楽しい


家づくりは打ち合わせの時間が楽しい

 このハウスメーカーでは契約が成立して本格的に設計の打ち合わせが始まると、専属のインテリアコーディネーターが付く。内装の床、壁、天井などの仕上げ材や、トイレ、洗面化粧台、システムキッチン、ユニットバスといった設備機器、そして照明器具などの選定のお手伝いをしてくれるので、同時に何件もの物件を抱えているメーカーの設計者にとってはありがたい存在である。僕にとっては、ちょっとありがた迷惑な存在ではあったが、

  今回Mさん夫妻の新居の計画に付いてくれたのは三十を少し過ぎたばかりのバリバリのキャリアウーマンFさんである。契約後の打ち合わせは、通常プランを詰めてゆく時間が必要となるが、プランはその後大きな変更もなかったので、早速、船橋支店のショールームでコーディネーターが仕上げ材のサンプルを揃えて施主説明に入る。ハウスメーカーでは、例えば、床のフローリングなら、標準仕様はこの五種類ですから、この中からお好きな物をお選び下さい、というように、次々とサンプルをテーブルの上に広げてゆく。

 しかし、悲しいかなそうした標準仕様は殆どかねてから「新建材」と呼ばれている、表面だけ美しく見せた石油化学系の建材である。Mさん夫妻ばかりでなく僕自身も、その中から選べと言われても選び様がない。なかなか決めてくれない客にコーディネーターのFさんが少しずつイライラしてくる様子を楽しんだ後、僕は自分で持ってきたフローリングのサンプルを取り出した。

「標準仕様ではありませんが、こんなフローリングもありますよ。これはドイツのモミの木を3層に張合わせたものですが、表面を“浮づくり”と言って、木目に添って凹凸ができる様に加工したものです。」

 そう言って僕はサンプルを差し出し、
「どうぞ、床において足で踏んでみて下さい」と言ってM氏を促した。

「これは足触りが何とも言えませんね」

M氏はそう言って、婦人にも同じ様に足で踏んでみる様、促した。

 このフローリングはたまたま事務所に飛び込みで営業に来た業者が置いて行ったものだった。いかにもツルッとした表面加工が施された合板フローリングに比べ、表面に凹凸のある無垢の板の感触が素晴らしく、ぜひ何処かで使ってみたいと思っていたが、やはり値段が高いためなかなか使う機会がなかった代物だった。

「夏はベタつかなくていいかもしれませんね」

「こうした加工は足触りの良さだけでなく、足の裏に凹凸による空気層ができるので、夏は涼しく、冬は暖かく感じるのです」

婦人が漏らした感想にそう応えると、M氏は
「打ち合わせの度に驚かされますね」と言って、婦人と顔を見合わせた。

 その日は内装について一通りのサンプル説明がなされたが、決定したのは僕が持ち込んだ浮づくりのフローリングだけだった。それでもM夫妻はそのサンプルを手に、ニコニコしながらショールームを後にした。当然、おかんむりだったのはコーディネーターのFさんである。

 ハウスメーカーでは勿論、社内に設計のスタッフを抱えているが、多くの場合、独立した設計事務所と契約して、メーカーの設計士として働いてもらっている。設計料は安いが、仕様は決まっているし、プランを作ればメーカーの専用のキャドソフトが自動的に他の図面を作ってくれるし、積算までしてくれる。現場の監理をする必要は無いし、数さえこなせば、自分で散々営業してやっと小さな住宅の仕事が一軒取れる苦労を考えれば、ずっと安定した収入が得られるのだから、設計事務所の多くがハウスメーカーの下で働いている、というのが現実である。インテリアコーディネーターなら尚更、ハウスメーカーやインテリア関連企業に付いていなければ食えない職業である。コーディネーター料も勿論、安いから、ひとりで多くの物件を抱え、兎に角、効率よくこなしてゆかなければ割に合わない。

 メーカーの設計士もインテリアの話しになると、コーディネーターに任せてしまうのが普通で、コーディネーターの方も、その方が自分のペースに客を引張る事ができるので都合がいいと言える。しかし、僕の場合はちょっと勝手が違った様だ。Fさんが薦めるものを僕がことごとく否定するのだから、やっていられない。

 営業のY君もこうした打ち合わせにできるだけ参加し、施主とのコミュニケーションを深めることに心掛けているが、打ち合わせの空気を察知して、時にはFさんをそれとなくなだめたり、突然まるで関係ない話しを持ち出して場の雰囲気を盛り上げようとおどけてみたりする。しかし、施主のM夫妻にとっては、そんな見え見えのやりとりが面白いらしく、なかなか決まってゆかない打ち合わせの中にあっても、始終ニコニコと笑みを絶やさない。打ち合わせの中では、Y君と僕が殆どボケとツッコミのような役割を演じているので、始終爆笑が起こり、深刻なお金の話しに沈んでいる他のブースの営業マンからお叱りを受けることもしばしばあった。

「あんな楽しそうな打ち合わせができて、羨ましいですよ」と、後で他のブースで打ち合わせをしていた営業マンに声を掛けられるが、
「家づくりは、打ち合わせの時が一番楽しいものですよ」と、僕は答える。

2009年5月2日土曜日

7-2.家づくりを共に楽しむ/言葉にならない声を聞くこと


言葉にならない声を聞くこと

 小さな住宅一軒でも、平均して十案くらいはプランを作り直すものである。最初の案は、施主の言葉にならない声を聞き出すためのたたき台であるとも言える。だから、通常、ヒアリングをして最初に作ったプランがそのまま採用されることはまずない。だから、このMさん夫婦の家は、僕自身にとっても極めて稀な例となった。

 僕は、ゴルフ場の美しいフェアウェイに面したあの敷地を見て、漠然とはしていたがひとつのイメージを持っていた。この素晴らしい景観をどうこの家に取り込むか、家の何処にいてもこの景観がパノラマのように見える様にしたい。そこに施主の要求条件を満たしてゆく。僕は、家の中を「通り庭」が貫く案を考えた。道路側の玄関を開けると、真っすぐ延びた通り庭の先にフェアウェイが見える。

 最初のヒアリングから一週間後、僕は営業のY君、設計統括のS君と共にハウスメーカーのショールームにある打ち合わせコーナーで施主プレゼンに挑んでいた。まず、プランを広げる。通り庭が家の中を貫いている図面を見て、M夫妻が唸った。そして、ほんの少しの間、放送事故のような沈黙の後、M氏は口を開いた。

「これでいいです。いや、これがいいです。」

婦人もM氏に目を合わせて同意の笑みを浮かべていた。
「感心しました。この通り庭は僕らの希望を小気味良く満たしてくれる軸になっているのですね。僕は随分色々な部屋を要求しましたが、確かにそんなに部屋は必要ありませんね。このプランのように、ちゃんと兼用できるのですから。」

そうM氏が言うと、
「どの部屋からもゴルフ場が見えていいですね。殆どドアがないんですね?」
と、婦人がプランを指でなぞりながら言った。

「夫婦二人だけの家なんだから、確かにドアなんかあまり必要ではないですよね」
M氏が優しく相槌を打った。

 確かにこのプランの居室で戸が付いているのは、通り庭に面した一階の和室しかない。それも、来客が宿泊する時だけ閉められればいいので、普段は引き込まれていて通り庭を挟んだリビングと空間が連続している。2階の寝室もリビングの上に開放されていて、吹き抜けたリビングの大きな窓からフェアウェイを一望できる様になっている。

 さて、外観はどのような感じになるのか。ハウスメーカーでは無理だ、と言ったY君が持ってきてくれた仕事であるとは言え、これはハウスメーカーの仕事なのだから、最低限決められた仕様は守ってあげなくてはならない。このメーカーでは、フラットルーフは雨漏りの問題があるので、必ず勾配屋根にしなければならない。だから、このプランに普通に屋根を掛けた場合の外観を、簡単なブロック模型を見せて説明する。しかし、僕自身それでは詰まらないと思っているので、別の模型を作って隠し持っていた。これはY君にもS君にも秘密である。それを、おもむろに取り出し、「例えば、こんなのもありますが、」と言って施主の前に差し出した。井桁を組んだ様に立ち上がった壁の中に、緩い勾配屋根が挟まり、下からは屋根の存在を殆ど意識する事ができない、シャープな壁が強調された極めてモダンな形をした家である。

 その瞬間、場がざわめいた。Y君もS君も伝統的な日本の民家の様なデザインを頭に描いていたから、ビックリした様な表情を浮かべたかと思うと、すぐに、ちょっと焦った様な表情に変わった。しかし、Mさん夫妻は先の勾配屋根の模型にはもう目もくれず、その模型を手に取ってクルクルと色々な角度から眺め回し、「すごい、すごい!」と連呼していた。

 僕は、あのヒアリングの時に、施主の要望を聞きながら、婦人が集めていたと思われる住宅雑誌、インテリア雑誌に目を留めていた。そこに共通していたのは「モダン」であり、僕は、決して古い日本の家を求めているのではないのではないか、という感じがしていたのである。伝統的な日本の民家の良さをモダンに表現すること、それは、あの敷地もそう望んでいる様な気がしていた。施主の言葉にならない声を聞き漏らさないこと、それができてはじめて設計者は施主をいい意味で裏切る事ができる。

 打ち合わせを終えた翌日、営業のY君から電話がかかってきた。
「施主から、いつ契約すればいいですか、なんて催促されたのは始めてですよ」
こうして「フェアウェイフロントの家」の設計が始まった。

2009年5月1日金曜日

7-1.家づくりを共に楽しむ/うそつき営業マンの功名

うそつき営業マンの功名

 ハウスメーカーとの繋がりは、営業的には不自由な面も確かにあったが、学ぶ事も多かった様に思う。若い営業マンの中には本当に住宅が好きで、独学で勉強して2級建築士の免許を取ろうと頑張っている人もいたし、僕の本を教科書にして会う度に質問を投げかけて来る者もいた。自然とそんな営業マン達が僕の廻りに集まって来て、自分達の家づくりはもっとこうした方が良いとか、もっともっといい家を提供したい、という思いを持つ有志達の輪が広がっていた。

 そんな皆の思いを実現するために、僕はこのメーカーの顧客を何人か引き受けたことがある。ハウスメーカーの家だから普通なら仕様はほとんど決められている。本来なら、僕もそれに従わなければならないのだが、施主が決められた仕様以外のものを使いたい、と言えば、シブシブであろうとも客の要求に応えなければならない。メーカーのショールームにはそうした決められた仕様のサンプルが置かれていて、それを客に説明しながら僅かな選択肢の中から選んでもらってゆかなければならないのだが、僕はいつも自分が使いたいもののサンプルを隠し持っていた。それをこっそり施主に見せるのである。こうして僕が関わった家は何処かメーカーの家とは違うものになっていった。そして、営業マン達もその違いに興奮していた。お仕着せの家ばかりを見て来た彼らにとっては、新鮮な驚きだったのかもしれない。そんなハウスメーカーとの付き合いの中で、忘れられない施主との出会いがあった。

 ある日、若い営業マンであるY君が、「これはハウスメーカーでは無理だ!」と言って、僕に設計を頼んで来た。まずは敷地を見て欲しいということで、僕はY君の営業車に便乗して千葉市から内房に入った所にある広大な土地を宅地開発した新しい町並みの中に入って行った。敷地は百七十坪ほどある四角い平らな土地で、驚いた事に南側はゴルフ場のフェアウェイを望む敷地だった。造られた風景ではあるが、輝くばかりの芝の緑が美しく、これ程恵まれた敷地はそうあるものではない。欧米では、ゴルフ場と一体で開発された住宅地の例は数多くあるが、日本ではそうした開発はなかなか認可されなかったのではなかったかと思う。一般の分譲地は勿論、ある程度ゆとりのある区画分けがされているが、ゴルフ場に面した敷地の区画は圧倒的に広く、趣向を凝らした豪邸が建ち並んでいた。企業のオーナーが所有している家が多いとのことだったが、有名芸能人のお宅も数件あるとのことだった。

 土地を見て一週間程後にここに家を建てようという施主に会ったが、まだ四十前の素朴な感じのする夫婦だった。子供のいない若い夫婦二人のための家である。ご主人は同族会社の役員をされているとのことだったが、土地は地元で林業を営んでいた親が十年近く前に買い求めたもので、息子が家を建てる時のために百年ものの山武杉を長い間自然乾燥させてストックしていた。幕張の住宅展示場にたまたま訪れたこの御夫婦にモデルハウス内を案内したのがY君で、施主は自分が持っている木材を使ってくれるハウスメーカーを探していたのである。

 他のハウスメーカー同様、この会社も構造材には集成材を使っていたし、木材を支給する客など想定外の事であるから、どこへ行っても営業マンがちょっと二の足を踏んでしまう客だったのである。しかし、Y君はそんな客に「全然問題ありません。」と言ってグイグイ自分のペースに引き込んで行った様だった。そして、彼が「やはり、うちの仕様に添った木材でなければ保証の問題をクリアできないので、大変申し訳ありませんが、お持ちになっている木材を使用する事はできかねます。」と謝罪した時には、夫婦はすでにY君を気に入っていて、自分の持っている木を使う事にはもうあまりこだわりがなくなっていた様だった。

 しかし、この夫婦の希望条件は自分達の持っている木材を使用する、ということに留まらず、Y君自身が気付いていた様に、とてもハウスメーカーのお仕着せの仕様には納まり切らないものだった。Y君ひとりの力では「契約」に持ち込むための決定打が欠けていたのである。

 僕は営業のY君と、千葉支店で設計を統括するS君と共に千葉市内にあったMさん夫婦の家を訪れていた。五十年以上経つと思われる、平屋で、テカテカと光る杉板張りの縁側廊下のある典型的な日本の民家だった。Mさんは実家が林業をしていただけあって木についての造詣が深く、同郷の奥さんも百年は経っているという農家の家で育ったので、そうした日本の伝統的な家の良さに愛着を持っている様だった。だからこそ、そんな夫婦が何故ハウスメーカーにやってきたのか、誰もが不思議な気持ちを抱いていた。

 畳敷きの家の中には32インチの黒く大きなテレビがあるだけでこれといった家具もなく、質素な生活ぶりだったが、新しい家に対する希望は多く、Mさんの希望を真に受けていたら確かにあの素晴らしい敷地の中に相応しい豪邸になるかもしれなかった。他の設計者はどうか分からないが、僕は打ち合わせの中で施主の口から次々と飛び出す新しい家についての要望を聞きながら、頭の中ではジグソーパズルのピースを組み合わせる様に要求条件を空間化してゆく。

 施主の要求条件というのは決して整合性が取れている訳ではない。むしろ、多くの矛盾を抱えている場合の方が多いかもしれない。そこに解決の手立てを見つけるのが僕らの仕事なのだが、実はそんなところに今までに無い新たな可能性が隠されている場合がある。住宅というのは、そこに暮らす家族の生活が円滑に行える様な機能的な諸室構成を求められるものであるが、機能一辺倒では住宅にならない。ゆとり、潤い、豊かさ、といったものが感じられる空間でなければならないし、かと言って、面積が大きくなってしまっては即、コストに跳ね返って来る。限られた予算、限られたスペースの中に機能を超えた「温もり」が求められている。

 お調子者のY君の営業手腕で、地元の百年ものの山武杉の家が、輸入木材による集成材の家になっても、Mさん夫妻はやっと始まりかけた自分達の家づくりに胸を躍らせている様だった。ヒアリングの中でも、Mさん夫妻は古い農家、民家で育ち、そんな日本の家を愛している様子だったので、新しい家もそうした日本の伝統的な様式を取り入れた家を望んでいるものと誰もが思っていた、設計者である僕以外は。

2009年4月30日木曜日

6-3.開放的な高断熱・高気密住宅/ハウスメーカーのセミナー

ハウスメーカーのセミナー

 今はもう解散してしまったが、僕の本が出た頃に、首都圏エリアで他社に先駆けて「外断熱」を全面に打ち出して営業を始めていたハウスメーカーがあった。僕も同じく外張り断熱を本の中で推奨していた設計者だったので、何らかの繋がりができるのはごく自然な事だったのかも知れない。何度か首都圏各地で開催された「外断熱セミナー」で講師を務めさせてもらったが、そうした中ではじめてあの住宅技術評論家のM先生を紹介してもらう事ができた。M先生は勿論、外張り断熱を推奨していた人だったから、このセミナーには何度も呼ばれていたのだ。その時は、名刺を交換し、挨拶程度のお話をさせて頂いただけだったが、その後、先生が主催している集まりに毎年、招待して頂くようになった。

 ハウスメーカーの主催するセミナーに招待される客は皆、営業マン達がそれぞれ担当している見込み客である。そんなセミナーで講師を務めると、ちょっと厄介な問題が発生したりする。僕に設計を頼みたい、というお客さんが出て来るのだ。こちらとしては嬉しい話しだが、その客は元々、そのハウスメーカーの客である。そこからセミナーの講師を頼まれていれば、その客を自分の客にしてしまうことはできない。

 しかし、一番困るのが、こうしたセミナーとは関係なく僕のところにやって来て、そのハウスメーカーとどちらが良いか、と値踏みをするお客さんがいることである。これが他の設計事務所との話しなら、どちらがその客を掴もうが腕次第だから問題はない。しかし、相手がハウスメーカーとなると、これは非常に厄介なのである。ハウスメーカーがその事を知ると、途端に僕はそのハウスメーカーにとって競合する敵とみなされてしまうのだから、凄い圧力が掛かって来るのだ。それまで、セミナーでは先生、先生ともてはやされていたのが、「もし、そのお客さんを取ったら、もう二度と講師はお願いできない」と、脅しをかけて来る。だからそんなお客さんが来たら、丁重にお断りをするしかない。

 ハウスメーカーの営業マンというのは、最も高額な商品を売っているセールスマンである。だから、年間に数えるばかりの件数をやっと契約できるに過ぎない。何ヶ月も顧客を獲得できないこともざらにあるのだから、そんな時の営業マンは必死である。

 営業マンの殆どは建築を専門に学んだ事のない人達である。下手な知識があっては真剣に自分達の商品を客に勧められない、という裏事情もあるだろうが、何も知らなければそれだけ客の目線に近いということは確かだ。お客さんが最終的にその家を買おうと思うのは、一番相性の合う営業マンに出会った時だ、と言われるのも、悔しいかな、事実なのだから仕方がない。

 さて、このハウスメーカーはご自慢の外断熱にダウ加工のSHS工法を採用していたが、細部に至までよく考えられた工法になっていた。これなら内部結露の問題は極めて少ないと言えるだろう。このメーカーもそれまではグラスウールによる充填断熱を行っていた。充填断熱の場合、外壁に耐力面材として構造用合板を使うと、湿気が抜け難く内部結露の問題を抱えてしまうので、部屋内側での防湿措置が重要となって来る。

 住宅で用いられるグラスウールやロックウールといった繊維系の断熱材は、部屋内側は防湿シート、外壁側は透湿シートとなった袋に入れられ、それを柱、間柱間に挿入する様になっている。防湿シートは四周に耳が付いていて、それを柱、間柱の上に重ねて留め、その上に内装下地のプラスターボードを張る事で防湿・気密を図ろうというものである。これがきっちり施工できれば理論上、内部結露の心配は少ないと言える。しかし、やはりそれを完璧に施工する事は難しい。ハウスメーカーにとって一番困るのは、現場によって施工の出来、不出来が発生してしまう事である。だから、どんな下請け工務店にでも失敗のない仕様としなければならない。

 防湿シートの確実な施工に難があるとすると、耐力面材として効かせている構造用合板を何とかしなくてはならない。湿気が上手く抜けて、尚かつ耐力面材となるものでなければならないから、ハウスメーカーはそれを独自に開発して、わざわざ耐力面材としての認定を取っているものも多い。このメーカーでもそうした苦慮を重ねてきたが、結露防止の目的は達成しても気密性が低いから、厚い断熱材を入れても換気損失が大きく、暖かい家にはなかなかならなかった。外断熱の採用は、そうした問題を一気に解決するためのものだったのである。外断熱にすれば、構造用合板等の透湿性の低い耐力面材はそのまま防湿気密シート代わりにもなるし、その上に張られる断熱材は、直接、外壁通気層に面していることになるので、結露に対する安全性は格段に高まる。

 しかし、その外断熱に用いられる断熱材は発泡プラスチック系の断熱材だから価格が高く、ハウスメーカー同志の価格競争においては極めて不利な条件を備えてしまう事になる。ここに大きなジレンマがある訳だが、このメーカーは「外断熱」に一ランク上の住宅というイメージを持たせようという戦略を持っていた様に思う。僕が自分の本である工務店の事例を紹介し、このメーカーの新しいモデルハウスの企画にも提案した「木造レンガ積みの外断熱住宅」を本当に造ってしまったのも、そうした高級指向のイメージ戦略にすっぽりハマったからかも知れない。

 しかし、このハウスメーカーは、ある日突然解散してしまった。親会社の上場を期に、不採算部門を整理する一貫の措置だった。確かにハウスメーカーとしては他社より高い商品であったから、その販売は容易ではなかった様だが、一定のファン層ができるほど性能の良い住宅を提供していたと思う。しかし、このハウスメーカー自体、親会社の存在に甘えていたという事実もあるのだ。こうして、以外と旨味のあったセミナー講師の仕事も消えてしまう事になった。

2009年4月29日水曜日

6-2.開放的な高断熱・高気密住宅/高断熱・高気密セミナー


高断熱・高気密セミナー

 本が出版されると、一週間も経たないうちに読者からのメールが入り始めた。

「高断熱・高気密住宅を建てたいと考えているのですが、どの工法が一番いいのか教えて下さい。」

「どの断熱材が一番いいのですか?」
 
「高断熱・高気密住宅をちゃんと造れる工務店を教えて下さい」

「本の一番最後の項で紹介されている木造レンガ積みの住宅はどこの工務店がやっているのですか?」

 一番いい工法があるなら、世の中に百を超える様な断熱工法など必要ないし、断熱材だって皆、必ずメリットがあればデメリットもある。それに、設計事務所は工務店紹介所ではない。

 毎日、入る様になった読者からのメールは、ひたすらただで情報を得ようとする人達からの質問だった。最初は、丁寧に文章を推敲し返事を返していたが、そんなことが一月以上も続くと流石に僕も無料相談所なんかやってられない、という気持ちになって来る。一度の返事で終わる人ならまだいいのだが、返事を返すと何度も何度も新たな質問を出して来る断熱マニアがいて、「いい加減にして下さい」と返した事もある。本を出すと、こんなことになるのだ、と僕ははじめて自分の期待が浅はかだったことに気付かされた。

 しかし、一般消費者の気持ちというのも、これで何となく分かったような気もする。確かに、高断熱・高気密に対するニーズは増えて来ているのだということ。そして、そういう人達は設計事務所のデザイン性よりも住宅の性能に目が行っているので「設計」よりも「施工」に対する価値観が強いということ。良い断熱材とかいい断熱工法を使えば、それだけでいい家が建つと思ってしまっている。

 僕は、良いデザインがなければどんな工法も活きて来ないことを語っている積もりだったのだが、なかなかそんな真意を読み取ってくれる読者はいないものである。それに、確かに高断熱・高気密住宅というだけで消費者にとってはワンランク上の住宅を求めるということなのだから、それをさらに設計事務所に頼むというということは、まだまだ相当ハードルの高い話しだったのかも知れない。

 しかし、勿論、そんな困った事ばかりではない。本を通じて色々な人との出会いが生まれたことも確かである。ある日、一本の電話が入り、それは以前、あるお宅で外張り断熱を採用した時に、工務店からその断熱施工を請け負っていた会社の社長からだった。

「本を読ませて頂いたので、一度お邪魔してお話をさせて頂きたい」と言う。

そして、数日後、現場でよく顔を覚えていたまだ歳若い社長は、同年輩くらいの断熱材メーカーの担当者を連れ立ってやって来た。僕が本を読んでくれた礼を言うと、
「M先生が、皆にこの本を読む様に、って薦めてくれたんですよ」と言う。

 それを聞いて,僕は驚いた。住宅技術評論家であるM氏の書いた建築雑誌の記事はよく読んで参考にさせてもらっていたし、その他、彼の断熱に関する記事は、よく目にしていた。他にも住宅評論家と呼ばれる人は多いが、大抵は何処から金をもらっているのかバレバレではないか、という技術を知らない評論家達の中で、最も断熱技術を知る人であり客観性に富んだ文章が書ける人だった。外張り断熱工法の開発に関わっていた人だから、そのメーカーの断熱材を使っている工務店仲間に、社員教育用として僕の本を推薦してくれたと言うのである。それで、自ら本を手にしてみると、あの時の設計事務所の人だ、と思い、早速挨拶に来たのだと言う。
 僕は、その話しに驚きながらも、M先生の懐の大きさに感服する思いだった。普通なら、本の批判をされて当然のところなのに、それを皆に薦めてくれるなんて、頭の下がる思いだった。

 本を出してもなかなかそれが自分の本来の生業である設計の仕事に結びつかなかったが、考えてもいなかった講演の依頼が入って来た。一番最初に講演会の話しを持ちかけて来たのは、房総半島の茂原市にあった玉川建設という会社である。今は、エコホームという名前で千葉市に本拠地を移しているが、独自に開発した「地熱住宅」を千葉県内に展開していたハウスメーカーと言っていいくらいの大きな工務店だった。地熱住宅とは、地中の温度が夏冬問わず一年を通して一定の温度に保たれていることに着目して、その熱を壁体内に循環させる事で良好な室内気候を作り出そうというもので、北海道のアイヌの伝統的な民家「チセ」の研究者であった宇佐見女史を招いて研究開発したものだった。

 「チセ」は、言ってみれば縄文時代の竪穴式住居みたいなものなのだが、あの極寒の地にあってあんな簡素な住居でアイヌの人達がどのように寒さを凌いでいたのか、というのは同じ北海道人として確かに興味深い話しだった。簡単に言ってしまえば、アイヌの人達は夏でもチセの中で種火を絶やさず火を焚いていたのである。夏の間中、地中に蓄えられてきた熱が冬の寒さからアイヌの人達の命を守っていたという。冬場には激しく火を燃やすのだろうと普通なら思うが、そうすると激しい対流が起こりどんどん冷たい外気がチセの中に入って来てしまうから、決してそんなことはせずひたすら同じ様な調子で火を焚き続けるのだそうだ。そんな研究がこの地熱住宅のベースになっていた。僕は高断熱・高気密に関する膨大な資料を集めていたが、自然エネルギーとしての地熱利用については、この時、はじめて知った事だった。

 このように、地熱住宅は通年を通して安定した地熱を利用して壁体内に空気を循環させる方法を取っているので、同じ壁体内に断熱材を入れる事はできないから、必然的に外張り断熱となる。今の住宅に上手く地熱を活かすには、やはり断熱をしっかりして熱損失の少ない家にしなければならない。当時まだ外張り断熱というものがあまり知られていなかったにも関わらず、玉川建設はその時点ですでに十年以上の歴史を持っていたのである。

 僕が講演の依頼を受けたのは、「地熱」ということ以前に、まだまだ高断熱・高気密について世の中の認知度が低く、ぜひその辺りのところをお客さんに語って欲しいという理由からだった。始めての事だから周到に準備をした積もりだったが、自分自身が人前でどんな風に喋るのか、自分でも想像がつかなかった。

 最初の講演会では事前に用意したレジュメをお客さんに配布し、それを元に話しを進めていったが、次回からはパソコンで作っておいた資料をプロジェクターで映し出してレーザーポインターを当てて説明をしてゆく、というように段々と様になってくると同時に、客の表情、反応が冷静に見られる様にもなって来ていた。
 基本的には固い話しなので、客が退屈しない様に時々笑える様な話しも織り交ぜなければならない。それでも一方的に話しをしていてはやはり客の集中力は落ちてゆくから、そんな時はお客さんに質問を投げ掛けたりして参加型のシナリオも組まなくてはならない。

 そして、講演の最後には質問の時間が取られ、お客さんの質問を受ける、というのが定番である。そして、良くあるのが
「色々お話を伺いましたが、やっぱり私は昔の様な開放的な家の方が日本の気候には合っているのではないかと思うのですが」
というお客さんの声である。

 2時間近くも説明して来て最後にこのような感想を聞くと、疲れがどっと出て来てしまうのだが、それはやはり僕のスピーチ力がまだまだ未熟である、という証拠でもあった。

「勿論、昔の様な開放的な家で、冬も外気と変わらない気温の中で生活されるなら、結露の心配もありませんし、家も長持ちするでしょう。それなら、おっしゃる通り高断熱・高気密なんて必要ありません。でも、もし、冬はやはり暖房して暖かい生活をしたいとおっしゃるなら、やはり結露のない家づくりをしなければなりません。そのために必要なのが高断熱・高気密なのです。」

 僕はいつもそう応える様にしているのだが、お客さんの日本の家=開放的、というイメージはなかなか拭い取る事はできないものである。

2009年4月28日火曜日

6-1.開放的な高断熱・高気密住宅/本の出版



本の出版

 当時、ハウスメーカーなどでは、高断熱・高気密商品が盛んに売り始められていたが、高価な発泡プラスチック系の断熱材を使った「外張り断熱」住宅は、価格的にどうしても高くなってしまうのでハウスメーカーとしても二の足を踏んでいる、という状態だった。僕自身も、他の設計事務所との差別化を図ろうと、「高断熱・高気密」を売りに活動していたが、それが成功したかと言えば、全く当てが外れた、というのが正直なところである。小さな設計事務所が大々的に宣伝活動を行う資金力がある訳ではないし、首都圏に住む一般の人の中にも「高断熱・高気密」という言葉はある程度、認知されて来ていたとは思うが、それがいったいどんな住宅なのか、そんな家に住んだ事のない人達にとっては「高断熱・高気密」の意味も良く理解されていない、という状況だった。

 高断熱・高気密住宅は、ビニールシートですっぽりと包まれたペットボトルのような家と言われ、「日本の気候にそぐわない、自然の摂理に反した家づくりだ」と揶揄する反・高断熱高気密派との間で、激しく論戦が繰り広げられていたのも丁度、この頃である。高断熱・高気密派は理論を武器に相手を説得しようと試みるが、反・高断熱高気密派はイメージ戦略で返して来る。一般消費者はイメージに弱いから、どうしてもそちらの方に引張られてしまう。そして、そんなイメージ戦略を牽引していたのが論理や技術に長けていた筈の設計事務所だったのである。

 例えば、こうだ。

「日本の家は高気密化が進んでしまったために、結露やカビ・ダニの発生という不健康を生み出してしまったのだ。」

 だから、高気密はいけないと言う。これを聞くと皆は成る程そうだ、と思ってしまう。そして、この言葉だけを取り上げれば、決して間違ってはいない。しかし、これは全くナンセンスな話しだ。「高気密化した」ことと、高断熱・高気密の「高気密」は全く意味が違う。高気密化してしまったのは、今までの伝統的な家づくりの意味を忘れて透湿性のない新建材や合板で固められてしまったからであり、高断熱・高気密における高気密には次の3つの意味がある。

1) 室内で発生した水蒸気が外壁内に侵入して結露を起こすのを防ぐ。
2) 家全体の隙間をできるだけ少なくする事で換気損失を減らす。
3) 計画換気を可能にする。

 北海道では、高断熱を施すと内外の温度差が大きいので、室内で発生した水蒸気が壁内に侵入し激しい結露を起こしてしまう。だから高断熱には高気密が欠かせなかった。それがそのまま高断熱・高気密と呼ばれる様になったのである。「高気密化」という言葉を、高断熱・高気密に絡めてイメージさせる上手いやり方ではあるが、そこには大きな誤解がある。

 巷には結構、高断熱・高気密絡みの本が出ていたが、それらはおよそ強引に自分達の工法の良さを吹聴するための宣伝本ばかりだった。「外張り断熱」は元々、本州由来の工法で、壁体内に空気を循環させることで内部結露を防止し、自然の力で家の中を暖めたり涼しくしようというアイデアを活かす為に軸組内に断熱材を挿入する事ができないので外張りとなった、という歴史があり、そもそも高断熱・高気密を意識したものではなかったが、それでも高断熱・高気密のひとつの方法として外張り断熱をというものがちょっと脚光を浴びる様になって来ると、今度は従来の繊維系断熱材メーカーと新興の発泡プラスチック系断熱材メーカーとの間で、「充填断熱」対「外張り断熱」という構図が生まれ、消費者そっちのけで断熱材メーカーの内輪もめのような状況が続いていた。

 僕は、高断熱・高気密住宅に特化した設計事務所にしようと考えた時から、巷ある様々な断熱工法について資料をかき集め、こつこつと調べてはそれらを理解する為に自分なりにレポートをまとめていた。そもそも、気密シートを貼る充填断熱が巧くいかなかったことに起因しての事だったが、現場の職人さん達に高断熱・高気密を理解してもらうための資料づくりが必要だと考えてのことだった。

 確かに本州の人は暑さ寒さに強い。首都圏ではどんなに寒いと言ったって死ぬほどのことではない。だから、伝統的な夏を旨とした家づくりが向いているのだ、ということも分かる。しかし、僕は首都圏で生活を始めてひとつ気付いた事がある。北海道の冬はからっと晴れて太陽を拝める事が少ない。雪が降っていなくてもいつもどんよりと厚い雲のかかった重苦しい天気の日が多かった。ところが、こちらは結構冬場は雨も少なくからっと晴れている事が多いのである。だからこそOMソーラーという巧いアイデアが生まれたのだと思うが、高断熱・高気密的発想からすると、熱損失の少ない家にして、大きな窓から日差しを入れればそれだけで日中は暖房など必要がないくらい暖かい家になるのだ。太陽の沈んだ夜には、その大きな窓は逆に熱損失の大きな部分となるから、内戸などを閉めて熱損失を防ぐ様にしてやればいい。そして小さな暖房機ひとつで家中を暖める事ができるのだ。

 僕の元にはいつの間にか丁度本一冊分にはなる原稿が溜まっていた。どこのメーカーから頼まれたものでもない、できるだけ客観的に様々な断熱材や百を超える工法、その他、高断熱・高気密にした時の暖房の方法について、そして、温暖地における高断熱・高気密住宅についての自分なりの所見をまとめたものである。そんな本は今までありそうでなかったから、実用書を出しているような出版社に持ち込めば、上手く乗って来るかも知れない。そんな期待を込めて、空いた時間を見つけては手当たり次第、出版社に問い合わせのメールを出した。しかし、それはやはり甘い期待でしかなかった。

 半年もの間、出版社にメールを投げ続けたが、原稿自体読んでもらう事ができない。そして、とうとう原稿を読んでもらえるところを見つけ、読んでもらったが、やはり快い返事をもらうことはできなかった。後は自費出版を考えるしかないか、とも思ったが、営業経費とは言え、その頃の事務所にはそんな冒険ができる資金はなかった。そんな風に諦めかけていた時だった。もう随分前に打診して、なしのつぶてだったある出版社から一本の電話が入り、それがきっかけで僕の原稿は「究極の100年住宅のつくり方」という本になって全国販売された。

 元々は、「開放的な高断熱・高気密住宅をつくる」というタイトルだったが、そんなことはどうでもいい。自分の原稿が本になって、人に読んでもらい、少しでも高断熱・高気密住宅というものを知ってもらえるならそれで良かった。勿論、本が売れて印税が入るならそんな嬉しい話しはない。しかし、この手の本がベストセラーになるような期待はサラサラなかったが、本を読んで僕に住宅の設計を依頼して来る人が何人かでも現れる事を願っていたことは確かだ。